ユマニテ会のゆにっちです。![]()
銀座で開催されていた安岡活学塾が10月をもって閉会となりました。
素心・不器会からあしかけ7年、私もとてもお世話になりました。
ユマニテ会の会長 四竈先生もイブニングセミナーにて論語の講義をされていましたので
ユマニテ会で「論語」の講義を引き継ぐことになりました。
論語は本当に2000年もの時代を超えて私たちにたくさんのことを教えてくれる書物です。
ですが、論語の出版本をよむだけでは、なかなかそのエッセンスを味わうことができません。
論語はたんなる日常道徳と考えることもできれば、もっと深く広く大きな思想として味わうこともできます。
たくさんの訳本がありますが、論語は訳がわかればわかったような気になりますが、そうではないと思います。
訳がわかり、その意味を考えることから世界が始まります。(と私は思います)
よい指南役がいれば、自分ひとりで考えるより、もっと深く熱く味わうことができるはずです。
みなさんも一度味わってみませんか
前回のユマニテ会より論語の講義をちょっとご紹介しますね。
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論語ですが、ここは難しいですね。(里仁4)
君子の天下におけるや 敵もなく莫もなし。 義にこれ与に比しむ。
好きでも嫌いでもないということです。正しいことに従っていく。
義とは何ぞや ということですが、これでなきゃだめ、あれでなきゃだめなんて言わないそんなかたくなな態度ではない。
どういう風にこれは解釈しましょうか。たしかにそうですよ。考えれば考えるほど難しい。
好き嫌い(主観)でもって受け入れるや否やを考えるのではなくて、ただ正しいことに従っていく。そういう態度が大事だよ。そういっているのでしょう。たしかにその通りで問題ないのですが、みなさんよく考えて見てください。
世の中には1つの物事に対しても相反する考えがありますよね。たとえば「これは机だ」ということに対しては誰だって意見一致しますよ。ところが歴史認識とかあるいは政治的見解に関していえば、意見がさまざまに分かれて、そしてわかれて分かれて、みんなが正義を主張する。相矛盾する考え方、相反する考え方をこれが正しい、
こう認識するのが正しいと言い始める。
好き嫌いじゃない。好き嫌いの段階は超えている。これが正義だという。
自分たちの主張を、これが正義だ、これが正義だという。
好き嫌いじゃない、正義をいっているんだとみんながいったらどうしましょう。
孔子がいっているこのことの次の段階です。お互いが相反する考え方を正義と主張している。
物事には、なんだって理屈つければつけられるんですよ。正当にみえる理屈をできる。
いってみればどんな相反することだって理屈をつけて正しいと主張できる。じゃあいったいどれが正しいのですか。
この理屈にあうような資料をもってくる。
歴史上の資料は膨大にある。その資料の中から自分のりくつにあうような資料をもってきて、それでいちおう理屈が完結するのですよ。
そうすると正義なるものがいっぱいできてくる。さあどうしましょうという問題です。
私思うんだけどね、これは私の個人的な見解ですよ。まず自分が生きていくにおいて、何を大切にして生きてくかが大事でしょうね。私は愛することを大切にしています。
そのベースにあって、物を考え、これが正義だという人の意見を私は尊重します。
数ある正義の中から、何をベースにして考えるのか これをもって私は選択の方法にしています。
これはまあ、人それぞれで考えてみてください。私の場合はそうです。
いかなる義にしたがうか、
その義なるものが愛情をベースにしたものであるか、そうでないか そこを判定して良し悪しを決めています。
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いかがですか?
みなさんも考えてみてくださいね。
