みなさんごぶさたしてます。ユマニテ会ゆにっちです。
9月も半分終わったというのに、残暑厳しい毎日ですが,
みなさんいかがお過ごしでしょうか。
合宿レポートもなかなか進まずにすみません。
でも少し時間がたってから復習すると、その時はわからなかったようなことも
ひらめいたりすることもありますよね。
次回のユマニテ会は9月21日金曜日です。
今回のテーマは
①伊勢物語第37段
②孔子の弟子、子路の問いの意義を、『雨月物語』の「菊花の約」との関連で考察します。
おたのしみに。
今日は合宿レポート第二弾!です。
その前に前回のユマニテ会でも復習した日本的情緒論についてのおさらいです
137段の日本的情緒論について兼好の思想の根底には「仏教的な無常感」がある。
無常感とは「常なきこと」 いつも変化している。
いつも変化しているということだけは確かなんだよという思想。
ものごとの始まりも頂点も終わりの頃もすべて良いと考える。
ということは常に変化している一瞬一瞬が大事。ものごとの始まりも頂点も終わりの頃もすべて同じように貴重であるのだ。これは葉隠などの武士道にも通じるところがある。
子供時代は大人の準備期間というわけではないのだ。
年寄りが死ぬ前もしかり、余りの時間というわけではない。
その瞬間その瞬間全て尊いのだという考え方。それが日本人の特徴を為すようなとても素晴らしい思想だと思う。
ここから合宿のレポートです。
前回は性欲についての第八段でしたが、次は第三段です。
第三段原文
万にいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵の当なき心地ぞすべき。
露霜にしほたれて、所定めずまどひ歩き、親の諫め、世の謗りをつゝむに心の暇なく、
あふさきるさに思ひ乱れ、さるは、独り寝がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。
さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。
短い段なのですが、さらりといけばそれまでなのですが、考えると難しい。
色々な意見がでました。
おぼれないと恋にならないのではないか?
「女に軽くみられる」ということはどういうことなのか?
女は「溺れてる男」を「たやすからん」と思うのか?
また、常連さん男性Sさんは、「僕は女性にふられた時は、夜空の星をみて
女は星の数ほどいる!と思ってました」と皆さんをなごませてくれました。
女性陣からは、2段勉強しただけでも、男性の考える恋愛論は女性とは全く違うということが
よくわかったなどの意見もありました。
みなさんは吉田兼好の女性観どのように思われますか?
参考訳
万事に優れていても、恋の情趣を理解しない男はまことに味気なく、まるで美しい杯に
底がないような思いがすることであろう。
男なら恋に悩んで露や霜に濡れそぼち、あてどもなくさまよい歩き、親の諫めや世間の非難を
おそれて心の安まる暇もなく、あれやこれやと思い乱れ、その実一人寝することが多くてまどろむ夜もない、というようであってこそよいものである。
とはいっても、ひたすら恋におぼれてしまうというのでもなく、女にも軽く見られないと思われるのが、それこそ望ましい姿である