私は北京で産まれました。
エイプリルフールだからって、嘘じゃありません。
このブログの、一番初めの記事をご覧ください。
ある暇な土曜日
私は、自分の産まれた病院を見に行ってきました。
北京に、日中友好病院という病院がある。
いや、正確に言うと
中日友好病院。
これは、全て日本の援助で建てられた病院。
中日友好病院ができて、26年。
私は25歳。
私が産まれる少し前にできた病院。
私が産まれたときは、ピカピカだったそう。
地図を見ながら、母とともに、病院へ向かう。
あったあった
中日友好病院。

母が覚えていたのは、この表玄関のみ。
夜中に産気づき、すやすや眠っている長女、長男を置き去りに
父の怪しげな運転で、この表玄関に乗り付けたんだとか。
もちろん、私には何ら記憶はないけれど
その時、そこに「いた」のは自分だ、と思うと
とても不思議な気分。
もうすぐ産まれるはずの私は一体、何を考えていたんだろう。
ここも段々狭くなってきたぜ
そろそろ出ようか
おいおい、まだかい
そろそろ出たいぜ
(医者の到着が遅れて待たされたらしい)
ふー、やっと出られた
おやまあ、狭かった腹の中とは裏腹に
この中国大陸はなんて広いことだろう!
さて、この中日友好病院。
先ほども書いたけれど、全て日本の援助で建てられた。
記念碑なんかないかな?と探してみるが
それらしきものは見当たらない。
表広場にどでーんといるのは、なぜか
鑑真。

そりゃあ、まぁ
日本と関係はあるけれども…。
病院の中にも入ってみたけれど
いたのは、漢方の有名なお医者さんの像。
日本の影もカケラもない。
更に、裏庭に行くと、これまた何か像が見える。
随分、後ろ向きな像だ。なんだこれは。

前に周り込んで見てみると、これ
ナインチンゲール。
なんだこりゃあ。
もうちょっと、日本っぽさを出してくれてもいいのに。
ナインチンゲールって、なんだよ、ナインチンゲールって。
しかも後ろ向き。
完全に、落ち込んでる人の後ろ姿じゃないか。
「元気出せよ、ナインチンゲール」
と、声をかけたくなるような
そんな、ナインチンゲールだ。
私の産まれた、中日友好病院。
色々と、ヘンテコなところはありましたが
それでもやはり、私はここで産まれたようです。
当時、ピカピカだったらしい病院は
今、薄汚れていて、25年という歳月を感じさせました。
同じ時間を刻んだ私は、しかし
薄汚れるわけにはいきません。
ここからまた、愉快な人生を歩いていかねばなりません。