続き

 

 

では

それぞれの状態の悪いとき良いときについてです

 

 

【図1】自我が身体にどっぷりと入り込んでいて

その都度移り変わる身体の快不快や身体の欲求、心や感情にいちいち振り回されてしまい

思考と自我が圧迫されてしまっている状態

 

 

 

精神状態が悪いとき

リアルタイムでは上図のような感覚の方が大半と思われますが

 

タイプ別にさらに深堀すると

以下のようなことが起こっています

 

 

 

 

 

 

Beタイプにおける 状態の良いとき悪いとき

 

 

 

前提として

Beタイプは「内的世界」という固有の精神世界を持っています

 

「心の中」「内心」とは

Beタイプにとってはこの内的世界を指し

 

「場所」「空間」のようなものとして認識されています

 

 

※Doタイプにはこの「空間」としての「心の中」がありません

(感情はその時々頭の中に浮かんでくるもので

まとまりを持った空間とは認識されていません)

 

 

 

内的世界は

水鏡のように現実を映している

「感情の海」のようなもので

 

外的刺激の影響を受けて揺らぎます

 

 

 

「心(メンタル)の状態が悪い」とは

 

外界の刺激を受けて

様々な悪感情が誘発され

内的世界が濁ったような状態を指します

 

 

自我は通常

身体の中という日常世界と

心の中という精神世界(内的世界)を行き来しています

 

(内的世界=精神世界なので

自我がそちらにいるときにできるのは感じることと考えることのみです

会話したり、活動したりするときには、身体の中にいて身体を動かしています)

 

 

 

日常生活送るうえで外部の情報を取得するには

「身体の中にいて比較的フラットに外界を見ている状態」 と

「内的世界に潜り込んで内側から外界を見ている状態」 と

2パターンあります

 

 

 

いずれの場合も

澄んで透明度が高いのが良い状態

 

外的刺激に誘発された悪感情等で濁って昏く視界が悪いのが悪い状態です

 

 

 

良い状態だと内的世界は

生命力の源や回復ピットとして機能します

 

 

 

 

 

 

状態の悪いときパターン①

 

 

現実世界で起こった

怖いものや辛いものから逃げようと

自我が身体から内的世界の奥深くにまで逃げ込みます(図左)

 

【図2】左側:Beタイプ 状態の悪いとき①
 

グレーの人型が身体で

卵の殻にこもっている緑の人型が自我

 

内的世界にいようが身体にいようが黒いのからは逃げられない

 

 

 

 

 

ところが

 

逃げ込んだ先の内的世界にも

自我と共に『嫌な思いをした時の感情』や『言われた内容』『その時に思ったこと』など


主観的に印象深かったことを一緒に持ち帰ってしまいます

 

 

 

怖いものや辛いものから逃げたにも関わらず

 

『安全だったはずの内的世界』でも

持ち帰った『なにか(図の『黒い人型』:内在化した親の目、権威の目、世間の目等が集積したもの)』による

自我に対する積極的な加害や迫害が起こります

(=無意識で自責している状態)

 

 

 

また基本的に内的世界を通じて外界を見ているため

 

黒い人型に内的世界で責められると

ストレスで内的世界も身体の中も濁り

現実世界が捉えづらくなります

 

 

 

つまり

身体に居て現実世界を見ているつもりでも

内的世界の責め苦に心身を占拠されている状態になります

 

 

こうなると内的世界も身体の中も濁っていて見通しが悪いせいで

自我が自身の身体と正常に接続できず

認知、運動機能が不安定になり、低下します

 

 

表面的な現れ方としては

 

外部刺激に対して

被害妄想的になって引きこもりがちになったり

します

 

 

 

 

 

状態の悪いときパターン②

 

 

現実世界で起こった

怖いものや辛いものに立ち向かおうと

行動量を増やして対応しようとします(図右)

 

【図2】右側:Beタイプ 状態の悪いとき②

右側の身体の頭の周りをぐるぐる囲んでる黒い人型は

内在化してしまった嫌な言葉等

身体の中のバンザイしてる緑の上半身が自我

 

 

 

 

ところが

状態の悪い内的世界に心身を圧迫されていると

短絡的な判断をすることが増え行動量に見合った結果が出ません

 

 

外部刺激に対しても

状態の悪い内的世界が常にチラついていたり

身体の中も濁っていて見通しが悪いせいで

状況が掴みにくく

 

自説のみを頼りにして状況を変えようとしますが

内的世界からも切り離されてしまっているので力が出せません

 

 

 

また「内的世界」を省みて傷ついた自分を自覚することを避けるので

人の忠告なども内側に取り込むことが難しくなります

 

 

このとき

表面的な現れ方としては

 

外部刺激に対して

頑迷固陋になり過剰反応して他責したりします

 

 

 

 

 

 

状態の良いとき

 

