(前回の続きです)
・・・そのようにして、1度目の悪化は治まって行きました。
そして次の、2度目が悪化が、
今回のタイトルでもある
「本当の自分」を発見するきっかけとなったのです。
結婚前まで私は、地元神奈川で大学を卒業後に就職した電機
メーカーに勤めていましたが、
夫となった人が転勤の多い証券会社勤務だった為、
止むなく、結婚と同時に私は退社し、当時の夫の勤務地
であった名古屋に移り住む事になりました。
アトピーの一度目の悪化は、その名古屋で起こりましたが、
その後の転勤で、今度はまた神奈川に移り住む事になりました。
それがきかっけで、以前勤めていた会社から、ソフト製作の
仕事のアルバイトをしないかと声がかかり受ける事になりました。
そこから、次第にソフト製作ですので、毎日通いでなくでも
在宅でも仕事が出来るようにもなり、
フリーランス契約に移行し、まとまった大きさの仕事も受けられる
ようにもなって行きました。
私は、前々から、大学を卒業して入った会社で一生働くつもり
でいたのですが、
結婚を決めた相手が、転勤族だったので、泣く泣くその会社を
退社したのでした。
ですが、辞めた後、仕事についての目標見失ってしまい、
鬱々とした毎日を過ごしていたので、
以前の会社からの仕事をさせて貰える事に、大きな価値を見い
出していました。
その一方で、また次の転勤で遠くになってしまったら、
その仕事はどうなってしまうのだろうという心配がありました。
そしてその心配通り、
ほどなく今度は四国の徳島に転勤になりました。
ですが以前の上司の計らいで、時々行き来しながら、仕事を
受けさせて貰えるようになったのです。
「転勤しながらでも仕事が続けられる!」
私はまた、そこに大きな価値を見出していました。
しかし、
転勤して間もなく、二度目のアトピーの悪化が始まりました。
「今度は何が原因なのだろう?」
と私はまた混乱の中に入り込んでしまいました。
そして結局、重症化して一時入院となり、その時依頼されていた
仕事を断ったのでした。
仕事を休止し、退院して自宅で静養しながら、
私はこれからの仕事について、答えを出せずに悶々としていました。
実を言えば、仕事を断ったとき、とてもホッとしている自分を
感じていました。
アトピーが辛かったからだけではなかったのです。
最後のほうは、仕事をしているときにとても大きなストレスを
感じている自分に気がついていました。
仕事が決まった時と、請負料が入った時の一瞬のみ喜びを感じ、
仕事自体を嫌々やっている自分を感じていました。
「自分で選んでいるのに」
誰も、私にそうしろと命令する人はいません。
自分の中の矛盾がどんどん大きくなって、動けなくなっているような
感覚・・。
では、これからどうしたらいいのか・・?
仕事について、目標を立てなければならない。
と思うのですが、
転勤しながら、出来そうな職種を探して、そして
大きな目標を立ててみては、
私は一向にそれに向けてのスタートが出来なかったのです。
その年は1999年でした。
その年は、「ノストラダムスの大予言」がおお流行りで、
「もしかしたら、地球は滅亡してしまうかもしれないから・・
今後の事は、無事来年が来たら考えればいいかな・・」
などと、半分冗談のような・・でも、半分本気なような・・
この頃は、どうにかしなくてはと心の中で戦い過ぎて
、まともに思考が定まらなくなってしまっていたように
思います。
ですが、
2000年は無常にも無事やって来てしまったのでした。
そしてお正月休みも終わり、夫が会社に出がけて行き
ました。
私の仕事について、何も答えが出ていない。。
あぁ、、また思い悩んで答えの出ない、
こんな毎日が永遠に続くのか・・と思った時、
本当に「楽になりたい」と思ったのです。
これは生まれて初めての感覚でした。
それまでは、どんなに辛いと感じ、「死んでしまいたい」
などと思っても、本気で死を考える事など
「怖くて」出来なかったのですが、
しかし、その時は
「死」がとても魅惑的なキラキラしたもののように思え、
そっちの方に一瞬にしてすーっと吸い寄せられるような
感覚に入っていったのです。
自分はこれから、マンションの9階のベランダから飛び
降りるのだと思いました。
その魅惑にすぅーっと持っていかれようとしたとの時、
正に「あぶない!」というように、一気に自分に引き戻された
のです。
そして、私は「もうここまで来たらこれをやるしかない・・」
