こんにちは8月生まれ夏の女ゆにっちニコですが、毎日殺人的な暑さ晴れ晴れ晴れ晴れ晴れ晴れ

が続いてますね。皆様水分補給ジュースと栄養補給ステーキは怠りなくびっくりマーク

 

2023年の東海大学生涯学習講座の「徒然草1」の講義から少しご紹介します。

 

今回は徒然草の人生観と女性観というテーマで4段(8段、137段 188段 190段)ほど扱われました。

その中での188段について、少しお話します。本文は一番下に記載します。

 

このお話の中で吉田兼好は「一大事」について、何よりも大事に優先させることを言っています。

1つのことを達成するために、深堀して、追及して、常に優先させて生きるような生き方を推奨しているように思われます。

 

最後の段落で登蓮法師がますほの薄について、疑問に思ったことを直ちに知りたいと、笠と蓑をかりて雨の中を飛び出し、知っている人のもとへ尋ねて行きます。

そういう行動について、どうなのか考えました。

 

人生には「一大事」と日常に様々な「雑事」があり、私たちはその雑事に追われながら生きている。

朝起きて、歯を磨いて、ごはんを食べて、皿を洗って、洗濯して、雑事ではあるけれど、避けられないような雑事。それが生活のような気もします。ハイハイ

その雑事とはいったい何なのだろう。雑事と一大事について、どう考えていけばいいかを皆さんで意見交換しました。

 

★何が「一大事」なのか見つけることが難しい。はてなマーク

 

★兼好法師は自分もその境地を目指してはいるけれど、できてはいないのではないだろうか。あせる

 

★一大事を目指しても、自分ひとりだけが救われるのは単なる利己主義?ではないのか。

 

先生は、小事(雑事)こそが尊い。「小事」だけれど、「大事」と思って何事にも臨むことが大切ではないだろうか。

毎朝水道の蛇口をひねって水汗がでること、ガスのレバーを押してすぐ火メラメラが付くこと、小事だけれど、そんなことが本当にありがたく、感謝の気持ちがわいてくる。愛飛び出すハート

 

その他たくさんの視点からのご意見があり、今回も考えるヒントをたくさん与えてくれる段でした。ニコニコニコ

 

 

本文は下記に

或ある者、子を法師になして、「学問して因果いんぐわの理ことわりをも知り、説経などして世渡るたづきともせよ」と言ひければ、教のまゝに、説経師にならんために、先づ、馬に乗り習ひけり。輿こし・車は持たぬ身の、導師に請しやうぜられん時、馬など迎むかへにおこせたらんに、桃尻にて落ちなんは、心憂うかるべしと思ひけり。次に、仏事の後のち、酒など勧すすむる事あらんに、法師の無下に能のうなきは、檀那すさまじく思ふべしとて、早歌はやうたといふことを習ひけり。二つのわざ、やうやう境に入いりければ、いよいよよくしたく覚えて嗜みけるほどに、説経習うべき隙なくて、年寄りにけり。

 

 この法師のみにもあらず、世間の人、なべて、この事あり。若きほどは、諸事につけて、身を立て、大きなる道をも成じ、能をも附き、学問をもせんと、行末久しくあらます事ども心には懸けながら、世を長閑に思ひて打ち怠りつゝ、先づ、差し当りたる、目の前の事のみに紛れて、月日を送れば、事々成なす事なくして、身は老いぬ。終に、物の上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔ゆれども取り返さるゝ齢ならねば、走りて坂を下る輪の如くに衰へ行く。

 

 されば、一生の中、むねとあらまほしからん事の中に、いづれか勝るとよく思ひ比くらべて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事を励むべし。一日の中うち、一時の中にも、数多の事の来きたらん中に、少しも益の勝らん事を営みて、その外をば打ち捨てて、大事を急ぐべきなり。何方をも捨てじと心に取り持ちては、一事も成なるべからず。

 

 例へば、碁を打つ人、一手も徒らにせず、人に先立ちて、小を捨て大に就くが如し。それにとりて、三つの石を捨てて、十の石に就くことは易やすし。十を捨てて、十一に就くことは難し。一つなりとも勝らん方へこそ就くべきを、十まで成なりぬれば、惜しく覚えて、多く勝らぬ石には換へ難し。これをも捨てず、かれをも取らんと思ふ心に、かれをも得ず、これをも失ふべき道なり。

 

 京に住む人、急ぎて東山に用ありて、既に行き着きたりとも、西山に行きてその益勝るべき事を思ひ得たらば、門より帰りて西山へ行くべきなり。「此所まで来着きぬれば、この事をば先づ言ひてん。日を指さぬ事なれば、西山の事は帰りてまたこそ思ひ立ため」と思ふ故に、一時の懈怠、即ち一生の懈怠となる。これを恐るべし。

 

 一事を必ず成なさんと思はば、他の事の破るゝをも傷むべからず、人の嘲をも恥づべからず。万事に換へずしては、一の大事成るべからず。人の数多ありける中にて、或者、「ますほの薄、まそほの薄など言ふ事あり。渡辺の聖ひじり、この事を伝へ知りたり」と語りけるを、登蓮法師、その座に侍りけるが、聞きて、雨の降りけるに、「蓑・笠やある。貸し給へ。かの薄すすきの事習ならひに、渡辺の聖のがり尋ね罷らん」と言ひけるを、「余りに物騒がし。雨止みてこそ」と人の言ひければ、「無下の事をも仰せらるゝものかな。人の命は雨の晴れ間をも待つものかは。我も死に、聖も失うせなば、尋ね聞きてんや」とて、走り出いでて行きつゝ、習ひ侍りにけりと申し伝へたるこそ、ゆゝしく、有難う覚おぼゆれ。「敏とき時ときは、則ち功あり」とぞ、論語と云ふ文にも侍るなる。この薄をいぶかしく思ひけるやうに、一大事の因縁をぞ思ふべかりける。