秋になり、本当にご飯のおいしい今日この頃です。(こまった!)
さて色々お話したいことはあるのですが、先週の金曜日のユマニテ会の講義より
ご紹介させていただきますね。
今回は荘子と孟子の思想について勉強しました。
まずは荘子から
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論語は人間関係の書であるから、会社経営や家族の中の関係に役に立つが、荘子などはそういう意味からすると必ずしも直接的には役にたたない。
◆孟子・・・・孔子100年後の時代に、孔子の思想を受け付いて、さらに発展させていった人 孔子や孟子の儒学者は「人間の生き方」どのように生きればよいか を追究していった。
◆荘子はちがう「人間とはいったいなんなのだ。どんな存在なのか。どこからやってきてどこに去っていくのだろう」そのように根源的なものを追究していった。
荘子を四竈流に説明すると
この宇宙に存在する一切のものはすべて、何らかの形をとらねばならない。
私たちはたまたま人間という形をとっている。あるものは蝶であり、
あるものは犬であり、あるものは植物であり、それらは全て自分が望んでそうなったわけではない。こういう自分として存在に至りたいと思ったわけではない、
女になりたい、男になりたい。それさえも自分の選択はない。ただ“ぽん”と与えられて存在に至った。何十年か前に存在にいたって、何十年か後に存在から去っていく。べつに何十年か前に存在に至らなくてもよかった。何万年か前に北京原人として存在に至っても、何百年後かにアメリカとかで存在に至ってもよかった。
しかし今このように存在している。
こういう自分をきっちりうけとめて、もちろん自分が存在するに至ったには色々な必然性の流れがあるでしょう。客観的にみれば自分の存在に至る様々な必然性があるでしょう。その必然性をよしとして受け取る自分は、もはや単なる必然ではなくなる。
荘子というのはこういういわゆる哲学的なことを考える人である。
道教と荘子の思想の違い
道教の思想は「不老長寿」いつまでも健康で長生きして、できればいつまでも死なないでいたい。道教の人は自分たちの始祖は老子・荘子であるとしながら、「生」を時間的に延長したいという気持ちは荘子には全くない。荘子は一瞬の中に永遠をみていく。寿命が長い短いは関係ない。荘子の思想は仏教に入って禅宗へと発展していく。
孟子は仁とか義とかの道徳に従って生きることが大切だというけれど、荘子にいわせれば仁とか義は人間だけに関係するものであろう。
故に宇宙に存在する一切の道に従って生きることが大事と荘子はいう。
人は 大小 美醜 善悪、価値の違いに悩まされるけれど、価値の違いはすべて人間の心が作りだす。そんなものに悩まされることはない。価値以上ではない。
荘子の6より
恵氏(総理大臣):王様が私にひょうたんの種をくれたんだよ。植えてみたら大きなひょうたんができた。水をいれたら重くてもちあげられないほど、割って柄杓としたら水がこぼれて使いづらい。大きすぎて役にたたないから壊してしまった。
荘子:あなたは大きいものの使い方がへただなあ~
宋人であかぎれの薬を作る人がいた。代々綿をさらす仕事をしていた。旅の男がこのうわさを聞いて、あかぎれの薬の作り方を百金で買いたいといった。
宋人は親族会議を開き、綿をさらす仕事をしてもわずかな収入しかない。あかぎれの薬の作り方を教えたら百金をもらえる。おしえよう。ということになった。
旅人は之(あかぎれの薬の作り方)を以て呉王に面会した。ちょうど越と呉の間に戦いがおきて、呉と越の境で、冬に水戦をして、呉が越を破った。(あかぎれの薬がとても役にたったからである)王は旅人に土地を与え大名とした。一方は土地をもらい大名となる、一方は綿をさらす仕事からまぬがれた。これは同じあかぎれの薬でもその使い方の違いである。(物は使い方が大切だよ)
私たちは常に世間的な常識にとらわれてものの使い方を見る。
もっと透明な目で澄んだ心でみれば、そのものの別の価値がみえてくる。
ものの真価を透明な心でみていきなさい。これが荘子のいいたいこと。
もしそんな大きなひょうたんがあったら、それで樽をつくって、湖にうかべたら舟になる。(常識ではひょうたんの中に水をいれることしか考えないが、ひょうたんの外に水をいれてみる。)なぜ水が落ちてしまうと嘆くのだ。きみはまだぼさぼさした蓬のような心だな。もっと心を透明にしなさい。
発想の転換 論語とは別の意味で役に立つ書 物理学者の湯川博士のノーベル賞を得た研究は荘子からヒントを得たといわれている。
ものにとらわれない見方が、物理学者に役にたっている。
私は先日もいったけれど、どんな哲学を作ってもよいけれど、
根底に愛だけは流れている思想にして下さいとお願いした。
愛なき思想は無である、何の意味もないと思う。
ユマニテ会でめざすのは、自分の思想を持てということ。
自分の哲学を作って、それで戦って自分の人生を生きていくということ。
私(先生)と同じ考え方になるという意味ではない。
孟子荘子ソクラテス釈迦イエスそういう偉い哲学者の思想を切り結んで、
自分の思想を作りだしていく。私の思想に共感せよといっているのではない。
自分らしく自分の哲学で筋を通して生きていく。そのために学んでいくこと。
そんなことを私たちは目指して学んでいます。
一緒にお勉強しませんか?humanite@live.jp まで
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