第13話 運動会
3月に入って卒業シーズンですが、全く季節外れの「運動会」のお話です。
田舎に限ったことではないですが、子どもの運動会といえば家族にとっては一大イベントです。
私の家でも毎年小学校、中学校と誰かの運動会は必ずあるわけで、いつも家族揃って応援に行きました。
そんな数ある運動会の中で、私が一番印象に残っているのは小学校4年生の時の運動会です。
私の2個上の兄は父親のDNAを強く受け継いだのか、スポーツ万能でとにかく足が速かったのです。
私は幸いなことに母親似なので、顔は母親に似て可愛かったのですが、運動はからきしダメでした。
兄は小学校6年生、運動会の花形であるクラス対抗リレーの4人のメンバーにも選出されていました。
このリレーのメンバーは、当時の小学校でも存在感を放つ上級生が集まっていました。
その中に、私の兄が入っていることがとても誇らしかったのです。
結果はスタートの選手から圧倒的な差をつけてぶっちぎりの1位、応援に来ていた姉や中学生の長男、両親も手を叩いて喜んでいたのを覚えています。
そしてもう一つの花形レースは、地域ごとに親が参加して行う対抗リレーです。
私の父はものすごく足が速く、毎年必ずこのリレーに狩り出されていました。
私は父の走っている姿が大好きで、この時ばかりは偉大な父だなと尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。
なので何か悪さをして父に見つかった時、追いかけられたらすぐに捕まることがわかっていたので、逃げることよりもすぐに謝るということを学んでいたのです。
そして運動会の楽しみといえば、お昼休みに家族揃って食べるお弁当の時間です。
この時ばかりは、前日に母が私の大好きな「いなり寿司」を沢山作ってくれるので、とても楽しみにしていました。
休日に畑仕事を手伝う時は、お昼ご飯はいつもおにぎりだったからです。
いなり寿司は特別な日にしか食べられないものだったので、私の中ではかなり貴重なものでした。
そういえば、私が赤飯というものを初めて食べたのは、小学校低学年の時でした。
いきなり夕飯に赤いご飯が出たので、私がこれは何?と母に聞いたら、
「お姉ちゃんのお祝いだよ。」
という返事が返ってきました。
その時はその意味がサッパリわかりませんでしたが、赤飯もとても美味しく、その後は運動会でもこの赤飯を作ってくれるようになりました。
ということで私の運動会の思い出は、自分のことよりも父や兄の走る姿、それと母が作るお弁当の方が思い出深いものなのです。
第14話「道でお金を拾ったら」へつづく。