『自己理解』のためのチャネリング

『自己理解』のためのチャネリング

モヤモヤから抜け出し、本来の自分を生きるための「自己理解」について、チャネリングからの情報も織り交ぜてお伝えしています。

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前回の投稿までの1年半、自分自身に集中して向き合った事で大きな変化を感じていた

私ですが、

 

この1か月で、また想像以上の気持ちの変化があり、

それについて書きたいと思います。

 

私が人間の心の不思議さを身を持って実感したのは、20年以上前、

鬱状態で、ある日とうとう9階の部屋のベランダから飛び降りたい衝動が

ふっと出て来た時に、

 

もうここまで来たら、これをするしかないというような、

そんな気持ちで自分の幼少時の記憶に意識を向けてみたところ、

 

まだ幼稚園児の自分が、母親から激しく責め立てられている場面を思い出し、

 

その時の幼い自分が

「お母さんがこんなに怒るって事は、わたしはもの凄く悪い子なんだ、

そんじょそこらの悪い子じゃなくて、とんでもない悪い子なんだ」

と思っているのを感じました。

 

そして、その思いが大人になってからの私の苦しさにつながっていたのだと。。

「自分はとんでもないダメで悪い人間だ」

という意識がずっとあった事に気付けました。

 

自分が「とんでもないダメで悪い人間」だから、

「素晴らしくて良い人間」にならなければといつも頑張っていて、

でもなれなくて、そして、ダメで悪い人間だとバレないように、

いつも取り繕っているような感覚があったのだと、

そのように気付けたときに、

 

それまで自分を覆っていた重苦しい厚い岩のようなものが崩れ去るかのように、

その日一日にして鬱状態から抜ける事が出来たのです。

 

それまで心についての本も色々読んで、前向きになれそうな自己啓発本も沢山読んで、

どんなに頑張っても、どんどん苦しくなるばかりだったのが、

 

この時のほんの数十分間の体験で一気に楽になれた事に驚き、

 

「一体、私に何か起きたのだろう??」

 

と答えを探していた時に、それが催眠療法と呼ばれるものととても似ていることを知り、

そこから催眠を学びたいと思うようになったのが、全ての始まりなのですが、

 

最近、私が催眠を学ばせてもらったところで、

精神科の先生が医療催眠をされていることを知り、

そしてそこのセミナーでご一緒した、女性の小児科の先生が最近開業されて、

催眠をやられるとの事で、

 

過去、自分と家族の病気の時の記憶から、

お医者さんに対して構えてしまうところがあった私は、

 

そして、特に催眠療法は、一般的な日本の医療の現場では受け入れられていない印象を

持っていたので、そのようなお医者さんがいて下さる事自体がとても嬉しく感じましたし

 

そして常に、心を重視してくれる医師を探していて(病気で悩んでいる方に紹介したいので)

そして、自分自身はもう10年以上催眠を受けていないので、

今の自分の課題に催眠で取り組みたいと思い、

 

先に精神科の先生に、後に小児の女医さんにオンラインでセッションを申し込んだのですが、

 

今回、以前の自分には出来なかったであろう行動が、

 

精神科医の先生の催眠セッションは、4回を日を分けて行うものだったのですが、

最後のセッションが終わらない前に小児科の先生の催眠セッションを申し込んだ事です。

 

以前の私だったら、ちゃんと一つのセッションを終わらせてから次に移るべきだと考えた

でしょうし、二人の先生に同時になんていい加減な事をしているような、

失礼に思われないかなどど心配してしまったと思うのですが、

 

まずはこの先生方が、これまでのどこか威圧感を感じるようなお医者さんのイメージから

外れた安心感がある先生方だった事、

そして私自身が、今、自分の衝動にブレーキをかけない事を

この先生方は私の成長と捉えて下さるだろうと思えたからですし、

 

そして、そんな自由な自分で先生方を信頼出来、

セッション、カウンセリングを受けられたことで、

 

過去に自分のアトピーや家族の病気で辛かった時の気持ちと病院での記憶が

トラウマのようになっていたのが癒されている事に気付きました。

 

そう、それまで私は「お医者さん」が怖かったのです。

 

そして、

今回受ける立場で、改めて催眠療法の効果やすばらしさを実感した私は、

まだまだ世の中では「催眠」という言葉に、

怪しさや怖さで反応されてしまう事が多い事を本当に残念に思います。

 

ですが私自身、あのような体験がなければ催眠に行きつかなかった事を思えば、

その現状も当然とも思うのですが、

 

心が自由になったこの勢いで、

催眠についての誤解を解けるよう、声を上げたくなって来た今日この頃です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の投稿から、1年半も空いてしまいました。

