【二番手の実力】ヴァンハル:弦楽四重奏曲 変ホ長調「ホフマイスター第2」 | 室内楽の聴譜奏ノート

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室内楽の歴史の中で忘れられた曲、埋もれた曲を見つけるのが趣味で、聴いて、楽譜を探して、できれば奏く機会を持ちたいと思いつつメモしています。

Vanhal : String Quartet in E♭major, Hoffmeister #2

「二番じゃダメなんですか?」は歴史的な名言だと思う。一番だと言われるためには少なくともそれに対する二番手の存在が必要になる。勝ち負け、優劣の比較などは人間が生存するための競争原理の結果生み出される。場合によっては生きるか死ぬかの一大問題なのだ。競馬に例えれば、たとえ鼻の差で負けても2着は2着である。敗者の弁は勝者のそれに比べれば極端に少なくなる。

 古典派の時代においての勝者はまずハイドン、その20年後にはモーツァルトだった。ヨハン・バプティスト・ヴァンハル(Johann Baptist Vanhal, 1739-1813)もその同時代に生きた優れた作曲家だったのだが、現代では残念ながら、第一人者ハイドンと比べれば語られることの余りの少なさに大きな開きを感じる。7歳遅れで先行するハイドンの刺激を受けながら、ヴァンハル独自の音楽観を作品に作り上げていたのは確かだ。交響曲では短調の曲に人の心をぐっと引きつける魅力がある。ウィキペディア(仏)では、1768年頃の彼の交響曲ト短調(Bryan g1) が、ハイドンの交響曲第39番ト短調、モーツァルトの交響曲第25番ト短調 K.183 (1773) とともに「疾風怒濤時代」の三大傑作だとしている。

 

     Michael Helmrath - Munich Philharmonic Chamber Orch

 ヴァンハルの交響曲については Michaelさんのブログ「Classic音楽,リュート,宇宙」に言及されていて興味深い。
http://micha072.blog.fc2.com/blog-category-37.html


 前置きが長過ぎたが、今回取り上げたいのは弦楽四重奏曲のほうである。ヴァンハルは弦楽四重奏曲も50曲以上作っているが、CD録音されて聞けるのはそのうちの20曲ほどしかない。そのほとんどがチェコのクービン四重奏団(Kubin)、シュターミツ四重奏団(Stamic) による演奏だ。最近になって若手のカメシーナ(Camesina)、ロータス(Lotus) および日本のHST(ハイドン・シンフォニエッタ・東京)などの収録が増えてきているのはとても喜ばしい。

vanhal cuarteto

              Camesina Quartet

 弦楽四重奏曲 変ホ長調「ホフマイスター第2」はそれら演奏団体のCDの中でも組み入れられる頻度が高い曲で、3楽章制ながら小気味よくまとまった逸品だからではないかと思っている。最初に「どうして第2なの?」という疑問が普通に出る。「それはモーツァルトの弦四 K.499(ホフマイスター)と同じように、出版社のホフマイスターからヴァンハルも頼まれて作ったので、2番とつけたのさ。」と説明している人もいたのだが、後半分は誤りだった。
 実はヴァンハルは30代に神経衰弱状態に陥り、ハンガリーのエルデーディ伯爵の庇護下で長期間療養し、40代に入ってようやく回復することができたのだった。彼がウィーンに戻って音楽家としての活動を再開したのは1780年頃である。その間の空白の8年間は作曲家としての評価には大きなマイナスになった。それでも1785年に弦楽四重奏曲の作品33の6曲をアルタリア社から出版した直後に、ホフマイスターからも依頼が来たので、さらに6曲書いたのだった。この時彼はまだ40代の半ばで、まだ晩年という訳でもなかったのだが、交響曲を量産できた10年前よりは才能が衰えていたようだ。このホフマイスターのための6曲には、なぜか作品番号がつけられていない。そこで「ホフマイスターの何番」と呼ぶしかなかったのだ。中でも2番目の変ホ長調の曲が評判が良く、彼の代表的な弦四として見なされているのは、黄昏の輝きなのかもしれない。
 なお蛇足ながら、この作曲年(1785-1786)の頃は、ハイドンはまだ中期の弦四の作品42、モーツァルトは例のホフマイスターK.499 を書いていた。ハイドンは弦楽四重奏曲の様式の完成者とは言われるが、この時期はまだその途上にあり、その様式を内外に指し示すほどの権力者ではなかったのだ。従ってヴァンハルの曲のように3楽章制の弦四もまだまだ作られていて当然だった。

