第9話 大阪万博
今から54年前、1970年(昭和45年)の3月~9月にかけて大阪万博は開催されました。
正式名称は「日本万国博覧会」アジア初かつ日本で最初の国際博覧会で、当時史上最大の規模を誇っていました。
東京オリンピックと並び、日本の高度経済成長期を象徴するような大きなイベントです。
私は当時8歳で、小学校3年生になったばかりの頃でした。
大阪万博の総入場数は何と6000万人、もちろん海外からのお客様も多かったようですが、日本の人口の半分以上がこの万博を見に行ったことになります。
入場料は大人が800円で子どもは400円、当時でもそう高くはなかったのですが、何といっても関東で暮らす人々にとっては、そこに行くまでの往復の交通費が鬼門でした。
小学校のクラスの中でも、何人かはこの大阪万博に行ってきたと自慢している人がいました。
そして近所では、幼馴染でお金持ちの博美ちゃんが家族で行ってきたというのです。
博美ちゃんの家は、大きな肥料屋さんをやっていて駄菓子屋もやっていました。
家族構成は、肥料屋さんのお父さんと駄菓子屋さんのセレブなお母さん、長女の博美ちゃんと弟の和也くんの4人家族でした。
その博美ちゃんと和也が、わざわざ万博のお土産を買ってきてくれ、私の家に持ってきてくれたのです。
何をもらったかは全く記憶にないですが、記念のメダルを見せてもらった時は、何かこちらも物言えぬ感動を覚えたものです。
同時に私の中では、こういう思いが膨れ上がってきていました。
あんな歴史的な催し物を実際に見ることができ、何より新幹線で大阪まで行ったことがこちらとしては羨ましくて仕方がありません。
お金持ちと貧乏という貧富の差を痛烈に感じたのは、この時が最初だったと言ってもいいかもしれません。
博美ちゃんの弟の和也は、私よりも2歳年下で、まだ小学校へ上がったばかりです。
小さい頃から私のことを兄のように慕っており、よく一緒に遊んであげていました。
その弟分である和也までもが万博に行った!そして新幹線に乗った!
そう思うとそれまで他人事だと思っていた大阪万博が、無性に切ない出来事に変わっていったのです。
もちろん父と母に自分も万博に行きたいなんて、口が裂けても言えません。
無理なことは最初からわかっていたからです。
この大阪万博は、関西の人にとっては気軽に行けるイベントでしたが、関東から北に住む人たちにとっては、貧困の差が浮き彫りになってしまう出来事だったのかもしれません。
来年2025年の4月からはいよいよ「EXPO2025」が再び関西の地で行われます。
私は全く興味はないですが、55年前のあの悔しさを晴らしにリベンジで行ってしまうかもしれません。
第10話「先生のビンタ」へつづく。