私と娘は、公共交通機関をよく使います。

この頃、バスに乗ると、スッと奥まで(名古屋の市営バスは前から乗ります)行って、二人がけの席に座るようになりました。

だからどうだ、と思われるかも知れませんが、これは結構すごいことなのです。

バスに乗るときは、「運転手さんの真後ろか通路を挟んでその向こうに座る」というのが、長い間、あみのコダワリでした。それより前に消失した、「せんとう(先頭)さん」と言ってバス停の一番前に並ぶことと共に、長く私を悩ませたものでした。

「せんとうさんじゃない」と泣き叫ぶので、バスを一本見送ったり、別の日に、前もって言い聞かせ先頭でない順番でバスに乗ると、今度は一番前の席が空いていないと言って泣き喚いてバスを下りる羽目になったり。

もう今ではバス停の先頭さんに対するこだわりは薄まって、最初に並べたら、なんとしてもその場は譲らない程度になり、バスの座席は、お目当ての場所が空いていなければ後ろの方の席に座ることができるようになりました。それがさらに一歩進んで、すぐに二人がけの席に座るようになりました。一番前の席は一人がけ。その後ろの席が空いていれば私はそこに座りますが、そうでなければ脇に立つしかありません。乗車時間は長いと地味に疲れますし、二人がけが空いているのに私だけ立っているのも不自然、運転手さんによっては「座ってください」と指示して従うまで発進してもらえない場合もあります。

もう、そういうことはないのかもと思うと、嬉しいです。

まぁ、そもそも、もう中学生ですしバスも乗り慣れているのですから、すぐそばに座らなくても、降りるべき場所で降りられるとは思うのですが。

そして、最近の発見。

ちょっと空いている地下鉄の駅を出るとき、あみは改札機の前で一瞬止まって、目の前の改札機でなく、その右の改札機を通りました。

あ!
あみが通った改札機は、閉まっていた!
その一瞬でわかりました。まだ、あるコダワリが残っていると。

小さい頃、あみは、改札機にある腰の高さくらいにある扉(?)が閉まっているところしか通りませんでした。混んでいてなかなか通る人が切れなくても、人並みの中で立ち尽くしてしまって、皆さんの進路妨害をしてしまっていました。

閉じていた改札を選んで通ったあみを見て、
「コダワリが残っていても、空気を読んで抑えることができるようになっていたんだ!」
と、感動しました。

地下鉄でのコダワリは、あと二つありました。

改札機と似たところでは、エスカレーターが一旦止まって自分が前に立つことで動き出すタイミングでしか乗らないということがありました。名古屋は大都市ではありますが、中心部以外の駅では人通りが途切れてエスカレーターが止まる場面には結構出くわします。それでも、何分かは待つので、私にとってはちょっとしたストレスでした。このコダワリ行動が消失したのがいつだったかは、忘れてしまいました。

もう一つは、電車を降りたあと、車掌さんに手を振ることです。
仕事のお邪魔だろうとは思うのですが、実感として90%以上の車掌さんがにこやかに手を振り返してくださるのに甘えていました。小学校2年生くらいには、しなくなったように思います。

こんなところにも、成長を感じています。


ところで、前の記事で触れた、Dくんのこと。
当面は様子を見ることにしました。
その現場を居合わせるのはあみだけのようなのです。学校側が何か動いたとしたら、報告したのがあみだということはすぐにわかってしまいます。そうなれば、矛先があみに向かないとも限りません。そうなったとき、私はあみを守る自信がありません。警戒して毎日迎えに行くのも難しいです。
Dくんの様子を聞くにつけ、「危ない」という感じはするのですが……。
怖いことが起きそうになったらすぐ動けるように、あみに気をつけて見ていてもらうようにすることにします。

実は、私は小中学生の頃、結構ないじめにあっていました。特に中学生時代は。当時住んでいた地域では、市内の中学生全員にB6の専用の日記帳を私、1日半ページずつ書き、それに先生がコメントをつけるというシステム(先生にとっては、大きな負担となっていたでしょう)がありました。それに何度もいじめられていることを書きましたが、対策を講じてくれることも、そのことにコメントしてくれることもありませんでした。そういうこともあって、中学の先生を信用することができないということもあります。

自分の不甲斐なさというか弱さというか、何もできないのが情けないです。

たいへんなことにならないように、祈るのが精一杯です。