自我が身体にいられる時間が長く

内的世界から出たり入ったりもスムーズです

 

【図3】Beタイプ 状態の良いとき

身体の中が澄んでいて圧も低いので

身体の中にいることが苦にならず滞在時間が長くなるし

内的世界と身体をスムーズに行き来できる

 

内的世界が心身に多大なる影響を及ぼすのはBeタイプの常なので
内的世界の煌めきが身体にいるときも感じられる

 

 

 

外部刺激に対しても反応が良好なため

自我が即座に自身の身体と正常に接続できます

 

 

身体と自我と内的世界の共鳴が

全てにおいて良好な影響を及ぼし

 

考え込んで止まってしまうことが少なく

生き生きと活動できます

 

 

具体的には

考えたり、さらにそれを誰かに伝えたりすることもスムーズで

何かを見聞きしたときに

面白い!とワクワクしたり

どうやろうかと考えて動けます

 

 

また

安心してボーッとしていられる時間が長く

身体の心地よさを感じ取れます

 

心地よさから行動に移そうとしたときに

そのままスムーズに動け

 

行動の結果

相手から受け取ったものを嬉しいと思い、また行動したくなります

 

 

必要以上に内的世界が肥大しておらず

自分とともに相手のことも尊重できるようになります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Doタイプにおける 状態の良いとき悪いとき

 

 

前提として

 

観測の目は

 

前の記事における

 

 

【引用1】【引用2】の画像のように


目だけだったり巨人だったり

または小人だったりするように感じるのですが

 

 

 

性質としては

常に自身のバックグラウンドで稼働し続けている

監視カメラのようなものであると思ってください

 

なので意識していないときでも

常時自分と周囲の状況を観測し

情報を収集し続けています

 

 

※Beタイプにはこのバックグラウンドカメラ「のみ」を動かす機能がありません

(俯瞰して周囲の情報を広く取得することはできますが

その際もカメラ=自我なので「自分の入った映像」を認識することはまずありません)

 

 

 

ここでは

その観測の目の働き方によって呼称を変えることとします

 

 

 

 

自我が意識してもしなくても

常時働いて周囲の情報を取得しているのが観測の目ですが

 

自我が必要とするときにも操作が行えていて

 

 主:自我

 従:観測の目

という状態のときは観測の目

 

これが健全な観測の目の働き方です

 

 

 

 

ところが

情報を常時自動取得しているので

 

その最中に例えばウイルスやフィルター等の色眼鏡のようなもの

(親の目、権威の目、世間の目という概念的意識やそれを取り込んだ自分自身)紛れこんでしまい

 

監視カメラが送ってきた情報に対し

いちいち注意喚起されるような状態になると

 

 主:観測の目

 従:自我

 

となってしまいます

 

(本来は監視カメラだったはずのものが

偽のアラートを吐いてくるようになり

自我は気付かず対応しようとしてしまうということが起こる)

 

このように変容してしまった場合は自意識

と呼ぶことにします
 
 
 
 
 
 
状態の悪いとき パターン① 
 
 
これが観測の目が
肥大した自意識になってしまった

 

 主:自意識

 従:自我

 
という状態です
 
 

この場合

自我は身体サイドに意識が向いたり

自意識サイドに意識が向いたりして


アラート(こうするべき、こうしないと大変なことになるよ!)に対応しようと

必死で行き来しています

 

 

【図4】Doタイプ 状態の悪いとき①
 

左側:身体の中に自我がどっぷりと入り込んでいるせいで

必要以上に身体の感覚やそれに伴う感情等を拾ってしまい

思考も自我もそれらに圧迫されて翻弄されてしまっている状態

 

右側:居心地の悪い身体から自我が少し離れている状態

 

 

 

 

まず

 

現実世界で起こった

怖いものや辛いものから逃げようと

自我が身体から観測の目まで逃げます

 

 

自我が一時的に観測の目に避難している間に

思考を働かせて原因を解明し解決できれば良いのですが

 

そうでなければ

ただただ逃避する時間が長くなります

 

 

 

逃避する時間が長くなると

本体である身体と心の苦痛を無視して動こうとし始めます

 

 

怖いものや辛いものから逃げた結果

自分自身の身体や心に寄り添う意識をなくし

 

属している集団から疎外や迫害をされないように立ち回るために

模範的だと思われる行動や思考を優先し始めます

 

 

 

自分自身が模範的だと思われる行動や思考をしているか否かを評定するため

 

『必要に応じて自分が使う監視カメラのようなもの』(観測の目)

自分自身を監視するカメラ』(自意識)に変化してしまいます

 

 

 

 

その結果

自我が

 

自意識サイドに同調し

自分自身を責めたり

 

(図4 右側の状態)

 自我が身体から離れて身体の感覚や感情等から少し遠ざかれるが

 自意識のほうに同調して自分に対し

 「お前はなんでそんなこともできないの?」とダメ出しをする状態(加害モード)