という、観念したような気持ちになり、紙とペンを用意しました。
今思い返しても、この時の自分の行動は、完全には
説明出来ないのですが、
鬱々と悩んでいた日々、心についての本も大分読んで
いました。
潜在意識についての本も大分読んでいましたが、
大体は、いかにして人生の目標を達成するかなど、
自己実現や成功哲学の本などを手当たり次第読んで、
やる気の出ない自分を奮い立たせようとしていました。
ですが、どうしたら、自分が良くなるか、
「奥底の私」は知っていたのだと思います。
紙とペンをとって、
「思い出せる限り、自分の子供の時の記憶を書き出して
みよう」と思ったのです。
そして、一番古い記憶・・・思い出せる限り幼少時の記憶
から呼び起こそうとしました。
すると、ペンが走るというよりも、はっきりとした場面が
次々の現れたのです。
それは、小さいときの自分が「母親に怒られている場面」
でした。
母親は、一度怒り出すと、烈火の如くで、
とにかく、小さいその時の自分は何で怒られているのか
は分からないのだけど、
「片づけをしない」とか、「言いつけを聞かない」とか
かもしれないけれど
ただ、
「お母さんがこんなに怒るのだから、
私はものすごく悪い子で、ものすごいダメな子なんだ」
と母親に激しく怒られ、自分をそう思ってしまった
小さい女の子が見えたのでした。
その場面を思い起こしながら、次から次から
涙があふれ出て来ました。
と同時に
「コンプレックス」 という言葉がはっきり
浮かびあがっていました。
正に私の中にあって、言葉に出来なかったその感覚は
「コンプレックス」そのものでした。
自分がそんなに強いコンプレックスを持っていた事自体に
それまで、本当には気がついていなかったのです。
「私はとても悪い人間である」
「私はとても駄目な人間である」
それが自分の中にずっとあった感覚であった事に
その時初めて気がついたのです。
その時に、体中に岩のように重く覆っていたものが
崩れ去って体中が安堵感に包まれたのでした。
涙は悲しみの涙ではなく、安堵の涙でした。
私は悪い人間ではなかったのだ・・
と自分を初めてそのように思えた感覚でした。
そして、その日その時の体験を境に、自分に見えて
いた世界が一瞬にして変わってしまいました。
気がついたのは、
「私は自分の人生を生きて来なかったのだ!」という
驚きでした。
自分は「悪い人間」で「ダメな人間」なのだから、
「別の人間」にならなければいけない・・と思い続けて
いたのが、それまでの自分だという事に気がついた
のです。
そして、その「別の人間」というのは、
無意識にも、母が自分に望んでいるような人間像を
目指していた事にも気が付いたのでした。
技術職に就くために、大学は理工系に進み、
そして電機メーカーに就職しました。
しかし、それすらも、
「自分が本当にしたかった事ではなかった!」
と、愕然としてしまったのです。
今のこのように当時の事を改めて書いてみると、
自分の事ながら、客観的に見ると
「なんだそれ?」
と思わざるを得ません。
でもその時は、
まるで、何かに魔法をかけられていて、
目の色が変わった人が、
魔法を解かれて、我に返ったような、
本当に
「えっ、今まで私どうしてたの??」となっている
ような・・
こんな事があるのか??
というような衝撃を受けたのでした。
そしてその日から、それまで仲が良かった母親と
口がきけなくなってしまったのです。
小さいときのその記憶にフォーカスした事で、
「3,4歳の子供をあんなに激しく叱るなんて、
あんなに酷くけなすなんて」
と、その時の私は、
「なんて酷い母親なんだろう」
という母に対しての怒りで一杯になってしまった
のです。
その後に長い年月をかけて、自分の心の中に
起きていた事について理解を深めた現在は、
母についての認識は次元が異なったものになって
いますが、
その時までの私は長年鬱々とした毎日を送りながらも
心理面でプロの助けを得ようとした事が一度も
なく、
頑固に自分のだけの狭い視野から、
そして、中途半端な知識で、物事を見ていた
と思います。
それも災いして、母との関係は一気に悪くなって
行きました。
これが、「本当の自分が居たんだ!」と気づいた
日の話でした。
そして、この日を境に、「体中を覆っていた固い
岩が崩れ落ちてホッとした感覚」が、
その後、皮膚にも具現化されたかのように、
アトピーはみるみる綺麗に治って行きました。
(またタイトルを変えて次に続きます)