川崎大師と私——30年間の訪問と思惑 | humanskill-blogのブログ@

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自分探求のブログ

新しい年を迎えるたびに、私は川崎大師へお参りに行く。もう30年近く続けている習慣だ。最初に訪れたのは、まだ若くて不安の多かった頃。何かを求めて足を運んだのがきっかけだった。でも、そこから少しずつ人生が変わって行った気がした。

私にとって、新年は二回訪れる。一つは1月1日。そして、もう一つは2月の「立春」だ。立春は、旧暦では一年の始まり。自然界も冬の眠りから目覚め、新しいサイクルが始まる時期だ。だからこそ、私はこの日を大切に思っている。

川崎大師は、ただのお寺ではなく、私にとって特別な場所。ここは「感謝を込める場」であり、「新しい決意をする場」でもある。

境内に足を踏み入れると、どこか心が落ち着く。香の煙がゆらゆらと空に溶けていくのを見ているだけで、不思議と気持ちが軽くなる。そして、参拝に来る人々の真剣な表情を見ていると、自分だけじゃないんだと感じられる。

弘法大師(空海)が伝えた真言密教には、深い知恵が込められている。特に、唐から持ち帰られた曼荼羅には、宇宙の真理が描かれていると言われる。それは、目に見えないけれど、確かに存在する何か——私たちが生きる上で大切な「本質」を表しているのかもしれない。

初めて川崎大師を訪れたのは、心がざわついていた時だった。何をやっても思うようにいかず、焦りと不安ばかりが募っていた。そんな中、ふと「ここへ行ってみよう」と思ったのが始まりだった。

本堂に入り、手を合わせ、真言を唱えた瞬間、なんだか肩の力が抜けた。もちろん、すぐに何かが劇的に変わるわけじゃなかったけれど、心の中で何かが動き出したように感じた。それからは、折に触れてここを訪れるようになり、少しずつ前向きな気持ちを取り戻していった。

 

私は決して信徒ではないのですが、真言密教に興味があります。

真言密教では、「言葉」「行動」「心」の三つが大切だと言われている。

 

ただ「お願いする」だけでは何も変わらない。心を込めて感謝し、そして行動すること。そうすることで、少しずつ運命が動き出す。これは、私自身が身をもって感じてきたことだ。

30年の参拝を続けてきて、今また新たな節目を迎えている。次の30年へ向けて、私はどんな道を歩いていくのか。過去を振り返りつつも、新しい自分を見つけていく時間にしたい。

川崎大師は、私にとって「区切りの場所」であり、「新たな一歩を踏み出す場所」でもある。ここで祈ることで、また前へ進む勇気をもらえる。

これからも2月の節入りの日(立春)にはここを訪れ、静かに手を合わせる。そして、祈るだけでなく、一歩を踏み出す。その積み重ねが、私の人生をつくっていくのだから。