 また、自意識に同調して自分を責めていると同時に

 周囲の人に対しても「お前はなんでそんなこともできないの?」と感じやすい状態(他責モード)

 

 

身体サイドに同調し

自分の非を探して正そうと必死になったりと

 

(図4 左側の状態)

 自意識からの忠告のふりをした脅しを間に受け

 自分でも自分を責め「私はなんてダメなんだろう」とダメ出しをする(自責モード)

 親の目、権威の目、世間の目という概念的意識やそれを取り込んだ自分自身に監視されているので

 外部刺激を、批判や叱責と誤認しやすい状態(被害者モード)


(この際、身体の中に入りこみすぎていると

冒頭や左の図のように感情やバイタルに振り回されすぎる感覚になります)

 

 

 

常に自分を監視して

 

何かあれば婉曲にうるさい小言を言ってくる

肥大した自意識に自我が振り回されて

 

2つのモードを行ったり来たりする羽目になります

 

 

 

 

 

 

 

状態が悪いとき パターン②
 
 
①は観測の目自体がハックされたパターンですが
 
さらに身体や心本体がダメージを受けた場合には
身体も心も自意識も置き去りにして
 
自我だけ遠いところ(高いところ)に逃避する場合があります
 
【図5】Doタイプ 状態の悪いとき②

自我がとても遠いところに逃げたため

自分の身体や心に起きていることを他人事のように感じるようになる

 

 

 

 

 

Doタイプの性質として

 

自我が身体と心から距離を取れば取るほど

疲労や心や感情を無視することが容易になります

 

 

 

観測の目によって

常に周囲の情報取得や身体や心の監視は続けられているのですが

 

自我はそれら全てを俯瞰する位置に逃避しているため

 

機械的に思えるほど

自意識の発する「こうするべき」を達成することができます

 

 

 

これの何が悪いかというと

 

本来は

 

身体と心と自我との間には主従関係はなく

パートナーシップのように対等であるはずなのですが

 

 

となってしまい

 

 

自我が主ではあるものの

身体と心は取るに足らないものとして無視され

 

自我にとって身体は

すべきことをさせるための端末のような存在と化してしまいます

 

 

これにより

 

観測の目が集めた周辺情報のみをもとにして

自我が「判断」した内容を機械的に遂行していくことになります

 

 

 

身体がいくら疲弊しようが 

心がいくら悲鳴を上げようが無視できてしまうので

 

 

主体的に動いているはずが

 

実際は

 

何かを達成しても

心を無視して動いているので

 

充足感が得にくく 

 

 

身体を無視して動いているので

 

突然身体を壊したり

気付かないまま過労死リスクが上がっていたりします

 

 

 

 

 

 

 

状態の良いとき
 
 
自我が身体に入りすぎず、また離れすぎもせずに
 
『頭』と『頭の後ろ斜め上にある観測の目』
両方にまたがるように存在しています
 
 
image
【図6】Doタイプ 状態の良いとき
自我が適切な位置にいるため
身体や心を尊重しつつ意思決定ができ、思考も圧迫されない
また、『みんな』や『一般的にどうか』や『常識』などを踏まえつつも
それがこの場の自分にとって必要かどうかを取捨選択できる
 
 
 
 
この位置に自我がいると
 
身体に居るので
心や身体の欲求を汲み取りやすく
 
また
身体に入り込みすぎていないので
その時その時の感情に振り回されにくい状態となります
 
 
 
観測の目にもまたがっているため
 
ふとした瞬間
観測の目を欲しいところにドローンのように派遣し
観察考察することができます
(基本無意識に派遣しています)
 
 
 
後ろ斜め上にある観測の目は
物理的には何もない空間なのですが
 
自我が身体の中にすべて収まるのではなく
 
この空間(観測の目のあるところ)に
はみ出しているのが結構重要になります
 
 
 
この状態のとき
観測の目は必要に応じて自分が使う監視カメラとして機能し

身体と心と自我との間には主従関係はなく
パートナーシップのように対等で

調和がとれ
 
外界に対して活き活きと自分自身を表現していくことができます
 
 
 
 
 
 
共同執筆:並木レイナ
 
 
 
 
 
 
 
 
これからも
 
徐々に
ヒューマンズタイプの基礎の記事をあげていけたらなと思っております
 
 
 
 
ヒューマンズタイプの基礎は
記事として無料公開していくつもりですが
 
待ちきれない方は
7/20の基礎講座の動画の有料販売も行いますので
 
そちらもどうぞご利用くださいませ
 
 
 

 

《ヒューマンズタイプ基礎》

 

・BeタイプとDoタイプについて

・BeタイプとDoタイプの状態の良いとき悪いとき ←イマココ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 公式ラインはじめました

 

 

 

 

友だち追加