こんばんは照れ


『す』


素直さは正直さでもあり、

素直であればあるほどに

傷つくことが増える可能性があるという

特性をこいつは持っています。


子どもの時に

大人たちは素直になりなさいと言う。

でも、大人になっての素直は

世間知らずだとか浮世離れだとか

空気読めないだとかになりもする爆笑


素直さ

って何だろうね。


また、

一部の人々が間違っていることは、

素直さと純粋さを同位にしていることで、

素直なんだから、正直なんだから、

おまけに純粋なんだから

私は正しいのだ。

という理屈を成り立たせる人もいる。


つまり、

私は純粋なんだから傷ついてしまうのだ。

純粋が故に嘘をつけなく正直になり、

勇気を振り絞って素直に話したのに

なによビックリマークビックリマークムキー

純粋が故に傷ついたわプンプン

あなたどうしてくれるの?

折角、わざわざ、

これだけ純粋な私が

勇気を持って相談したのに

その対応はないんじゃないの。

さあさあさあさあ。

どうしてくれるの?

こんな私をどうするの?

ってのが成り立ったりもする。


純粋さとは、

自分の中だけで完結さすもので、

その純粋さを人に押しつけるものではなく、

その根元から発せられる正直→素直

というプロセスは、

その人がいかに純粋なのかを知らしめさせる

手段となっているに過ぎず、

素直さイコール純粋さという近しい観念が

どうもそうさせるようである。

で、

素直や正直は、

誰しもにある程度の共通観念があるのだが、

こと、純粋ってやつは、

ピュアって言えば聞こえは良いが、

裏返せば偏りがあり

自分だけの世界の自分本位を多分に意味し、

その偏りを純粋って言葉で

美徳化してしまうから

一方通行の素直さの押し売りともなる。

故に、

自分が純粋だって思っている人ほど、

他者に応対する時は十二分に気をつけて

正直さと素直さを発露しないと

相手に負担を強いたり、

相手に迷惑をかけたり、

相手を不快にしたりが起こり、

折角の、

それこそ本来は純粋なはずの正直や素直が

濁り曇ってしまうという勿体ないことが

起こってしまう。

だって、そこには相手に対する

尊重や配慮や気遣いが

欠落してしまうことがとても多いから。


素直さと純粋さは違うもの。


このプロセスは、

(偏った)純粋さを全うさす為に

素直さを発動させるものなのだが、

その発動の仕方を

本当に留意し吟味しないと、

それこそ、感情の凶器みたいなものにも

なり得るってことを

僕たちはもっと意識しないといけないよな

って思います。


それは、

正直に素直に発言する

もしくは、

正直に素直に発言出来ない

ともに実は同じことで、

私は正直に素直に発言出来ないって

口では言ってはいても、

その偏った純粋さを押しつける為に、

態度や振る舞いに

出ている人もかなりいて、

そんな人も、

やっぱり偏った純粋さに気づいていない

ってことが言えるって意味では同じであり、

で、

偏った純粋さって何?

って問われたとしたならば、

多分それは、


傷つくことを恐れる か弱き自我。


そして、

その自我を埋める為に

他者を活用したとしたら、

他者のこともよくよく考えないと

活用とはならず、

それは利用を意味するものとなる。


無意識に利用していても自身は気づかず、

周りはでも分かっているなんてことが

あちらこちらで起こっていて、

そんな集いやまとまりの力動は

とても歪で悲しいもの。


だからさ、

か弱き自我を自分自身で認めたうえで

自分自身で包んであげましょうよ。

その包む努力は、自分しか出来ないよ。

そこは、

なんびとも侵入、侵襲

出来ない領域なんだからさ。

だから、

その為に他者を利用するのは

他者の為にもやめてあげようよ。

活用は良し、でも利用は違う。


無茶苦茶なクレーム

無茶苦茶なストーカー

無茶苦茶な性犯罪

無茶苦茶な暴力

無茶苦茶なイジメ


自分の中にある

一見、善とも思える 純粋 って言葉、

私も誰もが見直す時が来ているのでは

ないでしょうか?

だって、

純粋だからって、

なんでも許されるわけではないし、

そんなものはマヤカシなんだからさ。


ご参考まで。


素敵な夜をお過ごしくださいおねがい

本日は

20時にメルマガ配信です。


タイトルは「裏表」

良かったらご登録くださいませ。



つむらけんじ