桜の花も満開となりましたが、晴れ桜桜桜桜桜

ちょっぴりいつもと違う気持ちの4月です。


皆さんお元気ですか。ゆにっちです。ニコニコ


被災地の様子を日々みながら、

現地に行きたい気持ちが沸き起こるのに、動けない自分に悶々としています。

仕事をクビ覚悟で行くわけにもいかないし、


毎日現地に入っている友のブログをみて、現地の様子を知ったり、


わずかな募金と、わずかな節電と、

実家から送られてきた大量の梅干しを

米はあるけどおかずがない地に送ったり、


無力な個人の力では

へのつっぱり?にもならない小さい事しかできません。



新宿で、寝袋と、ボストンバッグ抱えている人を見ると

”私の分まで頑張って来て下さい!”と、思わず声をかけたくなっちゃっいます。


想いを即、行動に出来る人を尊敬します。


被災地の復興を祈ってると何百回言ったって、

祈りだけではご飯は食べられないのだと思います。


そんなことを色々考えていたら

いつか四竈流論語解説で学んだ孔子の話を思いだしました。


それは述而第7の中に


子のやまへいなり子路しろいのらんと請う。いわく、これありや。
子路、こたえて曰く、これあり。
るいに曰く、上下しょうか神祇しんぎ禱爾とうじす、と
いわく、丘のいのること久し。

先生の病がおもくなった。子路は”神にお祈りしましょう”といった。

先生がおっしゃった、”こういう前例があるのか”(祈って病気がよくなるということ)

子路は”あります。祈祷の書物に。。。。。

先生は”私はずーっといのっているんだよ”といった


(四竈流解説です)


孔子は常々軽々しく神に祈ることを弟子たちに禁じていました。


普通の人は、祈る=自分にとっていいことを祈る だからかもしれません。


孔子は子路に祈るとはどういうことかを問うたのではないか


孔子は生活の中で常に、自分一人の安心立命ではなく

すべての人々の幸せを考えていたのです。


あくまで人間として努力しない姿ではなく、


立派な人物は常に人々の為に生きているはず。

故に人間として努力して生きていく生活のすべて=祈りである。

生きている事全てが、祈りなのじゃ。メラメラ


そんなことを言えるような人物に少しでも近づけるように

日々努力して、向上していきたいと思います。


ユマニテ会はこんなことをみんなで学んでいます。


4月のユマニテ会は

日時:4月15日(金)19:00~20:30

場所:NOF新宿南口R3C会議室4F

会費:3000円でやっています。


古典になじみのない方も、初めての方も大歓迎です。

お問い合わせは humanite@live.jp  までお問い合わせください。


皆さまのご参加お待ちしております。桜