「ヒューマンプロファイリング」あなたが分かる相手も見えてくる、幸せの秘訣 -26ページ目
私達の
世代には、
あまり馴染みある慣習イベントではなく、
街を飾る
ディスプレーなどにより
ハロウィーン収穫祭と
秋を連想させる位なのですが・・・
しかし、
その
起源とケルト族との関わりを知るとき、
好きな
アーティスト達の
源流にケルト族の歴史と感性が
脈々と流れていることに興味を覚えずにはいられません。
今現在の
日本で楽しまれているような
ハロウィーンは、
アイルランドをはじめとする
ヨーロッパ各地から
移民によって
アメリカに持ち込まれ
培われたアメリカ版
ハロウィーンと言えます。
このアメリカには
アイルランド系の
移民が多く、
アメリカ人の
15%近くが
アイルランド系の祖先を
持つとまで言われています。
たとえば、
あの
ジョン・F・ケネディ、ロナルド・レーガン、
ビル・クリントン、
ウォルト・ディズニーなど、
政治や文化などに
大きな影響を与えた人達の中にも
アイルランド系アメリカ人は少なくありません!。
これらの
祖先達が、
アイルランドの文化と風習をアメリカに持ち込み
アメリカの
風土と結びついて世界中に広まった
お祭りが
実は「
ハロウィーン」というわけなのです。
ハロウィーン(Halloween)とは、
7世紀初頭に定められた
キリスト教の
All Hallow's Day「
諸聖人の日(万聖節、11月1日)」の
前夜「All Hallow's Even」が
短縮され
Hallowe'enからHalloweenと
変化してきた言葉で、
もともとは、アイルランドやスコットランドに
キリスト教が伝わる
遙か昔からケルト人によって
祝われていた
古代の祭りで、
Samhain(サウェン、サワーンと発音)にその
起源があります。
Samhainとは、
ケルト人にとって
収穫期が終り、
厳しく暗く
長い冬のはじまりであり、
そして
新しい一年のはじまりを祝う
祭事でした。
ケルトの一年の終りは
10月31日とされ、
この晩は物事が移り変わり
時間と空間の境目が
一時的にあいまいになり
死者の霊が家族を訪たり、
精霊や妖精、魔女が出てくると信じられていました、
そこで、これら
悪霊や魔物に取り付かれないよう、
追い払おうとして
恐ろしい格好をして仮面を被ったり、
魔除けの
焚き火(Bonfire)を焚いたりしていました。
日本に置き換えると
お盆と大晦日が
一緒のような日が
ハロウィーンということになります。

この
ケルト人は、
神々妖精とともに暮らし、
自然のすべてに精霊が宿っていると信じ、
現実の世界と神秘な世界を結ぶのは神話であるとし、
自らの
文字を持たなかった彼らは
渦巻きや組み紐紋様によってその
心を表現しようとしました。
~
ケルト民族は、
やさしく夢を己にあてがい薄明に妖精の歌を聞きつつ
魂や死んでしまった者達をしみじみ考える~
ここに
ケルト民族がいる。 イエイツ「
ケルト妖精物語」より
しかし
現代において、この
ハロウィーンは、
本来の
宗教的な意味合いはほとんど
失われ、
欧米、特にアメリカで
民間行事として
定着しており、
カボチャの中身をくりぬいて中にろうそくを立てた
「
ジャック・オー・ランタン」をつくったり、
子供達が
魔女やお化けに仮装して近くの
家々を訪れ 「
Trick or treat(お菓子をくれなきゃ、
いたずらするぞ)」と
唱えお菓子を貰ったりする
風習などがあります。
家庭によっては、
カボチャのお菓子を作ったり、
子供たちが貰った
お菓子を持ち寄りパーティーを開いたりします。
音楽や芸術の世界における
ケルト人や
ケルト音楽に系統するアーティストも数多くおり、
これらの
楽曲音楽は心に
清澄と優しさ穏やかさをもたらし
ヘイリー Hayley Westenraの清らかな
歌声は
新たな始まりと
魂の清浄と心地よいひとときを私達に与え、
ユーレイズミーアップ(You Raise Me Up)などで
素晴らしい女性音楽グループ
ケルティック・ウーマンや
その他にも、
アイルランドの女性アーティストの
エンヤ(Enya)や
リチャード・クレイダーマン、
アルタンなど、
数多くのミュージシャンがアイルランドの
ケルト音楽を
楽曲に
取り入れています。
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先日の
お彼岸の
新潟への帰省で
多くの嬉しいことがありました。
今回も滞在が短いため
誰にも連絡を入れず帰ったのですが
比較的近所だつた
小中の
友人に会え話したところ
ストレスもあり早期退職をしたとのこと、
再び
会う約束をし連絡法を交わし、
家の片付けやお墓周りの除草と清掃に
多く汗したので
サッパリ身綺麗にしたくて
海沿いのクワ施設の
温泉に入浴微睡んでいると、
高校
卒業以来の
友人に偶然にも出会い
懐かしい
話しと近況を湯船で語らい過ごしました。
その帰り
見上げると
綺麗な
夕焼けが
目に飛び込んできました。

