みなさん、毎日暑い日がつづきますが、お元気ですか。
日本も異常気象の影響なのか、局地的に雨がふったり、雨がふらなかったり、ちょうど良いということはなかなかないですね。
昔からそのような繰り返しだったのでしょうか。

去年勉強した内容ですが、今とと姉ちゃんでもやっている内容なので、思い出してアップさせていただきます。
花森安治こと、皆さんはご存じだったでしょうか。
読んでみてください。
===========
「論語」郷党篇からです。
廏(うまや)焚(や)けたり、子、朝より退きて曰わく、人を傷(そこな)えりや。馬を問わず。

孔子が魯国の殿様のところに行っての留守中、廏が火事になったとき、帰ってきて孔子はこう言われた、「人に怪我は無かったか?」。馬のことは問われなかった。厩が火事になって、近所の人も消火活動に加ってくれたに違いない。消防車など無い時代です。バケツで水をかけたりして消火する。そういう時は怪我人が出やすいから孔子は心配したのでしょうね。レベルの低い人だと馬の心配をするでしょうけど。
本田技研の本田宗一郎さんの話をしましょう。ある日曜日に会社の守衛所に本田宗一郎社長から電話がかかってきた。「今テレビを見ていたら会社の近くで火事があったらしい。うちの従業員は大丈夫だろうな。すぐ調べなさい。」と言った。「会社は大丈夫か?」ではなくて、従業員の心配をしていた。実際、その火事で、従業員のアパートが全焼し、十分な対応がなされたといいます。偉い経営者は『論語』を読み込んでいます。『論語』の、《人間を大切にする心》が沁み付いているのでしょう。
「馬を問わず。」と書いてあるでしょ。弟子が記録したのね。それで、昔から、これに、いちゃもんつける人がいる。動物愛護の精神に欠けているというわけだ。古いところでいえば、江戸時代の本居宣長は、「人間は火事が起こったら、自分で逃げることができる。でも馬は繋がれているから逃げることができない。だから馬のことを一番に考えるべきではないか、孔子は非人情だ」と批判しています。本居宣長は立派な国学者ですが、中国の古典は大嫌いだったようです。
これは、孔子のあくまで人間が大事だよという思想です。孔子の真意をつかみましょう。
ところで、江戸時代最悪の法令といわれる「生類憐みの令」というのがありますよね。咬みつこうとする犬を棒で叩いただけで、死刑とか。これで何十万人の人が犠牲になったと言われています。動物愛護の精神が行き過ぎちゃって。いや、行き過ぎどころではないね。動物愛護はいいことですよ。でもつい人間は行き過ぎちゃうことがある。熱心な人ほど怖い。今どきもそういう風潮がないとは言えないね。何度も言ったけれどクジラ。諸外国では、昔、クジラは油だけとって捨ててしまうことが多かった。日本では、どこも捨てる事なく全部利用してきた。戦後の私たち子どもはクジラを食べて大きくなれたんだ。捕鯨は日本の伝統文化とも言える。それを捕鯨委員会はよってたかって捕鯨する日本を敵視する。「日本人よりクジラの方が大事なのか!」と俺は怒ってるんだ。
ただ、アメ横のガード下商店街には、何とマッコウクジラの肉も売ってるが、これは、僕らが子どもの頃から絶滅が危惧されて捕ってはいけないことになっていたから、これには賛成出来ないけどね。なお、アメリカの作家ハーマン・メルヴィルの『白鯨』という作品がありますが、あれはマッコウクジラのアルビノ(白化)ですね。アルビノはどんな動物にもあります。蛇なら白蛇ですね。本来非常に弱いんだけど、『白鯨』のはすごく凶暴ですね。
孔子は馬よりも人間が大切だよと言いましたが、みなさんこういう人を知っているかな?

『論語』のこの条を読むと私はいつも思い出すのです。花森安治(1911~1978) 「暮しの手帳」という本を創刊した人。あくまで庶民の立場に立って、中立の立場で商品テストしたりする。そういう記事を主とする雑誌を出した人です。
この人に「一戔五厘の旗」という有名な詩があります。彼は東大の文学部を出て直きに戦争に駆り出されます。長い詩なので部分的に紹介しましょう。
「・・・
星一つの二等兵のころ
教育掛りの軍曹が 突如としてどなった
貴様らの代りは 一戔五厘で来る 軍馬はそうはいかんぞ!
聞いたとたん あっ気にとられた
しばらくして むらむらと腹が立った
そのころ 葉書は一戔五厘だった
兵隊は 一戔五厘の葉書で いくらでも召集できる という意味だった
しかし いくら腹が立っても どうすることもできなかった
そうか ぼくらは一戔五厘か
そうだったのか」
(まだ続きますが、ここでちょっと会長のコメントを入れます。孔子の、馬よりも人間が大切だよという当たり前な考え方が通用しない非人間的な世界があったのです。旧日本軍では、逆に、人間は一銭五厘の葉書の価値しかなく、馬の方が大切だったのです。
しかしその戦争もやがて終わりました。物資の欠乏は甚だしく、日本中みんな貧しかった。小学生の私も闇米を買いに行ったりしました。配給される米なんて三分の一は小石だぜ。エジプト米とかで、その石を取り除いて食べていました。夜の停電なんて当たり前だった。そんな生活だったけど、戦争直後の日本の底抜けの明るさを、私は今も忘れられません。日本はもう戦争はしないんだ。もう何を言ってもいいんだ。男女は同権なんだ。人間は平等なんだ。見上げる空まで透き通るような青さで心を晴れ晴れとさせてくれました。
しかし、それもつかの間、やがてまた元の暗い時代の雰囲気が漂い始めました。
花森安治の詩に戻ります。)。
「・・・
さて ぼくらはもう一度 
倉庫や 物置や 机の引き出しの隅から
おしまげられたり ねじれたりして
錆びついている〈民主主義〉を 探しだしてきて
錆びをおとし、部品を集め、しっかり組み立てる
民主主義の〈民〉は庶民の民だ
ぼくらの暮しを なによりも第一にする ということだ
・・・
ぼくらは ぼくらの旗を立てる
ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない
ぼくらの旗の色は 
赤(社会主義者・共産主義者の色、会長注)ではない
黒(アナーキストの色、同上)ではない
もちろん 白(体制側の色、同上)ではない ・・・
ぼくらの旗は・・・ぼろ布端布(はぎれ)をつなぎ合わせた暮しの旗だ
・・・
見よ
世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ
ぼくら こんどは後(あと)へひかない」
以上、『論語』、郷党第十の「厩焚けたり、・・・」の条における孔子の人間を大切に思う心、
延いては、天下万民の幸せを願う孔子の心を理解して頂く参考として、部分的にではありますが、花森安治の詩「一戔五厘の旗」を紹介しました。
============
いかがでしたでしょうか。
ユマニテ会はどなたでもご参加いただけます。
まってま~す。