第33話 高校入学と花の応援団

 

私はついに高校1年生となりました。

 

私が入学した高校は、茨城県の県西では一番の進学校であった「下妻第一高等学校」です。

 

この学校は明治30年に創立され当時で84年、現在では127年という古い歴史を誇っています。

 

東京大学を始めとする国公立大学や私立大学に、毎年ほとんどの人が合格する進学校でした。

 

私の家から下妻市にあるこの高校までの距離は約8Km、ギア付きのサイクリング自転車を買ってもらい私は自転車通学をしました。

 

しかしこの高校への入学と同時に、私の輝かしい優等生人生は終焉を迎えることになるのです。

 

 

この下妻一校にも軟式テニス部があり、私は当然ながらテニス部へと入部しました。

 

しかしこのテニス部の上級生たちが、どうにもこうにもソリが合わなかったのです。

 

半年もテニスから遠ざかっていたこともあり、テニスへの情熱も冷めてしまい、いつしか部活動へ行くのが苦痛となっていました。

 

部活動が終わると暗い夜道を自転車で8Kmの道のりを帰らなくてはいけないこともあり、私はついに2か月でテニス部をやめてしまったのです。

 

こうなると何もやることがなくなり、元々家でコツコツ勉強するタイプではなかったので、授業が終わると毎日ダラダラと過ごすようになりました。

 

そんな中、同じクラスに塚田という奴がいて、そいつと意気投合し大親友へとなっていったのです。

 

この塚田がちょっと不良っぽいところがあり、私と同じで家では全く勉強をしないタイプで、頭の良さだけでこの高校に入学してきました。

 

しかし、中学まではそれで通用していたとしても、高校となるとやはり勝手が違います。

 

授業はより複雑となり、数学などは予習や復習を毎日しっかりとやらないと次の日の授業に全くついていけなくなるのです。

 

6月を過ぎた頃には、勉強をしない私と塚田は完全な落ちこぼれとなっていました。

 

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塚田と2人で毎日遊び歩き、髪型をリーゼントにしたり、煙草の味を覚えたりしていきました。

 

そんな中、野球部の夏の予選大会がいよいよ始まるということで、応援団が全校生徒に初お披露目されたのです。

 

応援団長は背が高くガッチリとした体格で、とても風格がありました。

 

そしてその脇を固める面々が、ほとんどがパーマやリーゼント頭の不良集団だったのです。

 

私と塚田は相談し、この応援団へ入部することにしました。

 

どうせ他にやることもなかったし、堂々とリーゼント頭で学校に通うには、この応援団にいた方がハクがついたからです。

 

それからというもの、応援団の練習後はみんなで喫茶店に寄って煙草をふかし、完全に不良グループの仲間入りとなってしまったのです。

 

ちょうどこの年の1978年は、あの伝説の「インベーダーゲーム」が喫茶店に進出してきた頃でもありました。

 

こうして私は、ビーバップ・ハイスクール的な高校時代を送ることになっていくのです。

 

第34話「高校野球と熱中症」へつづく。

 

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