ゴールデンウィークの喧騒も過ぎ、花の季節を過ぎた都幾川 慈光寺
行き交う車も少なく静かな平日です




関東屈指1300年の歴史を持つ関東最古の山岳寺院 坂東三十三観音霊場九番札所

天武天皇2年673年、僧 慈訓が(千手観音を安置)
その後、宝亀元年(770年) 鑑真の高弟 道忠により開山、創建されました
平安時代は勅願所となり、関東の天台宗の中心的寺院であり、源頼朝や徳川家の帰依を得ました

国宝 法華経、般若心経、阿弥陀経(鎌倉時代) 国立東京博物館寄託や
数多くの国の重要文化財、指定文化財を有する関東屈指の名刹です


何度も訪れていますが、
今日は同伴者がいないので、自分の思うまま、興味あるポイントに好きな時間滞在できます
(ボッチ行動の良いところです音譜)
歴史も改めて学ぶことができるから、同じ場所でも見方が深くなります



都幾川大野松山線の宿交差点から、ひたすら山道を上り、慈光寺青石塔婆を過ぎ

ひらけた眺望で停車

輝く新緑キラキラ






釈迦堂跡です


昭和60年11月26日焼失

間口8間 奥行き7、5間の大講堂でありましたと

釈迦如来、仁王像、蔵王権現を失いました




その隣に開山塔



覆屋の中には開山塔が納められています(室町末期)
慈光寺を開山した釈道忠の墓に立てられていたものという事
柵もあり、立派な覆屋は暗くて、中をうかがうことは出来ません

室町時代の木造宝塔として極めて貴重

しかし、石塔は片方崩れ落ちたまま、周りの薮はどうしたものか、ちと心配いたしマス





木造宝塔看板では伝わってこないので



ネットから写真お借りしました

さすが実物は迫力、気品がある室町期の木造宝塔です



覆屋内空調無しのようです




寺標 慈光寺
巨石に刻まれて




石段を上り



銅鐘は、鎌倉時代隆盛を極めた慈光寺を物語る物部重光鋳造の国指定重要文化財

やはり昭和60年の火災で釈迦堂、蔵王堂共に焼失しましたが、平成2年に再建されました


かつては多くの僧兵を擁し、近隣の城主との抗争に明け暮れ、太田道灌の焼き討ちに合い

栄華を誇った寺院も衰退していったということです



駐車場から本堂

山門


本堂

本尊 千手観音立像


いつも来てるので順序不同で好きに廻っていますが



般若心経堂は閉まっておりましたが、

国宝慈光寺経(鎌倉時代の優婉華麗な装飾を施した名品)


往時の優雅な宮廷文化の美が比企山中の慈光寺にあります



足元には………



当然でございますが、もちろん本堂の許可を得て下さいまし






庭には如意輪観音

江戸時代に盛んだった

二十二夜さまのご本尊ですが、元は浄土院観音堂にあったものが移されましたと



珍しい悲母観音

子供を抱いております



そして大きな青石板碑

頼朝亡き後、北条時政の謀略で無念の討ち死に、畠山重忠、重保親子の供養塔

いつの頃からか折損倒壊し放置されていたものを、明治12年復元されました



謀反の嫌疑

根底には武蔵國の支配をめぐる対立があったとも

鎌倉武士の鑑と称賛された重忠への嫉妬?


敵の武将も惚れた重忠の住居(菅谷館跡)は、現在の嵐山の旧鎌倉街道沿いにあり、

銅像は鎌倉を向いて立っております



観音堂へ






今日はここ上ります

本堂からの緩やかな階段もあるけど、エクササイズ頑張るで



階段おりてきたこの方からエール下差し


何度も繰り返して登っていると言っておりましたから ポーン

(階段下のちっちゃいおじさん)



途中息継ぎしながらゼーハー

急峻なのあせるあせるあせる


手水舎



観音堂


坂東札所九番



本尊 十一面千手千眼観世音菩薩





夜な夜な村に出ては畑を荒らし廻った伝説

夜荒らしの名馬は左甚五郎作


怒った村人に鉄鎖で口を縛り、観音堂の上に収められています



風神雷神図

彩色が残っています




鰐口



おびんづる様


撫でるのはご遠慮、浄財のみ


改めて全体を眺めてみると贅沢な造り



ご開帳時はぜひ拝見したいものです



青紅葉を透かし吹いてくる初夏の風



肺まで浄化されました






この記事は5/10の訪問

投稿遅れてしまいました

早くも5月も末

梅雨入り前の不安定な気候ですね

体調管理お気をつけてお過ごしくださいね



バイバイ