能登の様子B班(1日目) | 千葉大学2008デザイン工学総合プロジェクト

能登の様子B班(1日目)

こんにちは。鈴木サダです。

能登への調査のB班(鈴木サダ、千原、依田)の報告です。
僕たちB班はA班より1日遅れで能登入りをしました。


まず始めに伺ったのは、輪島消防署。
一番揺れが大きかった地域の消防署。

ここでは、地震の瞬間の様子とその直後の対応について話を聞きました。

印象的だったのは、「震災時のマニュアルはあったが、いざ地震が起きた瞬間は驚いて何も出来なかった」という消防員の方のコメント。

やはり、大きな揺れの時には簡単には動けないようです。

地震発生の時間帯は午前9時過ぎと、家庭で火を使う時間帯ではなかったので火災もなく、地元住民は家の外に出ている人が多い時間帯だったため被害が少なかったとのこと。

また地震の直後は地元住民同士がお互いの安否確認を素早く行ったという。これは、普段からの近所の付き合いがあり、どこに誰が住んでいるかわかるような関係の地域コミュニティであったからだそうです。

都心ではなかなかこうはいかないなと思い感心してしまいました。


輪島消防署
消防署の周りが地盤沈下により沈んでしまっている。


次に訪れたのは、輪島市立諸岡公民館。

輪島市立諸岡公民館

ここは地震直後から避難所となっていたところです。
避難所を管理していた公民館の館長さんと、ここ地域一帯の区長さんにお話を伺いました。

ここでは250弱の避難者が宿泊をしていたが、館長さんと区長さんの様々な配慮やその人柄により避難所の運営は割とうまくいっていたようです。

避難所で問題となったのはやはり「水」。

救援物資が届くまではトイレを流すための水や、手を洗うための水の不足のため衛生面で問題があったそうです。

また、館長さんの「私達の避難所には多くの救援物資が届いたが、避難所には来ていない、自宅で暮らしている人達にはどれだけの物資が行き届いてるのかが気がかりだった」という言葉が印象的でした。



最後に訪れたのは、国営宿舎の輪島荘というホテル。
ここも震災時に避難所として利用されたと聞いて伺いました。

国営宿舎輪島荘

取材が始まってみるとここ輪島荘では他の避難所と少し違った役割を果たしていたことがわかりました。

避難者は16人程で、別の避難所で生活していた人が数名移動してきたということでした。

他の宿泊者達は防災大臣や内閣の災害担当の方々、県警の方々、国土交通省や自衛隊の方々だったそうです。やはり国営の宿舎ということで、震災後の復興関係者が多かった様子。

輪島荘は、復興支援者を支援するというポジションで活躍していたようです。

そんな立場もあるのだなと新しい発見ができました。

また、宿舎のお風呂が使えたので被災者達に風呂場を貸すという銭湯のようなサービスが喜ばれたという話も聞けました。




この日一日で、震災における人々の様子は複数の側面を持つことを実感すると同時に、それらの複数の視点から震災時の様子を知ることが出来ました。
インタビューに親切丁寧に応えて下さった皆様、どうもありがとうございました。




<能登の様子>

能登地震の土砂崩れ
土砂崩れ


能登地震の土砂崩れ2
土砂に巻き込まれた車がそのまま残っていました。
車の持ち主は無事だったようです。


能登半島地震液化現象
液化現象。
地盤が崩れていました。
地面の表面はコンクリートで覆われていても自然の力の前ではこうなってしまいます。


能登半島地震歪んだ家屋
地震により歪んでしまった家屋


能登半島地震廃材置き場
縦壊した家屋の廃材置き場


能登半島地震の傷跡
地震で崩れたコンクリート塀


能登半島地震の傷跡2
家を立て壊した跡