みなさんこんにちは、またまたのご無沙汰です。
ユマニテ会のゆにっちです。
第11回ユマニテ会は先週の金曜日に終了いたしました。
今回も内容てんこ盛りの会となりました。
初めての方もご参加いただきました。K様、B様、、S様。ご夫婦でご参加いただきましたT 様、親子でご参加のK様いかがでしたでしょうか。
では内容を少しご紹介いたします。まずは孟子の哲学より
孟子の基本思想は仁と義 孟子は50代~60代に諸国をめぐり、多くの王と面会しています。その中からのお話です。
孟子が梁の恵王に会見した。王は宮殿の池のほとりに立って、
鴻・雁・麋・鹿(雁や鹿ども)を眺めながら言った。
梁恵王「こういった楽しみは、賢者でもまた持っているものなのでしょうか。
(それとも賢者はこんな贅沢には目もくれるべきでないものなんでしょうか?)」
↑
(この賢者は孟子をさしていて、学者に対する皮肉がこめられている)
孟子「いや。賢者だからこそ、初めてこういったものを楽しめるのです。
賢者にあらざる者は、こんなものがあってもとても楽しめません。
(孟子のいう賢者は本当に徳の高い真の賢者をさしています。)
詩経にこうあります。 (要約します)
文王が(良い王の代表みたいな賢者)
靈臺(れいだい)作ろうとすれば、民は自ら集いあつまりて働き
”自分たちの仕事もあるのだから急がなくてもいいぞ”というにもかかわらず、早くできあがってしまった。王が靈臺にいらっしゃると、人々も動物たちも魚も皆生き生きと楽しそうにしている。
また書経・湯誓編にこうあります。
(暴君桀王を日照りの太陽にたとえ、呪って)
このぎらつく太陽は、いつ滅びるのだ
この太陽が滅んでくれるなら、いっしょに亡んでもよい。
こういうわけです。人民がいっしょに滅んでもよいと考えるほど酷い状況であったなら、
台や池を作って鳥や獣があったとしても、楽しむことなどできない。
古の人は民と共に楽しむ。故に能く楽しむなり。
昔の人は人民と共に楽しみました。だから真に楽しむことができたのです。
「偕(みな)と楽しむ」(水戸、「偕楽園」の名前の由来)
会社でも家庭でも、しあわせや楽しみは近き人に分け合って楽しみましょうね。
また孟母の教えである、 孟母断機の教え 西洋の賢母である コルネリアの宝石は、前回の何を宝とするかと通じるところがありましたね。
伊勢物語は1東北シリーズ第一弾!参加された皆さん、2つの解釈、どちらがお好みでしたか?
今回は17段
昔 陸奥の国にて、なでうことなき人の妻に通ひけるに、
あやしうさやうにてあるべき女ともあらず見えければ、
しのぶ山忍びて通ふ道もがな人の心のおくも見るべく
女、かぎりなくめでたしとおもへど、さるさがなきえびす心を見ては、
いかがはせむは。
①11世紀の頃の解釈 ②それよりずっと古い解釈
①昔、東北で、どうってことない男の、奥さんのところに、通っていたが .......
...私みたいなどうしょうもない女の心をみたら、どうしようか。
②昔、東北で、どうってことない人妻のところに通っていたが、.........
、、そんなたちのわるい野蛮人の心をみたところでどうしようというのか。
かなり違いますね。次回は東北シリーズ第二弾ですよ。お楽しみに
また前回、あえて皆さんに反感をもってもらうために、先生がおっしゃった言葉の意味
議論とは二人してより高い真理をつかむこと、その作業である。
またまた深く考えさせられました。
韓愈 の「師説」より
自分より年配の人が道をしっていれば、私はその人を先生としよう。
自分より年下の人が道を知っていれば、私はその人を先生としよう。
「我は道を師とするなり」「道の存するところ、師の存するところ」
心に留めておきたいと思います。
次回のマニテ会は8月26日です。お問い合わせは humanite@live.jp
また8月5日は、ユマニテ会1周年記念!暑気払いカラオケ会です。(申し込み締め切りは7月31日になります)聞き専門の方も、飲み専門の方も大歓迎です。まだまだ暑さ厳しくなりますが、身体に気をつけて、お過ごし下さい。
今回は二次会風景より