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巻物を咥えてドロン!

 

                                                             神代文字

 

小学生の頃、私は、ひとつの「巻物」を作った。わら半紙を丸めて、

紐でくるりと結んだだけの、ささやかな巻物。

でも、いざ中身を書こうとしたとき、

「さて、この中には何を書けばいいのだろう?」

書くべきことが思いつかず、しばし悩んでいると、ふと頭をよぎったのは、

時代劇で観た「血判状」だった。真剣な面持ちで指を切り、血で名前を書く

武士たち。子ども心にその覚悟の重さは感じたが、さすがに自分の指に傷を

つける勇気はなかった。

「うーん、血を使うのはちょっと……」

ならば、あの巻物は一体なんのために?

やがて私は、「忍法の秘伝書」ということに落ち着かせた。そうだ、自分は忍び。

これは、誰にも見せてはならぬ禁断の巻物なのだ。そう思うと、なんだか胸が高鳴った。

だが、見本もなければ、書き方もわからない。手本のない世界で、何を書けば忍びらしくなるのか。

迷った末に、私は筆を取り、そっと書き始めた。

 

                   空海(弘法大師)

いろはにほへと ちりぬるを……

それは、なぜか自然に、心から溢れ出た言葉だった。

「あいうえお」ではなく、「いろはにほへと」。

なぜだか、自分の中では「忍術」という摩訶不思議な術と、この「いろは歌」が、

不思議と結びついていた。音の響き、言葉のリズム、それに隠された何か……。

それはまるで、古の呪文のように感じられた。

 

後に知ったことだが、「いろは歌」は重なりのない音だけで構成されており、

江戸時代には文字を覚える手段として使われていたという。

しかも、その起源は平安時代の空海(弘法大師)にまで遡るのだとか。

 

空海は、はるか唐の地で仏教を学び、短期間で深奥の教えを会得し、日本へと

持ち帰ったとされる。

その漢字による文章を目にした唐の高官たちは、あまりの巧みさに驚愕したと

いう伝説もある。

空海が作った「いろは歌」。もしそれが事実なら、そこには何か、言葉を超

えた真理が込められているのではないか。

 

言葉は、ただの記号ではない。

思えば、もっと遠い昔。日本にはまだ漢字が伝来していなかった時代。

日本には漢字伝来まで文字はなかったというナンチャッテコメンテーターが

いたが。。

日本には、縄文時代から神代文字と呼ばれる独自の文字を持っていた。

そして、縄文の人々は、文字がなくとも心を通わせていた。

 

声なき言葉。文字なき約束。

もしかすると、私が「いろはにほへと」と巻物に書いたのは、そんな時代から

受け継がれた、魂の記憶だったのかもしれない。

 

つづく。。(笑)