こんばんは
本日は、
季節を分けるという
節分
季節の分かれ目だと言っても
まだまだ寒さは続きそうですね
冬来(きた)りなば春遠からじ
→苦しい時期を耐え抜けば、
やがて幸せが巡ってくるの例え。
私たちは季節と同じですね。
季節の移り変わりは遥かに遅いけど、
移り変わるってところは、
私たちの日々
びっくりするくらい瞬時に変わる
感情と同じって意味でね
ほんと私たちの感情は、
日によって
ジェットコースターのように
上がったり下ったり、
浮き沈みの激しい日々もあったりします。
感情の起伏が激しいと、
そりゃ消耗もするし、疲弊もする。
だから、
フラットにしようと努め、
ネガティブな感情は押し込めようとする。
いつも努めて(勉めて)肯定的な感情の自分で
あろうとします。
例えば、
自分で思っている自分という人間が、
自分は優しい人間だ!
なんて思っている方は、
例えば、
怒りの感情などが湧いてくると、
私は優しい人間なのだから
怒ってしまった自分を後悔したり
責めたりもする。
優しい人間は、
決して怒ったりしてはいけないと、
その怒りの感情を伴う自分が
優しい人間だと認識している自分から
叱咤されたり叱責されたりして
怒りを飲み込まされてしまう。
否定されちまう。
ネチネチと、ぐちぐちと、
ねちっこく
それはあかんやろが
などと言われて隠さざるを得なくなる。
で、
そんな自分が自分なんだと思い込む。
そんな自分を、
それが自分全てなんだと
皆んな思い込んでいる
優しい自分ってのは、
優しい自分になった方が
何かと好都合ってのもあって、
知らず知らずに自分がそう選び、
自分が形創ってきたもので、
まあ、優しさの定義も曖昧だから
難しいのですが、
極端に言ってしまうと、
いい人(良い人)の代名詞的な資質の
一つである
優しさってやつを獲得したってこと。
で、
優しい人間だって、
自分で思っている自分を
周囲の人間も同じように、
あなたは優しい。あなたは優しい。
などと言い、
あの人はきっといい人(良い人)だと言う。
すると余計に、
そうか
私は優しい人間であり、いい人(良い人)
なのだ〜って、
じゃあそこはひとつ、
是非ご期待に応えるべく生きましょう
なんて、
ネガティブなものも当たり前に内包し、
今後も容易に生じるだろう自分を封殺して
生きていこうとする。
でも、
繰り返しますが、
私たちは人間です
日によって、
容易に、たやすく、簡単に、
コンビニエンスに
感情は揺れ動きます。
(無人島にいても揺れ動く)
季節(やお天気)と一緒
諸行無常
いい人、良い人、優しい人って
それは全ては、
相手(他者)の意向や相手の都合や相手の見方。
人によって、いい人は違い、
人によって、良い人も違い、
人によって、優しい人も違う。
誰の為に生きとんね〜ん
しっかり、自分の為に生きんかい
優しい人でおりたきゃおればいいし、
いい人でおりたきゃおればいいし、
良い人でおりたきゃおればいい。
でも、
実際は、
そればかりの自分じゃないでしょ
ネガティブな感情が生じ、
発するか発しないかはその人次第。
それが理性や知性や智慧や学習や道理。
でも、
多様な感情を持つ自分という
人間がいるのにも関わらず、
自分自身が自分自身に
レッテルを貼り、
類型化したり、
カテゴライズするべきではないと私は思う。
ほんと、思いまっせ
思考し、感じ、行動し、経験し、
それによって
人は形創られるものなんだから、
何通りの自分がいてもよし
よし!としなはれ
って思うのよねー。
では、
自分を類型化したりカテゴライズを
何故してしまうのか?
(先程の、私は優しい人間だ!ってみたいに)
って〜と、
圧倒的に思考回数が少ないか?
圧倒的に感じることの振れ幅が小さいか?
圧倒的に行動が限定されているか?
圧倒的に様々な経験や体験が薄いか?
多分、どれかやどれも。
で、
僕は、
どれも、
圧倒的に
まだまだどれこれも薄いから
自分で自分はこういう人間だ!
などとは決めていません
だってさ、
僕は、
B型だから適当ですか?鷹揚ですか?
だってさ、
僕は、
魚座だから愛ある人ですか?
世界平和に生きる人ですか?
そりゃ、
当てはまる部分もあるから、
それも参考にした方が生きやすいのも
確かだけど、
几帳面なところもあるし、
真面目なところもあるし、
嫉妬することもあるし、
こいつどついたろか!って
思うこともあるし、
セコいところもあるし、
悲観的に考えるところもあるし、
ネチネチぐちぐち後悔することもあるし、
言うなれば、
A・B・AB・O型です
おーアバァボ型 新型〜
全部あって当たり前。
その全てが私であり、
決めてない、
決めれない、
いや、
決めちゃいけない
ってのが
私の見解
そういう前提で生きてみな
きっと縛りから解き放たれますよ
見えない鎖を引きちぎれ
そうしながらね。
ゆっくりと、
ご自身のストレングスファインダー
探していってくださいね
自分にとって、
自分の強みを探すことは、
ある種の類型化ともなります。
でも、その類型化に捉われ過ぎない自分を
創ることがいかに大切か?は前述の通り。
ただ、
誰かか作った血液型よりも、
自分が創った自分型の方が
我が身を確実に助けます。
だって、
オリジナルはいつでも修整可能だからね。
だから、
ゆっくりと探してみてくださいね。
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