 

私自身数年まえから、身体の重苦しさ、慢性的な不調を抱えるようになっていたのですが、

それまでの自分は、身体に症状が出ると、自分の思考や感情に注意を向け、

苦しい思考感情に気付き、それに働きかける事で症状が長引く事はなかったので、

 

その慢性的な重苦しさ、不調についても取り組んで行こうと、自分なりに向き合っている

つもりではいたのですが、

どうにもこうにもの状態がずっと続いていました。

 

それで思い切って、一旦棚卸しの時間をとる事にしたのです。

 

そして、その棚卸しも一段落し、身体の方も上向いて来たのをはっきり実感出来たので、

また活動再開となりました。

 

そして、1年半前の自分と今の自分は全く違うなぁと実感しています。

 

この1年半の間、どのようにして自分と向き合って来たかなど、

次回から、またお伝えさせて頂きます。

 

 

 

 

 

 

私自身が、自己催眠に似た体験によって、

まるで洗脳が解けたかのように、見える世界が変わってしまった事に

ついては前回までに書かせて頂きましたが、

 

もし、あの体験がなく、以前の延長のままの自分で毎日を送り続けていたら、

今、生きていなかったろうと思います。

きっと病死したと思うのです。

 

何故なら、過去の自分は、49歳で肺の難病で亡くなった父とそっくりな生き方を

していたと感じるからです。

 

心について学んでいくと、

家系図のように、

自分の両親、そのまた両親とさかのぼって図に書き込んで、

自分の兄弟、姉妹、両親の兄弟、姉妹も書き込んで、

 

其々の人の性格的な特徴、人生での出来事、家族関係、病歴などを見て行くと、

ある種のパターンが見えて来るのですが、

 

私自身、自己理解の為に、そこから読み取る事はずっと続けていますし、

今でも、新たな発見があったり、これからも自分についてより明確になって

行きたいと思っているのですが、

 

先ずに自分が強く引き継いでいた「罪悪感」のパターンは、

父親からの流れが色濃く出ていた事に気付けたことが、私にとってはとても

大きかったのですが、

 

その父の表に見えていた特徴的な傾向は、

とにかく人付き合いが多い人。

いつも友人たちに囲まれていて、会社帰りも付き合いで、

真っ直ぐ帰宅することなど滅多にありませんでした。 

 

そして、所謂「外面がいい」人で、

外では誰に対しても親切で優しく、寛大で、他人に対して怒りなど

ネガティブと言われる感情を見せる事はなかったようです。

 

しかし、家では、機嫌の悪いときもあり、家族の前では

外で程、親切で優しいという事はありませんでしたが、

それでも、仕事を真面目に続け、家族を養ってくれましたし、

 

こうして思い返して書きながらも、父という人間に対して、

批判的な言葉は出て来ないのですが(かつての私は違い父に批判的でした)、

 

母にとっては「酷い夫」という印象は最後まで変わらなかったように

思います。

 

何故なら、父はその人付き合いの多さで、交際費がかなり掛かり、

家計を圧迫していたからです。

 

ですので、

母は父の事をいつも責め立てていました。

 

そして、この父の傾向は、私自身にもありました。

 

母がお金の事で、父の事をいつも批判していたので、

意識的には「父のようになってはいけない」と強く思っていました。

 

なのに、どういうわけか、どうしても気付くと真逆の方になってしまい、

お金が手元にあるとあるだけ使ってしまうという事になってしまって

、苦悩する日々が続きました。

 

そして、これに歯止めがかかるようになったのは、

心の仕組みを理解し、

自分の内側にある原因に意識を向け、それを理解し、

更には、父に対する批判心、そこから続く、

自分に対しての批判心を手放して行けるようになってからです。

 

パターン通りとも言えますが、

 

父に似た私は、母に似た男性と結婚し、

 

結婚生活の前半、

父と同じ私の性質について、夫が責め立てるという事が起きて

いたのですが、

 

心について学ぶうちに、

分かって来たのは、この責める側、責められる側というのは、

お互いに両方の側面を持っているという事でした。

 

これについては、

言葉に出して、相手を批判する傾向が強いか

言葉に出さず心の中で相手を批判する傾向が強いかで、

外から見ては分かりにくいのですが、

 

どっちであっても、批判する側と、批判される側をその人生で体験

するという…

これは、相手の嫌いな性質は、自分の中にもあるという「鏡の法則」

でも説明出来ると思うのですが、

 

私が子供の頃から人生の前半まで見ていた景色は、

父がお金遣いが荒くて、母が苦労しているというものでした。

 

