凧は連想ゲームのように | humanskill-blogのブログ@

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自分探求のブログ

先日久しぶりに「みなとみらい21」に車を飛ばした。

海を見ていると凧をあげている人がいた。

最近では珍しい風景だ。。それを見ていた時、記憶の扉がまた開いてきた。

 

 

私のこころの旅は、記憶の中のビジョンからそっと始まった。 記憶が減ってしまう前に、その歩みを記しておきたい。

そんな思いで、私はかこの記憶の整理を始めることにした。

私は小さな頃から日記をつけることもまばらで、記憶をたどるのは心の写真のようなイメージをみつめることだった。

記憶の大洗浄の最初のファイルを開けると、それは家の中ではなく、外の風景だった。

季節は。。。冬。なぜか私の小さい頃の記憶は冬のシーンと共にある。それはきっと、冬の清潔で冷たい風が、私の心の中に深く残っているからだろう。

そして、一つの記憶が薄汚い体温を投げかけてきた。

私は実家の近くの道に立っていた。

そこにあらわれたのが、北ダコタから来た、バブさんという隣の家の人だった。

彼は突然、私に「この翔を上げてみるかい」と言った。たぶん。。

うちの上の方にお寺があり、そこの大きな広場から凧をあげた。

きれいな色の凧でもなく真っ白な四角い大きな凧だった。

上げた凧は風にのり、大きな縄糸が彼が持つ手製のリールが手をするり抜けるように高く高く上がっていった。

彼は私にリールを持たせ、一緒にそのあたりを楽しんでいた。

嬉しい。でもどこかで凧の力に腕を引かれる感覚に怖さを覚えていた。

その瞬間、「あっ!」と、私は手を離してしまった。

凧は無音の鳥のように大空に向かって昇って行った。

彼は凧を追いかけた。やがて大きな杉の木にリールをひっかけ、下に落ちていく凧があった。

あの時の強く引っ張られた感覚と、一瞬の恐怖はいまでも忘れられない。そして、気まずさ。。。