 ヴァンハルのホフマイスター・セット6曲は、当時ホフマイスター社から出版されたはずなのだが、現在のところその原譜を IMSLPなどで確認できるすべはない。譜例参照は第2番のみ、IMSLPに掲載されたマートン社(Merton Music) の浄書譜(作譜ソフト・シベリウスを使用)に拠っている。
https://imslp.org/wiki/String_Quartet_in_E-flat_major_(Vanhal%2C_Johann_Baptist)


第1楽章:アレグロ・コン・フオコ

 コン・フオコ(Con fuoco)なので「炎のように」勢いをもってということになる。しかし短調ではなく変ホ長調の曲なので、勢いはいいが悲壮ではない。単純な刻みの伴奏の上にテーマを歌うパターンは成功例になりうる作曲手法だが、いつも同じ手を使うわけにはいかない。


  ☆Beethoven : String Quartet No.4, Op.18-4

   一番構造が似ているのはベートーヴェンの弦四第4番(Op.18-4) の冒頭だが、こちらはハ短調でいかにも情熱的な暗さだ。

 

 この楽章のもう一つの特徴は、ぴったりと影のように寄り添って進んでいく第2ヴァイオリンの存在だ。結構長いパッセージを三度和声で二人三脚で巧みに歌い続けるのも面白い。Youtube に米国のある音楽院の卒業演奏会と思われる動画があったが、この第1楽章をいかにも楽しそうに演奏しているのが微笑ましい。
Vanhal - Quartet in E-flat Major, No. 2, Allegro con fuoco

Northern Lights Chamber Music Institute (NLCMI) final concert, Minnesota, USA
 

 ヴァイオリンが2人で動くことが多いと内声部のヴィオラは1人になって、勝手な伴奏を入れたりする。この動きも自由な感じでよく目立って印象深い。


第2楽章:アダージォ
String Quartet No.2 in E-Flat Major, "Hoffmeister": II. Adagio

               Camesina Quartet

 関係調の変ロ長調、3/4拍子のアダージォ。ハイドンの緩徐楽章にそっくりと言ってもいいのだが、この時代の音楽の空気が流れていて、ハイドンはじめそれぞれの作曲家たちがそれを汲みとっていたのだと思う。

 緩徐楽章には必ず中間部でのどかな感情を搔き乱す荒っぽい動機が出される。そのプロセスが平静さを取り戻した時の安堵感を大きくさせる。

 

 後半には第1ヴァイオリンの上品なメロディが第2ヴァイオリンの分散和音に乗って歌われる。それがこの上なく美しい。


第3楽章:アレグロ

String Quartet No.2 in E-Flat Major, "Hoffmeister": III. Allegro

              Camesina Quartet
 フィナーレ楽章、6/8拍子。メヌエット楽章がないことは物足りなさにはなっていない。この作曲時期がハイドンにとっては中期だったことを考えても、ヴァンハルがそれと遜色のない作品に仕上げていることに感心する。

 動機のパーツは簡素なものだが、それを組合せて各パートにはめ込んでいく見事さはさすがだ。

 

 

 古典派の時代の18世紀後半は、楽譜の出版事情もまだ手書製版がほとんどだったし、出版社も限られていた。後世のようにどこでも楽譜が簡単に手に入る訳ではなかった。従って手稿譜のままで埋もれた作品も多い。ヴァンハルの場合でも現在でもすべての楽譜が参照できる状態ではないのが残念だ。彼の最後の「ホフマイスター・セット6曲」は、今のところ世界でただ1件、日本のHST四重奏団のライブ録音のCDがあるのみだ。IMSLPの充実が望まれる。ひょっとしたら彼の得意とした短調による弦四作品の秘曲が見つかるのではと期待している。