第44話 糖尿病発症と母の意外な反応

 

私は自分に全く俳優としての素質がないことを知り、わずか22歳で俳優になる夢を諦めました。

 

公務員もやめてしまっていたので、私は飲食店を経営する会社に就職しました。

 

最初に勤めたお店が「六本木JACK&BETTY CLUB」というお店です。

 

勤務は深夜番からスタートしたので、正社員となってからも夜の21時から朝の6時までの時間帯です。

 

この時代の六本木は、バブルの全盛期、正に眠らない街の頃でした。

 

そんな昼夜が逆転した生活が、1年間くらい続いたある日のことでした。

 

私は正社員なので、強制的に健康診断を受けることになったのです。

 

 

その健康診断では、私の血糖値の数値が高く、糖尿病の疑いがあるということが書かれていました。

 

そこで上野にあった糖尿病専門の病院へ検査を受けに行くと、こう診断されたのです。

 

「初期のⅠ型糖尿病」

 

わずか22歳で、しかも痩せている自分が糖尿病だって?

 

今では70kgを越す体重の私ですが、当時は50kgしかありませんでした。

 

原因は元々糖尿病になりやすい体質の上に、昼夜逆転した不規則な生活を送っていたことによるものでした。

 

昼の明るい時間帯に睡眠をとって、本来体を休める時間帯に起きて仕事をする。

 

この不規則な生活がホルモンのバランスを崩したようでした。

 

私は家に帰ってすぐさまこのことを母に電話しました。

 

「糖尿病になったんだけど。」

 

母は驚くかと思ったら、意外な一言が返ってきました。

 

「やっぱりね。」

 

私はこの時に初めて父も母も糖尿病であることを知らされたのです。

 

 

そのことを知って、私は母を恨みました。

 

「最初から教えておいてくれれば、気をつけることができたのに。」

 

田舎の人間というものは、子どもにあまり情報を提供してくれないものです。

 

私の両親は、お互いに再婚同士で私が生まれたことも、2人して糖尿病の持病を抱えていることも教えてくれなかったのです。

 

糖尿病という病気は、一度発症してしまうと治ることはありません。

 

もし親元を離れる時にその事実を知ってさえいれば、自分も不規則な生活はしないよう心掛けられたと思うのです。

 

現在は兄弟7人のうち5人がすでに糖尿病なので、規則正しい生活を送っていたとしても、遅かれ早かれ病気は発症していたことでしょう。

 

こういうことがあったため、私は自分の娘と息子には、小さい頃から自分の病気をきちんと伝えています。

 

糖尿病は遺伝する!

 

自分の子どもには、こういう情報はきちんと伝えておくことが、親としてのせめてもの義務だと私は思うのです。

 

第45話「長男の結婚式」へつづく。