皆さま新年明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。 ユマニテ会ユニッチです。ニコニコ


お正月は天気もよく、よい年の始りとなりましたね。

自分の人生を生きるための、自分の哲学を作る講座として
2010年8月にスタートしたユマニテ会も早いもので今回で17回目を
迎えます。これもひとえに皆様のおかげと感謝しております。
そうした自分の哲学を持つことは、幸せへの最強の武器となると先生はおっしゃいます。

ぜひ皆さんも今年はユマニテ会で哲学の扉をあけてみませんか?

第17回ユマニテ会は

日時:1月20日金曜日 19時10分~20時30分(開場18時50分)
場所:NOF新宿南口R3C会議室 4F
会費:3000円

ではまた前回のユマニテ会より一部紹介しますね。

今回は論語より

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有子曰く、その人と為りや 孝弟にして、上を犯すことを好む者は少なし

有子がいった。その人柄が家庭内で愛情のあふれる人で、目上の人に逆らう人は少ない 


上を犯すことを好まずして、乱を為す事を好む者は、未だ之有らざるなり

目上の人に逆らうことを好まない人で、乱をおこすことを好む人、そんな人はあったことがない

君子は本を務む 本立ちて道生ず 

根本(高弟)を確立して初めて道(仁)が生じる。

ここからが大事!

孝弟なるものは仁の本たるか ←この部分は孔子の思想

※有子 孔子より43歳若い旅から帰ってきたのちの弟子


親子兄弟の間、家族の中の愛情は本物だから、普段は愛してるなんて思っていないが、

でもお母さんが瀕死の状態などの時、なんとか助かってほしいと思う。

その時初めて”愛してる”という感情をもつ。普段は意識を持たない。

それほど自然なる愛情を少し他の人にも広げていこう。それは意志の力でできることだよ。

恋人同士では不安だから愛してると何度もいう。


今回の安井息軒の読み方は(ユマニテ会では息軒の本をテキストにしています)

この部分において、少しこれと違う朱子の読み方をとっている。

朱子の読み方はきわめて難解な形而上学的な読み方である。

孔子の思想からは少し離れるかもしれないのでここでは古学派の読み方をとります。)

朱子の解釈は非常に難解な形而上学 真理が高いどこか遠いところにあるような宇宙の真理的な読み方である。そこから引いてくるような感じ


それに対し、伊藤仁斎(古学派)は身近なところにあるんだよ。私たちの日々の生活の中にある。安楽に暮したい、好きな異性と抱きあいたい、おいしいもの食べたい。ごく自然に愛情をそれも道であるといっている。やむをえざる人情 そういう気持ちを大切にしないような教えは異端邪説である。


朱子は厳しくて、人間の欲望を抑えよう抑えようとしている。

(それで徳川幕府のご用学問になった) 


さて孔子が仁という道徳を、家族愛から引き出したところが彼の見識である。

「仁」は西洋的に言えば「愛」その愛の哲学 「愛を何を根拠にいうか」は哲学者によって違う。


孔子の母は妻でもない。妾でもない。(←ここまでは家族扱いだから生活が保障される)

孔子の母はただの恋人 だから史記では野合という言葉を使ってある。

今でいう未婚の母で女手一つで育てた。どんなに苦労したか

孔子が15歳の時に母(30歳代で)は亡くなっている。苦労のほどが偲ばれる。

孔子はその母の愛が身に染みて分かった。

その気持ちが長い間に「仁」という道徳、彼の哲学に結実しなのではないだろうか 


「仁」という言葉は孔子より以前の歴史にはない。

仁という言葉を孔子が見つけた時、孔子以前の聖天子達、堯、舜、うの王や、

武王、文王を超えた。魯国という小さな国を超えた。

そしてその言葉は時間をも超えて2500年生きてきた。

世界中の人の心の中に当然宿るべき道徳として確立した。


一つの立派な言葉をみつけるということは、ものすごい苦労に苦労を重ねてできあがる。

素晴らしい仁の哲学、愛の哲学が成立する。

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さて有子は

上の人にさからうのはよくない。さからわないようするために親孝行の人を推奨している。

この前半に不愉快な気持ちになった。有子がろくでもない。

なにがなんでも上の人に逆らわないという思想がろくでもない。(←意見には個人差があります)


ソクラテス 立派な人でも 国家に反逆したといって死刑になった。

哲学者は真理をいう。真理はつねに権力者にとって都合が悪い場合が多い。

もしも天子が人民の事を思わず、人々を苦しめたなら天子の資格はない

ただのつまらん男だ。これが孟子の思想。


上の人に逆らってはいけない。という思想には大前提がある。

その上の人がりっぱな人である場合だけ

有子は凡庸な弟子で孔子の思想の根本がわかっていない。

しかし、有子の気持ちになって考えてみると、(←またここが四竈先生らしいですけど)

先生が考えるに学者集団は国家から危険視されることがある。

孔子の学団は上に逆らわないというアピールではないか。

孔子の200年ほど後の韓非子は 「世の中を乱すもの二者ある。一は儒者である。一は侠者である」

といった。この二者はいうことを聞かない。権力のいうことなどなんとも思っていない。

文をもって、武をもって世の中を乱す。

焚書坑儒(213~215)秦の始皇帝は思想統一をした。儒者を生き埋めにして、書物を焼いた 

前136年儒学は国家の基本哲学 国是となった。

国家権力と同じになったので、本来の孔子の教えとは違う都合のいい解釈がとられている。

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などなど、、、、、また熱かったです!


ギリシャ悲劇のエウリーピデース「メーデイア」その前段階のアルゴー船の大冒険のお話も

面白かったですよ。


興味のある方はお気軽にお問い合わせください。h um anite @live.jp  まで

忘年会風景です!もりあがりました。

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