みなさん関東でも梅雨も明け、夏になりましたね。lいかがお過ごしですか?
ユマニテ会のゆにっちです。


今年も猛暑が予想されておりますが、熱中症、夏バテなどにお気を付け下さいね。

いよいよ今週の金曜日は第23回ユマニテ会です。


今回は徒然草の第137段ですが、以前にも何度か徒然草を扱っております。


前回の徒然草では第13段でした。思いだしてみますね。

徒然草 第13段より
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神無月(かみなづき)の頃、栗栖野(くるすの)といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、
遙かなる苔の細道をふみわけて、心細く住みなしたる庵あり。
木の葉に埋(うず)もるる筧(かけい)の雫ならでは、露おとなふものなし。
閼伽棚(あかだな)に、菊・紅葉など折りちらしたる、さすがに住む人のあればなるべし。

 かくても在られけるよと、あはれに見る程に、かなたの庭に大きなる柑子(こうじ)の木の、
枝もたわゝになりたるが、まはりを嚴しく圍ひたりしこそ、少しことさめて、
この木なからましかばと覺えしか。
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10月頃、京都東山の栗栖野を通り過ぎ、ある山里に入ったら隠者の庵があった。
静かな苔の細道を入っていくと、
まったくおとがない  おとのう(たずねてくる)と静かさをあらわすかけ言葉


こんな静かな場所にも菊や紅葉があるのは、住んでる人がいるからなのだなあ~と思う。 
しみじみ感心してみているとふっと眼をやると、大きなミカンの木があり実が沢山なっているものが、
周りをしっかり囲ってあるのを見て、少し興ざめして、この木がなかったらなあ~と思った。


さてこのお話のポイントはなんでしょうか。


「この囲いがなければよかったのに」というところを、


まさしく「この木がなければよかったのに」といった。


なぜなのでしょうか・・・・考えてみて下さい。



どうですか?なぜあえてこの木がなかったら・・といったのでしょうか。








ここからは先生の解釈です。

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人間ってそんなもんなんだ。ついつい欲がでてしまうのだ。
悟りの道に精進しようと思って山里まできたのに、ふっと欲がでてしまう。


そんな人間というものにたいして、そんな人間を筆者は愛しいと思っているのではないだろうか。
人間とはいいものだなあと広い心でいっている。


その考え方は私自身の哲学に対するものの考え方に一致している。


我々は理想のために一生懸命努力して生きている。
でもしょっちゅうはずれる。あ、はずれたなと思える自分がいればよい。
そのためには一本自分の筋が通っていれば、はずれたなと自分で認識できる。
ポリシーがなければ外れたことを意識できない。
そんな中でも外れ外れしながらも努力するところが人間のよきところ。

それっきゃしょうがないじゃん。

それがなくて、欲など一切なければそれは怪物だ。人間は切れば血がでる。悲しければ泣く、楽しければ笑う。
そういう人間が時々素晴らしいことを思いついたりいったりする。だから人間は尊いのだ。

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みなさんはどう思いますか。


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