しかし父が亡くなった後、母が残された自宅を売却して、

金銭的に余裕が出来た時、母のお金の使い方は、計画的とは程遠く、

 

あったらあっただけ使ってしまうというのは、母の性質でもあった事が

分かりました。

 

父が生きていた頃は、使いたくても、お金がなかったので、

母のそれが見えなかっただけで、

聞けば、子供の頃から、お小遣いを貰うと、お姉さんは貯金していたけど

、自分は直ぐに全部使ってしまっていたとの事です。

 

このように父と母についてじっくり考察しつつ、

 

自分と夫との関係を見て行くと、このままだと、こうなって行く

可能性が高いという事なども推測出来るようになって来ると、

(あくまでも推測ですが)

 

結局、私も夫も、お金に関わるネガティブな自己イメージを持っており、

その自分に気付き、それを手放して行けるよう、

必要な体験を選んでいるとのだと実感するようになり、

 

その後、夫にとってのその体験が始まった時には、

大変ながらも、私の中に動揺も迷いもなく、必要な気付きや、

不要な思い込みの思考を手放す事に集中し、その後の未来・・・

お互いに、本来の自分の人生を送る方へ、意識を向ける事が出来たのは、

 

やはり、心の仕組み、人生の仕組み、法則を軸に持っていたからであったと

実感し、

そうでなかったら、

自分を責めるか相手を責めるか、という堂々巡りと、

「何でこんな事が起きるのだ」という生きる事への不安、迷いで

とても苦しんだと思います。

 

なので、今、チャネリングなどで、セッションをしていても、

お伝えしたいのはそこのところで、このブログなどで、少しでもお伝え出来たらと

書いているのですが、

 

中々短い文章にまとめられずで💦

 

私と夫とのお金のテーマについて、

また、父から引き継いだ罪悪感がどんなものだったか、

 

更に、次回に続きます。

 

私の事例が、皆さんの自己理解や、ご家族や周りに方への理解を深めるための

きっかけやヒントになれば嬉しく思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とてもとても久しぶりの投稿になってしまいました。

 

この間に、私は20年以上暮らしたマンションから、

湖の直ぐそばの、かなりの築年数の一戸建てを借りて移り住みました。

 

昔は余り自然に興味が湧かなかった私でしたが、

 

数年前から、自然に囲まれた暮らしをしたいという気持ちが湧いて来て、

その気持ちが日に日に大きくなるのを感じていました。

 

そして、夫と犬一匹と、この自然に囲まれた新な地で新生活をスタート

させたのですが、

 

つい先日は、夫が犬の散歩中に弱った狸に遭遇し、

 

どうしたものかとネットで調べると、

捕獲して連れて行けば自然動物保護施設で保護、治療し、

自然に返す取り組みをしている事が分かり、

 

夫が捕獲にトライしたものの、かなり弱っているにも関わらず威嚇されてしまい、

その日は夜から雨の予報で、

またまだ寒くて、

毛も抜け落ちているその狸が持ちこたえられるかどうかと、

どうしていいか分からず途方に暮れてしまいました。

 

そもそも、威嚇され、その狸が助けを求めているのかどうかと。

 

そして、偶々その時、オンラインでやり取りする予定だった、

 

去年からご縁あって、催眠やチャネリングを体験してもらった女性で、

私の手が回らないところを手伝って頂けるようになった彼女に、

その彼女は犬のトリマーのお仕事を長年されて来たのですが、

更には動物の気持ちに人一倍共感があることが

分かって来たところだったので、

 

出来なくても構わないので、その狸の意識を感じ取ってもらう事をお願い出来ないか

と伝えたところ、OKして頂き、

 

すると、

「仲間とはぐれてしまった。とても不安。。」と。

 

そして「助けてほしいですか?」と聞くと

「助けて欲しい」と。

また元気になって山に帰りたいという気持ちを伝えてくれました。

 

そして、捕まえ方についてもアドバイスを伝えてくれ、

 

私はそれを聞いて、迷いなく、また狸のところに向かい、

すんなり犬のケージに捕獲、

無事保護施設に預ける事が出来たのでした。

 

狸の気持ちを感じ取るなんて、ありえないと思われる方には、

一体何を言っているのだと、言われてしまいそうですが、

 

これまで色々探求して来た末、人間には、五感を超えた感覚、

受信機能があるとしか思えない私です。

 

サイキックと呼ばれる人や彼女だけでなく、その能力は誰でもあるのだけど、

この文明社会ではその能力を使う必要なく生活出来てしまうので、

眠らせているだけだと思うのです。

 

