第42話 サライの空へ

 

高校の卒業式も終わり、私はいよいよ東京へと上京することになりました。

 

18年間住み慣れた我が家を離れ、東京での新生活が始まるのです。

 

最初から一人暮らしをする資金はなかったので、上から3番目の兄の家に居候をすることになっていました。

 

兄の家は西日暮里の2DKのマンションで、1Fはスーパーマーケットになっています。

 

6畳と4畳半の2部屋がありましたが、その4畳半の部屋を家賃3万円で借りることにしていました。

 

引っ越しの荷物などはほとんどなく、4月1日の入社式に備えて買ってもらった2着のスーツと、わずかばかりの洋服くらいです。

 

このスーツは私の姉の旦那さんである坂田さんが、わざわざ洋服屋さんまで私を連れて行ってくれ、寸法を測って仕立てたものです。

 

すでに坂田さんは他界してしまっていますが、思い返してみればこういうことでも私は恵まれた環境にいたんだなと改めて思います。

 

 

4月1日の入社式まではまだ日がありましたが、私は一刻も早く東京へ行きたいという気持ちが強く、10日前の3月21日に旅立つことにしました。

 

旅立つというには大げさなくらい、私の実家から西日暮里まではバスで40分、電車で1時間ちょっとで行ける距離でした。

 

そしてその日の朝を迎えました。

 

その日は遅めに起きたので、平日の家の中にはすでに誰の姿もありませんでした。

 

父と母は畑仕事へ、2人の兄たちはすでに会社に出社しています。

 

別れを告げる人が誰もいないので、私はお隣の家と裏の家にお別れの挨拶をしに行きました。

 

前日の夜は、母は私が好きなカレーライスを作ってくれ、私の門出を祝福してくれました。

 

「一生懸命頑張んなよ。」

 

公務員の仕事を頑張るのか、俳優の道を頑張るのかはよくわかりませんでしたが、自分の息子が国家公務員になることで母はだいぶ安心していたようでした。

 

1時間に1本しかないバスに乗り、茨城県の古河駅から東京の上野駅を目指します。

 

私は車窓に流れる景色を眺めながら、これまでのことを振り返っていたのです。

 

埼玉県の田園地帯を走る上野東京ライン(宇都宮線・E233系)の写真素材 [71537362] - PIXTA

 

日本テレビの「24時間テレビ」がスタートしたのは1977年のことです。

 

そして今ではテーマ曲となっている名曲「サライ」が初披露されたのは、1992年です。

 

私が初めてこの歌を聞いた時は、すでに30歳になっていました。

 

この曲を聞いた時、私が18歳の時に経験したこの旅立ちの日の朝が、鮮明に蘇ってきたものです。

 

昨年の10月に74歳でお亡くなりになった谷村新司さんに敬意を表し、歌詞の全文をここに掲載しておきたいと思います。

 

正にこの歌詞が、私の18歳の心情を見事に表現してくれていました。

 

「サライ」

歌詞 谷村新司 曲 加山雄三

 

遠い夢 捨てきれずに 故郷を捨てた

穏やかな 春の陽射しが 揺れる小さな駅

別れより 悲しみより 憧れは強く

淋しさと 背中合わせの 一人きりの旅立ち

 

動き始めた 汽車の窓辺を

流れていく 景色だけを じっと見ていた

桜吹雪の サライの空は

哀しいほど 青く澄んで 胸が震えた

 

離れれば 離れるほど なおさらに募る

この想い 忘れられずに 開く古いアルバム

若い日の 父と母に 包まれて過ぎた

やわらかな 日々の暮らしを なぞりながら生きる

 

まぶたとじれば 浮かぶ景色が

迷いながら いつか帰る 愛の故郷

桜吹雪の サライの空へ

いつか帰る その時まで 夢は捨てない

 

 

「サライ」とは砂漠の中のオアシスというイメージの言葉で、誰にでも帰る場所「心のふるさと」があるという意味が込められています。

 

結局俳優になる夢も国家公務員であることも捨ててしまった私ですが、若い日の父と母に包まれて過ぎた時間は「心のふるさと」として永遠に忘れることはありません。

 

第43話「初めてのテレビ出演?」へつづく