クラシック音楽とお散歩写真のブログ -24ページ目

クラシック音楽とお散歩写真のブログ

座右の銘は漁夫の利、他力本願、棚から牡丹餅!!
趣味のクラシック音楽をプログラミングする事に没頭、あとは散歩中に写真を撮りまくること。

中学受験応援しています。

Programming Music
Johann Nepomuk Hummel / Fantasy in E-flat major,Op.18
Computer Programming : Hummel Note
Programming & Sound:MuseScore4 & MuseSound
Mix & mastering:SSW10 Lite

「幻想曲変ホ長調,Op.18」は1805年にウィーンの新聞で出版広告で発表されました。
当時、フンメルは27歳で、エステルハージ侯爵のもとで2年間働いていた時期です。

 

フンメルより8歳年上のベートーヴェンは、フンメルと競い合うように難曲のピアノ・ソナタ第23番ヘ短調op.57「熱情」を発表しています。この友人ライヴァルの幻想曲にかなりの刺激を受けたらしく、のちの「田園交響曲」や「ハンマークラヴィーア・ソナタ」には、フンメルのOp.18の最初の部分との類似性を感じる個所があります。

 

 

「幻想曲変ホ長調,Op.18」は幻想曲と謳っているものの、大きく分けると3つの楽章からなっているように作られており、さらにソナタ形式を取り入れられている部分や全体を通すと緩・急・緩・急という構成の大ソナタと言ってもよい曲です。

 

 

I. Lento - Andante - Allegro con fuoco - Adagio - A capriccio, ma lento

 

第1部は序奏付きのソナタです。C.P.E.バッハのピアノ曲を思わせる即興的な序奏から始まり軽やかで技巧的なアレグロ・コン・フォートに続いていきます。二重トリルや技巧的スケールを大胆に駆使しながら、変ホ長調から様々な転調を繰り返して、聴く者をとらえる情熱的な嵐の音楽へと発展していきます。その嵐は徐々に落ち着きを取り戻していき、最後は変ロ長調で嵐が過ぎ去った凪となり、次のレガート・エ・カンタービレへと繋がっていきます。

 

II. Larghetto e cantabile

 

第2部は非常にロマンチックな曲です。ゆったりしたリズムの上で歌われるカンタービレは、長調と短調を行き来しながら装飾を増やしていきます。これはもうモーツァルトの影響を離れ、フンメルの個性が前面に出てきているロマン派を先取りした音楽となっていて、ショパンへとつながる叙情的楽曲となっています。

 

III. Allegro assai - molto adagio - Presto

 

第3部は一転してト短調となり、刺激的で破壊的な楽想が次々に現れてきます。そのままフィナーレとなるプレストに突入すると、ベートーヴェン的オクターブの強打鍵の激情的主題に始まり、一気にラストまで駆け抜けます。この楽章は後のシューマンの「クライスレリアーナ」に大きな影響を及ぼしているでしょう。

 

また、このフンメルの幻想曲は、ゆったりした序奏に始まって、最後は華麗な曲調で終わるロマン派以降の作品の「理想形」と言えるものとなっています。シューベルトの幻想曲を聞いても明らかにこの曲の影響が見え隠れしています。

 

ベートーヴェンの「月光」「熱情」のような聴く者の心を奪い取るようなメロディなどではないですが、演奏を目の当りにしたら目を離せなくなるだろう展開と興奮をもたらせてくれる曲です。

 

 
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Nicolas_Dalayrac

ダレラックのオペラ「2人の煙突掃除屋」からの行進曲による変奏曲 イ短調,Op.15

 

ニコラ=マリー・ダレラック(Nicolas Dalayrac)は、1753年4月8日にミュレで、コマンジュ選挙における国王顧問であったジャン・ダレラック卿とその妻マリー・クルーゼルの貴族の家系に生まれました。5日後に洗礼を受けたニコラ・アライラックは5人兄弟の長男です。彼は幼い頃に亡くなった2人の姉妹を含む4人の子供の長男であり、バーに送られ、トゥールーズに留学しました。

 

彼は弁護士として訓練を受けましたが、父親からキャリアを捨てて音楽への情熱を追うよう勧められました。彼は女優ジルベルト・ペトロニール・サヤルドと結婚した。フランス革命後、彼は貴族のアライラックからダレラックに名前を変更しました。1804 年にレジオン ドヌール勲章を受章しました。彼はパリで56歳で死去した「音楽家の詩人」と呼ばれた古典派時代のフランスの作曲家です。

モーツァルトと同時代の作曲家ということになりますね。

 

その作品の多くはオペラ・コミックでこのテーマとなっている「2人の煙突掃除屋」は1789年1月14日に初演され長い間ヒット作として繰り返し上演されていました。

 

フンメルは1805年にこの変奏曲を出版していますが、このころのフンメルのピアノ作品はすでにモーツァルトのピアノ作品とは異なる演奏技術を要求する曲が多いです。
テーマと9つの変奏、コーダからなる曲ですが、特に第8変奏のアダージョはショパンを予見させる幻想的なロマンチックな作風が見られます。

 

 

Programming Music

Johann Nepomuk Hummel

Variations on a March from Dalayrac's 'Les deux savoyards' in A-minor,Op.15
Computer Programming : Hummel Note
Programming & Sound:MuseScore4 & MuseSound
Mix & Mastering:SSW10 Lite
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Fantasina on themes from Mozart's Le nozze di Figaro in C,Op​.​124

Programming Music

Computer Programming : Hummel Note

Sound:GARRITAN PERSONAL ORCHESTRA 5
Re-Edit Mix & Matering:SSW10 Lite 



1833年のフンメル晩年の作品ですが、どちらかというと軽いサロンミュージックになっています。

 

作曲時の情景を想像力を膨らませて妄想・・・

 

 

d234b1e7当時のフンメルはワイマールの楽長職にあり、やや人気に陰りが見え始めてはいたもののヨーロッパに知らない者はいないほどの有名人でした。

 

ワイマールにはゲーテとともにフンメルを訪ねてくる文化人で溢れ、その中にはツェルターに連れられてきていたメンデルスゾーン姉弟がいたり、画家のドラクロアやシェリングと言った哲学者まで、文化芸術の街としてにぎわっていたころです。

ゲーテ家ではたびたび食事会やパーティが開かれ、フンメルはそこで演奏し、彼の息子もまたゲーテの孫たちの遊び友達でした。

ある日、多くの人が集まっていた日にゲーテはフンメルに「何か弾いてくれないかね、ヨハン」と言いました。

フンメルは「いいですよ。どんなのがお望みですか」

ゲーテ「そうだな、モーツァルトのアリアを主題にした何かを聞きたいな」とリクエストしました。

フンメルはピアノ前に座り、葉巻をふかしながらちょっと考えて、早速弾き始めました。

それはモーツァルトのフィガロの結婚の有名なアリア「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」をテーマにしてた即興演奏でした。

技巧的な短めの序奏を経て、明るく跳ねるようなアリアのテーマが展開されていきます。それは次から次へと煌びやかに奏でられ、転調を繰り返していきます。

集まっていた来賓は驚き、その技術に感嘆し、いかにも簡単そうに弾いているかのように見えるフンメルの即興演奏に酔いしれました。

 

という感じでしょうか。実際はどうだったのかはわかりませんが、即興の名手であり、ゲーテ家には頻繁に出入りし文化人たちと交流を持っていたフンメルのワイマールでの生活を考えると案外当たっているかもしれません。

 

大曲に見られるような重厚さや深刻さはなく、6分程度の楽しい音楽です。

 

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