こんばんは
って誰しもが思う。
でも、
しちゃう時もあったりする。
そんな時、人は、
激しい自己嫌悪に陥り、
自分で自分を責めることにより
その嫌な想いの帳尻合わせをしている。
ひょっとしたら
誤魔化しているに過ぎないかもしれない。
それは、
自分は自分が思うほどの
良くない人間じゃないんじゃないの?
ってことの誤魔化しね
誰しもが
大なり小なり、
自分は
良い人
だと思っていて、
もっと言えば、
良い人に思われたいと思っていて、
でも、
その
良い人
である自分
ってのに自信がイマイチ持てないから
良い人ではない自分を
責めることにより、
自分の良さを確認している
ってこと。
ややこしいよね。
ついてきてよ〜
つまりは、
僕たちは
そもそもが、
良い人ではないわけです
ひょっとしたら、
誰かにとっては
悪い人かもしれません
それを否定しないってこと
つまりは、
良い人ではなく
善き人
で(あらんと)生きていく。(自分にとっての)
善き人で生きるなら、
生き方は明確。
だって、
善きこと
だけを考えて生きれば良いから。
ややこしいよね
ついてきてる〜?
そもそもが、
良い人じゃない自分ってのを
自分自身で ちゃんと認め、
自分にとっての
善きこと
を全うして生きる時、
その善きことは、
誰かにとっての
善きこと
にもなり得、
全ての人々への善きことには
決してなり得ないが、
誰かの役には必ず立つ。
つまりは、
自分にとっての
善
とは何?
を決めて生きる。
そうすると、
必然的に
生き方が決まってきて、
ガチガチに決めちゃうのは
しんどいから嫌だけど、
少なくとも
周りとか、環境とか、出来事とか、他者とか
に左右されながら
生きる
ってしんどさからは解放されていきます
だって、
自分の善
で生きてるんだからさ。
それは
自らを
全肯定でしかないやん
でも実際は、
なかなかこの構築は難しいかもしれません。
だから、
生き方
なんてものを導いていく為に、
宗教というある意味、
基準の明確なもの(戒律的な)が生まれ、
哲学から物理学や心理学
などの様々な分野に派生してきたんだよね。
善
という概念。
生き方の構築には、
めっちゃめっちゃ大事
って思います
[追加
]
ついつい
自分の善
ってのを忘れた時や迷った時、
仏教の善
に助けてもらったりもしています。
お釈迦さんの6つの善い行い。
六度万行(ろくどまんぎょう)
布施→親切
持戒→言行一致
忍辱→忍耐
精進→努力
禅定→反省
智慧→修養
だそうです
ご参考まで
津村健司
