福井県勝山市 国史跡 白山平泉寺


古くから人々に恵みをもたらす白山は信仰の対象でした

平泉寺はその越前での白山信仰の拠点として泰澄によって開山 養老元年(717)


最盛期の戦国時代には8000人もの僧兵を抱える大寺院だったと伝えられ

当時の日本最大の宗教都市として繁栄しました

木曽義仲が必勝祈願に訪れたり、

頼朝に追われ、正体隠した義経、弁慶が立ち寄ったり


しかし天正2年(1574)越前一向一揆勢にて全山焼失してしまいます

開山から焼き討ちまで850年

現在までの450年の時間が流れ、平成になってようやく発掘調査と史跡整備が進んで、

25年間で調査終了したのがたった1%の2ヘクタール

まだまだ眠っている壮大な歴史ロマン

発掘調査を待つまほろばが教えてくれるはずです   


以上白山平泉寺歴史探遊館 まほろば 案内パンフレットより抜粋




小雨降る

杉木立の旧参道をタクシーで進み


駐車場から見える広ーーーい参道の階段

着いたーーーラブラブ

心はやります




早速左に泰澄法師廟 

弁慶の足跡と呼ばれている踏み石がありました

脚の疲れがとれるようにお願い







いにしえから参拝者の足跡で丸みを帯びた石段

昔、ここの坂から、肉、魚を持ち込むことはことできませんでしたので

「精進坂」と呼ばれています



また雨が降り始めたけど

ゆっくり進みます



一の⛩️



降ったり止んだり、不安定な空模様

手水舎に雨宿りしている参詣者




しかし、この奥の奥から

不思議な何かが押し寄せてきて、惹かれて前に進む空気感

ここは、まさに聖域



今も昔人の足音が聞こえるような歴史ある参道です



まもなく現れた御手洗い池



「平泉寺」という名前の由来がこの泉にあります


案内板



養老元年(717)

泰澄が白山の道中に発見した泉

現れた女神から、白山に登るようにお告げがありましたと



この中より泰澄が発見した時と変わらない湧き出る水が

流れ出て泉を潤しています



泰澄お手植えと伝わる御神木杉



そして

二の鳥居を潜ります




拝殿前の美しい苔庭

雨の中輝いています

(写真下手すぎるもやもやこの庭の本当の美しさが伝わっておりません)ぐすん













苔庭を育む杉木立



かつては三十三間(83メートル)あったというポーンあせる

平泉寺の僧が一堂に会する場所

その規模は巨大でした


現在の拝殿は江戸末期造営



扁額の文字は一品天眞親王の筆と







白山御前峰御本社への石段(滑り止めと保護のため鉄製の階段が取り付けてあります)




白山は、

御前峰

大汝峰

別山と三つの頂がある山


かつての社は破風が三つあり、3人の神様が一体になったことを表していたそうです

現在の建物は寛政7年(1795)12代福井藩主の松平重富の寄進




上り龍と


下り龍の彫刻








左右の御祭神に




ご挨拶に


右手に三宮への参道



平泉寺の一番奥に鎮座する神社

越前から白山への登拝道

「越前禅定道」が始まっている




岩の上に咲くユキノシタ



お参り


指がはいってしまいましたあせる



心洗われた緑の参道、美しい境内


お参り後、ガイドのお礼をしてお別れ、宿まで勝山の町をぶらぶら歩き




案内パンフレットを宿で確認して愕然滝汗ハッそうや⁉️

始まったか認知症あせる


な、

なんと、肝心な若宮八幡宮の大杉をーーーー 失念…………


あーーーぁ

あの永平寺スルーしてまで訪れた、憧れ平泉寺だったのにーーー  えーん


(まほろばのパンフレットより)下差し





これは


ま ぼ ろ し ー  ダッシュ





雨でなければ旧参道(日本の道百選)から歩き、

時間契約なければ、自分の地図を開いて回り

山道歩きすぎて脚の疲れがなければ、もっともっと深いお詣りが………


いやいや、これ全てタラレバ話


他人様に頼った私の弛んだ心 でした



反省パー




弁慶石の御利益で


本日の歩数27,799歩






これ、福井初日の歩数ですゲラゲラ




バイバイ