『自分に正直に生きよう。』
などの論調のfacebook投稿やメッセージを希に見かけます。
わたしはこの手のタッチがあまり好きではありません。
長年人と対峙してきて、この手の論調がたくさんの誤解を生み、人を苦しめ、迷わせているものの1つだとハッキリ言えるからです。
仕事にせよ、恋愛にせよ、夫婦生活にせよ、自分の思い通りに全て進むはずがない。
また、そうであったら面白くとも何ともない。
ある心理学の実験では、全てあらゆる面で思い通りに物事が進んだとすると約一週間で嫌になるそうです。
気持ちがザワザワしてるから自分らしくない?
なんだかピタッときていないのは自分に背いているから?
これがわたしの本当にやりたい事なのだろうか?
この人が本当にわたしのパートナーとして相応しい人なのだろうか?
人は常に迷いの中にいます。不安の中にいます。
つまり、常に不安定に生きています。
人のプラットホームは、「不安定さ」です。だからこそ成長できるし変化し続けられるのです。
脳科学では、脳の可塑性と呼ばれます。
人は不安な時は、断言して欲しいものです。
安心できる大木に寄り添いたくなるものです。
その気持ちも分かります。
そんなときに「それでいいのか?」と問われると「そうだ…このザワザワする気持ちはやっぱり違ったんだ。そうか!この道じゃなかったんだ!」とザワザワに負けてしまうのですね。
でも、ハッキリ申し上げます。
判断するには早すぎる。違うと決めつけるには早すぎる。
そんなときこそ、『忍耐』なんです。
「自分に正直に生きよう。」という言葉の示す「自分」とは一体何を指しているのでしょうか?
感情をコントロールできない弱き自分でしょうか?
継続力がない諦めかけてしまっている自分を正当化している自分でしょうか?
何かに挑戦していて上手くいかない状態から都合良く逃げる自分でしょうか?
わたしには、上記のように思えてなりません。
しかし、このような記述は一定の方の反発を煽る要素があることも自覚しています。
つまり、「自分に正直に生きる」とは、自分に中途半端に都合の良い耳に甘い言葉に身を任せ、逆境や苦節といった人生というものさしから見た時にこの上ない最高のギフトを受け取るチャンスを逃してしまうものになりかねないのです。
『厳しさの中にしか、優しさは生まれない』
『闘ったものにこそ、平和が分かる』
『転んでも前向きに転ぶ!』
今、先行きが見えない方。
今、方向性に悩んでいる方。
今、何をやってもピタッと来ない方。
それは、目の前の事から逃げずに、目をそらさずに、今こそ『忍耐』を鍛えるチャンスだと思ってもう少し頑張ってみて。
頑張らなくていい…というのは、目一杯頑張りすぎている人へバランスを取るために必要な言葉です。
苦しいならやめよう…なんて事がまかり通るなら、誰も子どもを産んだりしません。
苦しさの向こう側。葛藤の向こう側。挫折の向こう側。
それでも諦めずに、踏んづけられながらでも、それでも進むその向こう側にあなたの道があります。
それは、絶対だとわたしは断言する。
耳に甘い論調で、せっかく積み上げたものを壊さないで下さい。
心理学的な話しになりますが、感情には、外発的動機と内発的動機というものがあります。
外発的動機は、外部の刺激や情報によって感情が生起するものです。
内発的動機は、自分の内側で感情を生起させるものです。
感情が外発的動機であるなら事を選ばなければなりません。
しかし、感情が内発的動機ならどんなことでも喜びや楽しさに変換できます。
それを「強さ」と呼ぶんです。
わたしの活動を持って、出逢った方が強くなる事を望み、祈っています。