Human Nature ・・「人間」に秘められた無限の可能性”発見”の日々 -3ページ目

ある日を境に、母に対して抑えきれない怒りを感じるように

なった私は、その怒りを母にぶつけました。


12年前の事です。


それまでの私は、特に父が亡くなってから、母が可哀想に思え、

意識的に母の支えになろうとしていたところがあったと思います。



父が亡くなった時、妹はまだ小学3年生でしたし、

父親似だった私は、自分が父の代わりをしなければと、


母に対して、過剰な擁護の気持ちを持ったように思います。


ですので、

母にとっては、自分にとても優しかった娘が突然豹変し、

自分を攻撃して来るようになったのですから、


そのショックは計り知れない程大きなものだったと思います。



電話で母を責めたてた、その日の夜、



母と同居していた、その頃学生だった妹から電話が

かかって来ました。



「お母さんが「虚しい」と言って、出て行っちゃった・・」



それを聞いた私の中には、何とも言えない重苦しく、苦い

とても複雑な感情が渦巻いていました。



母を傷つけてしまったという強い罪悪感に襲われながらも、


それでも母を責めたてる気持ちが治まっていたわけでは

ありませんでした。



少なくとも、その時に起きていた事が、「良い事である」などとは

到底思えませんでした。


「怒り」「言い争い」・・・それは絶対的に「悪い事である」という、

その時の私の「信念」が、


それを、


「最悪の出来事である!」と意味付けて、


更に一層、重苦しい気持ちに自らハマリ込んで行きました。



ですが、12年後の「今の自分」から見れば、


あの出来事がなければ、


母と何の衝突もなく、それまでの自分と同じ毎日を選び

続けていたら・・


現在の母の、

以前とは全く違う元気な姿は決して見られなかった

と思えるのです。



そして、私は、この時以降も、


その最中には「最悪!」と感じられて、


実は「本当の幸せ」へ至る為に必要なステップであったと・・、


後になって気が付く体験を、何度もする事になりました。














これまでに書いて来ましたように、



自分の子供時代にフォーカスした私は、


子供だった私に対する

当時の母親の態度に強い怒り、反発を覚えるようになりました。



子供時代、母に激しく怒られた事で、


「自分は悪い子である」

「ダメな子である」


と思ってしまった事に「気づいた」と書きましたが、



ここまで読まれた方の中には、


母に激しく怒られていたその記憶を


私がその時、初めて思い出したと思われている方も

いらっしゃるかもしれませんが、


そうではありません。



激しく怒られていたという記憶、認識はそれまでも

はっきりとありました。



気付きが起きたその時になした事は、


例えば人に話す時のように


「あぁ、子供の時はよく怒られていたわ~

母親はものすごい剣幕で・・」などと、


離れたところから遠目に、その頃の事を語るようなものとは

全く別な意識状態なのです。


さぁこれから、子供の時のその場面に、


「身と心ごとそこへ行ってみるぞ」

「逃げずに目を見開いて、はっきりと感じとるぞ」


という「覚悟」と一大決心で

そこに向かうような感覚でした。



そして、

その覚悟を元に行った、その場面で感じ取った、


子供の時の自分の気持ちや思いは、



「自分はダメな子である」

「自分はとても悪い子である」


という思いと・・


そして、もう一つそう感じた、とても辛い気持ちは



「自分はお母さんから憎まれている」



というものでした。



それは、言葉にすると、とても強烈な響きですが、



怒っているときの、母親のその怖い顔、声、言葉

響きからは、


それは自分に向かられた怒りとしか感じようが

なかったのです。


そして、この思いは、更に母に対する不信感、

怒りを呼び起こしてしまいました。



なぜなら、母はそれまで、私に対して


いかに私の事を大切に育てて来たか、

私に対してどれほど愛情を持っていて、

私の為ならどんな苦労もいとわず

自分を犠牲にして頑張って来たかを


事ある毎に語っていたからです。


事実、経済的に厳しい状況でも、母は働いて

、私に習い事などを色々させてもくれていました。


ですが、怒りをぶつけられた感覚、

自分は憎まれているという感覚と、


母が言う、自分は子供を愛している・・という言葉は


私の中で、大きな矛盾を生み出しました。


そして、それから私の目に入る母親は、


自分の事を「良い母親」だと思い込んでいる人・・と

映るようになりました。



そんなある日、


母親が、私に電話で妹の事で、あれこれ話をしていた時です。


親の目からみて、その時まだ学生だった妹の言動について、

非難めいた事を私に話していたのですが、


そんな事は、それまでもよくある事でした。


そしてそれまでの私は、いつも聞き役に徹して、母の意見に

同調すらしていました。



しかし、その日は全く違う展開になりました。



母の妹に対してのあれこれの言葉を聞いていたその時、


自分でも驚く程の怒りが、一気に込み上げて来ました。


そして気が付いたときには、抑えられない程の勢いで、


「お母さんは、一度でも子供の気持ちを考えた事があるの!?」


と切り出した私は、


余りの怒りと興奮で、その後自分でも何を言ったか覚えて

いないのですが、


更に激しい口調で、母を責める言葉を一気にまくし立てた

のだけは覚えています。



これが、その後長きに渡り続く、


母との「激しく、厳しく、とても辛い論争」の始まりの日になりました。





前回まで書いて来ましたように、



12年前のその日を境に、


私がそれまで、「私のもの」だと思っていた価値観や考え方が、

自分のものではなかったと気が付いた事で、


私の目に見える世界までもが、

それまでとは全く違って見えて来るようになりました。



今では、

考え方や価値観は親の影響を大きく受けるものである事は

分かっていますが、


・・・いいえ、

当時の私も、知識だけは詰め込んでいましたので、

頭では、それは分かっていたはずなのです。



なのにそれまでは、進路など、自分の人生を左右する選択

の時に、


「それは私が本当にやりたい事なのか?」


という問いかけを自分自身にして来なかったのです。


そして、自分に問いかける代わりに、


無意識にも、答えを「親の反応」に求めていたのだと思います。


ですので、



私はその日から、


「自分がどうしたいのか?」という事を、自分に問うところから

スタートせねばなりませんでした。


まるで、

また0歳から再スタートのような気持ちになりました。


それでも、これまで長い年月ずっと背負って来た、

得体の知れない重い荷物を下したような・・


その解放感、安堵感は言葉では言い尽くせない程のものでした。


「別の人間になれ!」と


私を追い立てる存在から解放されたのです。



何故、それまで苦しみから逃れたくて、

あんなにも心に関する本を読んで読んで、答えを

探し求め続けていたのに、


私は自分の子供時代に目を向けようとしなかったのか・・



それを言葉にすると、


「それだけはしたくなかった・・」という感覚が自分の

中にあったのです。



そのフタを開ける事なく、何とか人生を上手く持っていけ

ないかと、


ジタバタ抵抗しながら、無理やり前に進もうと

していたのが、それまでの自分だったように思います。


この私自身の体験が、


いかに人間が、幼少時の記憶にフタをして、

そこを見たがらないかという事・・、


その記憶が辛いものであればある程、


無意識にもフタを固く閉めてしまうものである事を


最初に身を持って知った体験となりました。