私が幼い頃の家には、すでに内風呂があった。
近所の家々では、まだ共同風呂へ行くのが一般的だったが、私が三歳のときに引っ越した家には、木で作られた風呂が備え付けられていた。勝手口の横には薪をくべる場所があり、母はなたを使って薪を割りながら風呂を沸かしていた。
パチパチと薪がはぜる音、湯気が立ちのぼる匂い——それは今でも私の記憶に深く刻まれている。
私は、年齢のわりに遅い時間に風呂に入る習慣があった。母が仕事から帰ってきて、夕食を作り、家族が順番に風呂を済ませた後、最後に母が入るときに、私も一緒に入れてもらっていた。
時刻はおそらく夜の十時ごろ。幼い私にとっては、決して心地よい時間帯ではなかった。
当時、私はまだ母に入浴を手伝ってもらう年頃だった。しかし、問題は、風呂に入るその時間にはすでに布団に入って一度眠りについていることだった。
母の風呂の時間になると、私は優しくゆすられ、起こされる。寝ているところを起こされるほど不機嫌になることはなかったが、
やはり寝ぼけ眼のまま湯船に入るのは、何とも言えぬ不快感を伴うものだった。
そして、その湯船の中で、決まって聞こえてくる音があった。
シーンと静まり返った冬の夜、その音はどこからともなく響いてくる。
かすかに、しかし確かに。まるで“悪魔がきたりて笛を吹く”のように、私の幼い耳には物悲しく響いた。
その旋律は寂しげで、胸の奥にひんやりとしたものを感じさせた。
ある日、風呂の中で母に尋ねた。「あの笛の音は何?」
母は少し微笑んで言った。「あれはね、人さらいの音よ。悪い子は、あの笛を吹く人に連れて行かれるのよ。」
私は小さな体を縮こませ、母の言葉に戦慄した。そんな音を聞くたびに、暗闇の向こうから得体の知れない影が近づいてくるような気がした。
やがて私はその音の正体を知ることになる。それは、冬の夜に町を歩き回る夜鳴きそば屋の“チャルメラ”の音だった。
あの寂しげな笛の音は、ラーメンを売るための合図だったのだ。
真相を知ったとき、私は少しほっとした。しかし、あの時感じた寂しさの感覚は、今も心の片隅に残っている。