Human Nature ・・「人間」に秘められた無限の可能性”発見”の日々 -2ページ目

(前回のテーマの続きです)



健康や病気についての、あらゆる本や情報に触れ

続けていくうちに




病気が治ったり、回復していくのは、


結局のところ、



その人自身の「自然治癒力」によるものなのだ


・・と思えて来るようになりました。




自分自身や家族の病気を治したいと思っていましたが、



出来る限り多くの情報に目を通したかったのは、

とても単純な考えからで、


数多くの理論や考え方を調べて、


その中全てに「共通している」理論や方法であれば、

確実性が高まると思ったからでした。




しかしながら、そのようにして「全てに共通した理論」を

見つけようとすると、



健康情報を色々調べた事のある方なら、経験されている

かもしれませんが、


実に様々な説や理論、考え方や方法があって、

中には、全く真逆の事を主張しているものも少なからず

あり、



その中で、


「どれが正しいのか?」


などという思考で答えを得ようとしていると、

、混乱を来たし、情報の海の中で溺れてしまうのでした。



前半の長い年月を、私は殆どこの溺れた状態で過ごして

いました。



「どれが正しいか?」という視点で、

共通項を見つける事が出来ず、断念したのは、



「食事法」

「運動法」など


に関するものでした。



そんな療法も、どの運動法も、効果があるのだろう。

と思いました。


しかしながら、その通り実行しても、効果の出ない人も

いるのだと。



読んで下さっている方の中には、


とても当たり前すぎる結論に、拍子抜けされて

いる方もいるかもしれませんが、



私にとっては、


「何故、効果のない人がいるのだろう?」


という、そこから生まれた新たな疑問自体が、



別な視点への足がかり、

ヒントを与えてくれる事になりました。



食事法や、運動法を実行しても、

良くなって行かないのは何故なのか?



「※効果には個人差があります」


という注意書きを良く目にします。



体質の違いから、生活環境、生活スタイルの違いまで、



結局としては、


誰一人同じ条件の元でその食事法や

運動療法を行えるわけではないのかもしれませんが、



では、極端に言えば、


体に悪いとされる食事ばかりとっていて、

運動らしき運動もせず、不摂生な生活をしているのに

不調もなく過ごしている人もいれば、


よい食事や運動を心がけ、健康に人一倍気を使って

いるのに、重病に陥ってしまう人もいる事という


この事実は、



食事法や運動法より、


もっと絶対的に大きな影響力を与えている

「何か」が、


人々の中にある違いとして存在するのでは

ないかと。


そのような考えが次第に大きくなって行きました。




私自身の体験としても、


最初はこの食事法で改善されたのに

(と思っていたのに)


その食事法を続けても、ある時期からどんどん悪く

なっていくという体験があり、



そうなって来ると、最後には


「一体、何が原因なんだ~!?」


と辛い症状の中、天に向かって叫びたくなる

思いでした。




そんな、また別の疑問に至たっただけで、


答えには到達出来ない前半の数年では

ありましたが、



冒頭に書きました



「人間は自然治癒力で治るのだ」


という結論だけは、


シンプルだけれども、



全ての理論、説に共通する事であると思えました。




手術をしても、薬を使っても、


その人の自然治癒力が働かなければ回復しない。



どんな健康法も、その人の自然治癒力を高める

為のものなのだと。



何年もかかって、確信出来たのは、

たったこれだけではありましたが、



情報の海に溺れるだけ溺れた後の、この確信が、


その後、


また新たな視点に移って考えていく上での


大きな基盤となってくれたのでした。



(次に続きます)



この約20年、本当に沢山の数の本を読んで来ました。



多かった時期は、月に40~50冊は読んでいたと思います。


お金が足りなくなる程読み続けていました。



何故そんなにも本を読んでいたかというと、



私にとってのそれは、


「答え探し」


だったのです。


自分や家族の病気をきかっけに、


病気や人間の身体についての真実を知りたいと

思いましたし、



少し大げさな言い方ですが、


我々人間が存在している「意味」を知りたいと思いました。


それにプラスして、私にとって本を読む事は、


ほっておくと自分の中に湧き上がって

、ドンドン大きくなってしまう


自分自身の「ネガティブな思考」から、


一時でも救い出してくれるものでもあったと

思います。



ですので、

そんな自分を一時は

「本依存症」であるようにも感じたりもしたり、


自分の本との関わり方が度を越えているのではないかと、

とても否定的な気持ちに陥る事もありました。


それでも、そのような本との関わり方を

止める事が出来ませんでした。



私が読んでいた本のジャンルは、



・病気・健康に関するもの


・生き方についてや、人生哲学的なもの
 心理学・潜在意識に関するもの


・宇宙の成り立ちや仕組みを説くもの


・・などが中心で、

小説や物語などは殆ど読んでいませんでした。



そして、特に、健康については、


読書というよりは、ありとあらゆる書籍に

目を通し、調べものをしているような・・



「人は何故病気になるのか?」 そして

「どうしたら病気が治るのか?」


その答えに繋がりそうなものを、片っ端から

調べる作業のようなものでした。


ありとあらゆる、病気や健康に関しての書籍を

買い集め、健康情報誌も欠かさずチェックを続け

ました。



そうやって長年に渡り、数多くの情報を追い続け

ていくと、そこに見えて来るものがあります。


まずは、


「最新の研究によれば」


というくだりを

度々目にする事に気が付くようになりました。



長年同じ情報を追っていますと、


「あれ?以前は、科学的な研究でこうだと言われて

いた事が、今回の研究では覆ってこうなったんだ・・・」



という事がかなりあるのです。


そうなると、専門家の説明で、今この現在に我々が

耳にしているものは、何年か後に撤回される可能性が

あるかもしれないと・・


当然思うようになります。


我々は、これをどう受け止めれば良いのでしょう?



