こんばんは照れ


『ち』


力が欲しい。

力が足りない。

力が出ない。

力が入らない。

力にならない。

力を溜める。

力を注ぐ。


とかく人は「力」というものを欲しがります。


力は象形文字の力強い腕の象形から

来ており、つまりは腕力を表しています。


腕力を高める為にはどうするか?

それは筋力をつけること。

筋力をつけるには、

バランスの取れた食事や適度な休養や

こまめなメンテナンスが必要であり、

勿論のこと、日常的なトレーニングの

賜物であることに間違いはありません。


そう考えていくと、

私たち誰もが欲する力とは、

ある意味筋力と同じもので、

日常や常日頃の鍛錬が必要なことは

周知のことであり、

鍛錬や努力が乏しければ力など

身につくものではありません。

非力が嫌なら

力をつける為の努力や鍛錬を

継続していく他に方法はありません。

そして何より

力をつけるにおいて最も大切なことは、

力を身につけてどうしたいか?

という明確な目的意識が必要であり、

それは動機付けがいかに重要な

ことなのかを表すものであり、

だから努力や鍛錬が継続出来る

維持出来るということとなり、

その結果、

力がつくということになる。


力を持つということは

責任が生じるってことも

考えておかなければならず、

自利だけに終始した動機付けの

継続により得られた力というものは、

その使い方を誤れば、

自ら得た力によって滅ぼされることもある

ってことを私たちはしっかりと

肝に銘じでおく必要がある。

だから、

本当に力のある人は、

自らが力があることの誇示をせず、

その力を自分以外の者に

いつでも使えるように

いつもブラッシュアップを欠かさない人

ということが言えるのだと私は思うのです。


力を身につけて、

その力をどう活用したいのか?

それを僕たちはいつも問われていて、

力をつける鍛錬の最短の近道としての

動機付けは、

自分の為ではなく、誰かの為にとすること。


人は、

自分のことを優先するよりも、

誰かの為にを優先した方が

モチベーションが湧きやすい。

モチベーションが湧きやすいということは

継続しやすいってことを意味します。
(自己犠牲は違いますよ。
自己犠牲は力の放棄でもあるからね。)

だから、

誰かの役に立ちたいを

いつもいつも想いながら努力や鍛錬を

していくこと。

そして、

誰かの為にが叶った時に、

はじめて自分の為にやってきた

ってことを知ることになる。

他者を活用させてもらっているってことに

気づくこととなる。


そこで天狗になったり

有頂天になったり、

挙げ句の果てに、

役に立つやサポートやの押しつけを

強要したりをしていくと、

勘違い君の万能感バカとなり、

結果的に、

自らの力によって滅ぼされていく。


他者によって生かされている。


その感覚が、

自らの力をつけていくということの

根源的な姿勢としたほうが、

私たちはあらゆる面で幸せになれるって、

そう私は思います照れ


素敵な夜をおねがい


本日の生き塾ブログは、

ドツボ←こちら爆笑

まあ、

こうなったほうが復活や回復は早いわなおねがい



つむらけんじ