こんにちは

『よ』
予期しようが、
予期しまいが、
人生には追い詰められる時って沢山ある。
例えば、
仕事に煮詰まるとか
例えば、
友だちとの人間関係に煮詰まるとか
例えば、
お金に煮詰まるとか
はたまた
夫婦関係や恋愛問題に煮詰まるとか
はたまた
自身の健康問題とか
まあ、
ありとあらゆる煮詰まりが人生にはあって
追い詰められてしまう。
で、
よくよく考えてみると、
追い詰められた
んではなく、
自分が自分を追い詰めている
ってのがホントのところで、
追い詰められた〜
なんて思っているうちは
自身でコントロールが出来ないので、
深い闇に落ちていく。
いや、
深い闇に堕ちるしかスベがない。
でも、
人はわりと良く出来ていて、
自身で自身を
コントロール出来ないという感覚は
多分、
人が生きる上で、
最も辛いことなので、
なんとか自身にコントロール権
みたいな
ものを探そうとする。
その方法が、
自分で自分を追い詰めている
ってことに気づくこと。
確かに、
何ものかに物理的に追い詰められる
ってことも現実的にはある。
でも、
追い詰められて煮詰まり苦しむのは自分。
だから、
追い詰められている自分
と
追い詰めている自分
という2人の自分が自身の中にいて、
その2人のうちの
どっちを選択すんねんな〜
って自身に問うて、
追い詰めている自分を選べば良い
この2つのうちの1つを選ぶ
選択に迷っているなり、
この選択肢の発想もなく
ただ追い詰められたっていう意識だけが
あるうちが、
きっと
人生で一番辛い時期。
で、
この時期を早く脱出したければ、
必然的に
追い詰めている自分
という自分を採用するしかなく、
そうすると、
逃げる。かわす。
か
向かっていく。挑んでいく。
しか方策は取れないので
これまた選択をして
どちらかを選べば良いことになる。
つまり、
選択をする
ってことは、
選択するっていう選択権が
自身に戻ってきたってことを意味し、
自身にコントロール権が復権出来得た
って感覚が戻ることとなり、
その選択を支持していくと
安定が生まれていくってこと
人生は選択の連続なんて
人は言いますが、
実は、
道の選択
のホントの意味は
人生自体の方向性を
あっちかこっちかに
決めるだのどうのなんて
そんな表層的なものではなく、
自身の内部に生じる
2人の自分のどちらかを
選択していかざるを得ないってことであり、
そんなプロセスを言ってるんじゃないの
ってね。
私は思います
だって、
道
なんて考える時ってさ、
その選択を求めたり、
否が応でも求められたり
する時ってさ、
追い詰められている
って感覚がある時だからでしょ
大概は
自分で自分を追い詰めている
ってことの方が多いのよな
誰もそんなことは
求めていないのにさ
(まあ、世の中意地悪な奴も多いからね〜。
誰かを追い詰めて、大好物の自身の
自己肯定感のエサにしとる輩も多いからさ。
知らんけど
確実に一定数はおるよ。)
で、
又、
その追い詰めている自分
を選択したとしても、
逃げる。かわす。
向き合う。挑む。
もその時々で選択していかないといけない。
生きるってホント大変だね
だからさ、
大変だから
楽しさや心地良さや
優しさや愛やが光るんよね
つまりは、
大変だ
ってことを認めて生きりゃええんよ
たださ、
大変だ〜大変だ〜

を大安売りするのは気をつけて
だって、
皆んな 大変なんだから
大変だ攻撃(大安売りの場合ね)はさ、
甘えだとしか人は見てくれないからさ。
ホントの大変な時に
助けてくれなくなりますよ
そして、
人生なんてのは
いつも、誰もが大変なんだから、
(自分以外の他者の
大変さを僕らは見えないから
余計に分からないし
実感出来ないからこそ
自分だけが大変だって思っちゃう。)
ホントの意味で
助けてくれるのは
自分
ってことになる
人に依存するしない
や
依存していい依存したらダメ
なんてのはそもそもが不毛な論議で、
本質的に依存しているのは、
自分に対してのみでっせ
だから、
助けてくれるのは自分しかいない
ってこと。
他者に依存は、
依存ではなく活用ね。
その活用は、
他者なんだから
丁寧に配慮して活用してねってこと。
それを人は、
お互い様
と呼び、
生きる智慧と呼んでいます
どうぞ素敵な一日をお過ごしください
本日は、
夜にメルマガお届けします
お楽しみに。
つむらけんじ

