足元を見るとか、足元を見られるという言葉を耳にしたことがあると思います。

 

語源は諸説諸々あります。

 

その中の一つに江戸時代のかご屋さん(今でいうタクシー)の料金の決め方と言うものがあります。

 

タクシーならタクシーのメーターで料金設定できます。

 

江戸時代であれば一里塚が一つの目安ともいわれています。

 

しかし、一里に満たない場合などはどのように料金が決められていたのか気になります。

 

実は料金の目安にされていたのが、かごに乗る人の履物を見て決めていたと記されている文献がありました。

 

すなわち、動物の皮を使った草履を履いている人は大きな商人でお金をたくさん持っているからいくら。

 

擦り切れたワラジを履いている人は旅人で旅費も大変だろうからいくら。

 

と感覚的に料金を設定したと書かれていました。

 

真偽は別としてなるほどと納得してしまいました。

 

似たような話ですが、あるテレビ番組で銀座の高級なお寿司屋さんが取り上げられていました。

 

行ったことがないので分かりませんが、大トロ\600・たこ\300のように料金の表示がないんだそうです。

 

俗に言う「時価」なんでしょうか。

 

インタビューの中で、記者の人が料金設定のことを振っていました。

 

大将は「そりゃ、お客さんの雰囲気ですね」と驚く一言を言っていました。

 

ただし、ぼったくると言う意味ではなく。

 

若いカップルが入店して、どうやら彼が彼女のために奮発して予約して来たことが分かると「おまけ」をしてしまうということでした。

 

お寿司屋さんの話は良い方の足元を見るなのかもしれません。

 

ただし、わたしたちは結構足元を見られていることは多いようです。

 

だれからみられてもいいように先ずは自分の足元、文字通り履物を磨くことから人間力を磨いて行ってもいいようです。