そして特に、人間の可能性については、どんどん

拡大して行く方向が見えて来るようになります。


細胞のふるまいから、脳の機能など・・


限定的だった説が、可能性が高まる説に置き換わって

いくのです。



結局のところ、我々は、

自分達人間の身体についての真実を、まだほんの一部

しか発見出来ていないのではないかと、


そのような視界が、次第に広がって行きました。


しかしながら、


人間の本当の可能性をまだ発見出来ずに

、真実を限定的に、あるいは間違っているかもしれない、

現在までの科学的な研究結果に基づく


「専門家」の説明であっても、


私たちは、中々そこに疑いの目を向けるのは

難しくなります。



例えば、病院で医師から、


自分の病気や症状についての説明を受けた

時、


そして、その説明が、良くなる可能性を

否定するものであった時、


その言葉を受け入れずに、


「いや、私は必ず回復出来る」と思えるでしょうか?



ですが、


医師が伝えている事は、


「これまでの研究に基づいた、現在までに

そうだと結論付けている事に基づいた説明で

あるのだ」


と捉えながら、説明を聞いていれば、


自分の中に何の判断基準もないまま、

説明を聞いているのとでは、全く受け止め方が

変わって来るのではないでしょうか?


私は、特に「催眠」を学んでから、


「暗示」がというものが、人の身体に与える影響の大きさを

とても強く実感するようになりました。



レモンを思い浮かべただけで、唾液が出る・・


さっきまで、元気だったのに、

会った人に「顔色悪いわね」と言われたら、

そうかな・・と思って考えているうち、何だか

寒気がしてきた・・


挙げたらキリがありませんが、


それと同じように、


医師から、病気についての悲観的な説明を

受けた事で、それが暗示となってしまえば、


身体はそのように振る舞い始める可能性が

あると思うようになりました。



そのような「暗示」についての事などを、


知っていて医師の話を聞くのと

何も知らないで聞くのとでは、


身体に与える影響が違って来るのでなないかと・・。



話がそれますが、


ニュースなどを見ていると、

インタビューで、


「政治家の言う事を信じていない」


と訴える

国民はかなり多いように感じます。


ですが、医師が言う事についてはどうで

しょうか?


きっと、政治家程、疑いを持つ人は多くないの

ではないでしょうか?



ですが、初めて会うその医師に、普通はどんな人

かも分からず、


時には、自分の命を預ける状況にもなるかも

しれないのですが、


どんな言葉も、受け入れてしまう事に疑問はない

でしょうか?


特に、もし、それが悲観的な言葉だったら

どうでしょうか?




(次に続きます)








前回まで、



私自身の目に映る母親の姿が突然変わってしまった事で、

(母は何も変わっておらず、私の感じ方が変わってしまった)


それまでずっと仲よくやって来た母親と、

言い争いをするようになった経緯をお伝えして来ました。



母親は、C型肝炎で、若い頃から常に体調の悪さを訴えて

いましたが、


この喧嘩が発端となって、



それまでの私には見えていなかった母の内面に気が付く

ようになりました。


その内面の状態が、身体の状態とどのように関係して

いるのかという事を、


その後の数々の学びや体験と共に理解していくように

なった経緯を、また次回以降お伝えしたいと思います。



今回は、


「病気になった時」


というテーマでお伝えさせて下さい。



私の父は49歳で、突然、間質性肺炎という難病を


発症して亡くなりました。



その時は私は19歳でしたが、


「一体、父の体に何か起こったのだろう?」という


疑問で一杯でした。



母の口から聞いた、医師からの説明は、


父の体に異変が起きた「原因」伝えるものでは

ありませんでした。


要するには、原因は「不明」だったのです。



その後20数年かけて、答えを探し求める中、


抜け落ちているのは、「ストレス」との関係

ではないかと、


病院にかかって、出来る限りの治療を施して

貰いながらも、


殆どの場合「手付かず」なままなのは、


「心」の部分ではないのかと強く思うように

なりました。


そんな近年、


医療についての実態や、疑問を提起し、


心のケアの大切さを訴える医師らの存在を


知るに至り、



その勇気に心から感銘を受けています。


その医師らは、


患者さんに対して、


まず、

自分の心内に苦しみを抱えていないかと、

そこに注意を促すのです。



昨今、病気のかなりのパーセンテージが


「心身症」であると言われながらも、


それを重視して治療がなされる病院が


どれ程あるのでしょうか?




病気になった時、


不安な気持ちで診察室に入って・・


医師から


「このところ、何かとてもお辛い気持ちや、

大変な事など、無理をされていた事など

ありませんでしたか?


もし、そうでしたら、病気は、そんな辛い

気持ちを手放して、もっと楽になって行き

ましょうと知らせてくれているサインでも

ありますから、


無理をせずに、この機会に心も楽に

していきましょうね」


などと声をかけて貰ったらどう感じる

でしょうか?




病気で患者も家族も震え上がるのではなく、


病気になった事がきっかけで、

辛い気持ちから抜け出る事が出来た。


家族にも笑顔が増えた。


などという事が当たり前に起きている未来を



・・・そんな未来を、私は夢見続けています。



そしてそんな未来の到来を強く信じています。