ですが今回のように、判断に困るとき(本当に困ったのです💦)、

頭で考えても答えが出せないときは、その力を使うチャンスでもあるのだと

感じた出来事でした。

 

 

 

 

人間の本質について学ぶ前の私は、
幸福な人生には努力が欠かせないのだと思っていました。

何もないところから一生懸命頑張って、知識や技能、そして
自分に足りない資質を身に付けなければならないと思っていたのです。

ですが、人間の本質について学ぶうち次第に、それは逆なのだと
理解するようになりました。

心の苦しさや、身体の不調の原因になっているストレスに対しての

カウンセリングやセラピーでは、

私たちが成長の過程で無意識レベルで身に付けてしまった、

自分に苦しい制限をかける思考、思い込みなどに気付き、それを手放して行くもので、

それを手放せば手放すほど、
自分の内側から、本当の願望が湧いて出て来るようになり、
「こうせねば、ああせねば」と頑張ることなく、
自分の「こうしたい、ああしたい」という情熱によって目的に向かって進んで行ってしまい、
無理に頑張っているときよりも高い能力を発揮出来るイメージです。

そして人間の能力については、
 

「サバン症候群」と呼ばれる、知的障害がありながら、、
それとは対照的に天才的、超人的な様々な能力を示す人々についての研究に

興味を持つようになってから、

本来私たち人間は誰もが、

彼らのような超人的能力を持っているのだと理解するようになりました。
 

けれど私たちは自分の思考で「出来ない」という制限をかけているので、その能力を

普段は発揮出来ず、

サバンの人々は知的障害で、自分の能力に制限をかけるような思考が働かず

(左脳損傷説)その能力を現す事が出来るのだろうと。

事故などで左脳を損傷した人が、その後、絵画など天才的な才能を発揮するようになった話を

耳にされた方もいらっしゃるかと思いますが、
そこからも同じ理由で、本来持っていた才能が表に出てこれたと。

そこから更に連想されるのは、
成功法則やコーチング理論などで語られる

「努力はいらない」

という言葉なのですが、
(サバンの人々は一切の努力をせずに超人的な能力を発揮しているところから)

私たちは子供の頃、自分の内側から「こうしたい、ああしたい」という
願望が湧き上がるより前から、
 

外からの「こうすべき、ああすべき」という言葉や情報にさらされ、
そして「自分はこのくらいの能力である」というのも、知らず知らず固定的な自己イメージ

として脳にインプットしてしまい、

その、自分の能力はこのくらいだと信じているところから、
理想の自分を目指すには、相当な努力をしなけれならない。と
そう信じているので、だからこそ、
努力しているのだけど、中々能力が伸びないという状態を維持して
しまうのだ...というカラクリを知って、
この何とも辛すぎる状態に私たちの多くがハマり込んでいるのだと実感するようになると、

私自身の思考についても、

「この思考は?」
「えっ、この思考も??」 というように、

今まで必要不可欠で疑う事もなく慣れ親しんで来た,、自分のお決まりの思考さえも、

ふと自分には苦しいものだったと気付いたりなどして、
 

もうこれも手放してみようと思えると、

その途端に気持ちがふと楽になり、

自分の内側に自由で心よい感覚が広がって行くのを感じました。

この「努力はいらない」という言葉について、理解を深める道のりで
得たものは、私にとってはとても大きいものでした。

そして前回の

思考で「貢献すべき」と思っているのと、内側から「貢献したい」と
湧き上がって来るような願望との違いについても、

「貢献すべき」という思考の裏には頑張りや努力が必要という思考が
セットになっていて苦しく能力も発揮しにくく、
 

「貢献したい」という魂次元の本当の自分から湧き上がる願望は、
努力が必要なく、能力も最大限に発揮される上に、何よりそこに
喜びや幸福感が伴っている事。
逆に言えば、人間の魂とも呼ばれる意識状態では、貢献することに喜びを
感じるようになっているのだと。

そして、

人間は他者から認められたくて頑張る事が多々ありますが、
観察していると、その場合は失敗を引き寄せてしまう事が多く

ですが純粋に貢献したいという願望、目的には、自分が認められたいという要求はなく、

頑張りや努力ではなく喜びの情熱で進めるので、
、それ故、成功と幸福を同時に得られやすいのだと理解するようになりました。

同じ自分という一人の人間でも、どんな思考、意識状態で、それに取り組むかで

発揮される能力も、苦しいか幸福感を得られるかも、全く違う事を実感するように

なってからは、

自分の思考により注意を払い、
苦しさを感じる時には、

立ち止まって「本当の自分の願望」に意識を向けるようになりました。