私の
脳裏には、
”
若き日の輝きと流れゆく時の儚さ”を
想い嘆き目頭を熱くした
フランシスコッポラの
映画「
アウトサイダー」の主人公の
若者達が
人生をなぞらえる如く ”
美しく移ろい儚くその姿を変え行く夕焼け”を
見上げ語らう時に
スティービー・ワンダーの
この
Stay Gold / ステイ・ゴールドが流れ
とても素晴らしい
あのシーンが直ぐにも
想い出されてきたのでした・・・。
”
若く純粋で光り輝く素晴らしき日々”
良き
友の
微笑みと人生を想うとき
つくづく多くの
時間を見送ったことを
あらためて
深く想う
・・・Stay Gold / ステイ・ゴールドあの時の昔のことを思い出そう
ふっと一息ついたら
そこには昔のきみがいるだろう
とても若く 無邪気だったね
そして 今だったらわかるだろう
その時のその場所が
・・・とても輝いていたことを
騒がず静かにあの頃に戻ろう
きみはすべてのものが
永遠に続くと思っていたね
でも天気が急に変わったりするように
変らないものなど何もないんだ
・・・そのとき輝いていたくても
僕らが見ることのできる
鮮やかな思い出たちも
輝きを失ってしまうのか
そして きみは言う
太陽は必ず沈むもの
ただ、そのときには
ひとすじ残す陽の光は
とても輝いているんだ・・・
人生は瞬きする間に過ぎていく
悲しみと思いやりに満ちている
想像できないだろうけど
すべてのものごとは
すぐに過ぎ去ってしまうんだ
たとえいま輝いていても
光を放っているものであっても
いつまでも輝いていてほしい
輝きはそのままでいて・・・
この
素晴らしい詩と曲の Stay Gold/ステイ・ゴールドは
フランシスココッポラの依頼で
この映画のために1983年に作られ
当初はアルバムに収録され、後に
シングルカットされたました。
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夏の
帰省と
お墓参りが出来ず
気がかりでしたが、
この
お彼岸に ご住職のご都合をいただき
手厚く
拝むことができ本当に良かったです。
この期間の
HPアドバイスの予約は受けず
21日の美容サロンの混み具合をみて
午後
3時にこちらを
発ち、
翌
22日の午後3時に
帰路に就いたのですが
渋滞に捕まり 結局、家に着いたのは夜
9時間
半を
大きく回ってしまっていました。

最近では、
長距離の
運転が段々と
辛くなり
少しでも疲れないようにと
スポーツウェアにアクセル感の良い
薄手のビーサンの
怪しいスタイルが
本人にとっては
疲れにくく満足しています。


新潟の
行き帰りの
一部
区間はいつも
高速をあえて利用せず
海岸線を走れる国道
8号を行き
海沿いの景色と心地よい風に吹かれ
幸せな
リラックスドライブを楽しみました。
今頃の
季節のドライブは
本当に
気持ちがいいですよね
! 雪が降る
前にもう一度
ゆっくり訪れたいものです
・・・ 強行日程で
疲れましたが 気がかりを一つ解消でき今日からまた
いつもの日常に戻りたいと思います。
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人は、きっと
”
そんなはずはない”と
認めたくない
事実や
自身に
都合が悪く見たくない
現実を
無意識にエスケープし
己を守ろうとする・・・
”
先入観や決めつけ” から
”
関心や関係がない” から
”
動揺や憤りが心を支配する” から
”
決してそんなことありえない” から
いろんな
理由で
心は真実を曇らせる
自身にとり
一番
触れられたくないものや
受け
入れ難く都合が
悪いことを
潔く 受け入れ立ち向かわないことが
いま、あなたが
直面する すべての問題の ”
根” なのかも知れません
・・・! ホームレスへの偏見と理解への試み、
大切な人が
分かる分からない
? もし
事実に飛び込む勇気を出せば・・・
未来や可能性が
オセロのように
裏返り
隠しておきたかった
弱みは
あなたの
特性となり人間味” となります。
静かに着実に
笑顔と自信を積み
重ねれば
もっともっと ”
素敵” なあなたになれる・・・。
たとえ、
強く
決心しょうとも
不安や些細なことで揺れ動く心は ごくごく
普通でみんなも同じことです・・・
それでも、
くじけそうな時には
初めて
あなたを胸に抱いた母の喜びと祈り その
想いを一心に受ける子の柔らかき心情を・・・
愛されているあなたは ”皆の夢であり希望” なのです。
ヒューマンプロファイリング
ハートフルアドバイス


いま思うと 80年代と
90年代、学生から社会への
理想と期待で”苦しく幸せな”時代でもありました。
まだ未熟で単一なる価値観と
狭き正誤に
執心し
己が在る前より積み重ねられし社会の歴史による 無数の
正解と正義に苦しみ変質し変わりゆく社会を
理解
納得することが
難しく 人は、社会は、恋愛は、そして結婚は”
斯くあるべき”と
足りぬ
経験と
乏しい柔軟性による対処見識に苦しんで・・・
自身を
背かず 内なるものと
社会で生きる現実を
どう収めて生きるかを
書物に映画に音楽の中に、
最も近い
先人である先輩や
大人の
生きざまに、
リスペクトする
全てのものに
請い答えを
模索した
70、80、90年代を
生き過ごせたことは
いろんな意味で
ラッキーで恵まれていたとも思えます。
失望や苦脳そして可能性への挑みにも
いつも
側にあり
救われたのは
音楽でした・・・
*
80年代 Air Supply お薦めマイチョイス*
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