永遠の別れ | 登米市・栗原市フラダンス教室 フラ・ハーラウ・マーヘアラニ

登米市・栗原市フラダンス教室 フラ・ハーラウ・マーヘアラニ

フラは上半身のハンドモーションと下半身のステップで成り立っています
地球はひとつの大地。耕すようにステップを踏んで空気を優しくかき混ぜるように
手を使って踊りながら平和(アロハ)の風を吹かせましょう。

「心がワサワサ。。。」



登米市発 フラ・ハーラウ・マーヘアラニです。






みなさまALOHA照れラブラブラブラブ

フラ・ハーラウ・マーヘアラニ主宰

Fumie Mahealaniです。



今年は特別な一年だった。

(まだ、終わってないよ爆笑アセアセ


クリスマスイブの日。

とっても楽しみにしていたクリスマスイベントの日に父が亡くなりました。



11月に父と最後に会ったとき、

「私は舞台人だからね、親の死に目には会えないんだよ。」と言いました。


父は「先生だからな、仕方ないな。」と笑って言いました。




優しくて、

カッコよくて

いつもオシャレで

何でも知っていて

頼り甲斐があって

頼もしくて

働きもので

ユーモアがあって




小さい頃からずーっと私にとって、

自慢の父でした。



父が理想でした。


父のような男の人じゃなければ、

オトコとは認めたくないほど、父は私の理想でした。



父は、結婚する前

アメリカ、カリフォルニア州サリナスに

農業研修のため3年間留学をしていました。



今では海外留学は、珍しくなく当たり前の世の中になりましたが、


昭和30年代後半に海外留学をした父は、

どれだけ優秀だったのか?びっくりって思います。

それも自慢のひとつでした。



私が3歳か4歳ぐらい?の頃に

父のホームステイ先の家族が来日し、

私の知らない言葉で、父が話しをしているのをビックリして見ていた事を今でも鮮明に覚えています。(50年も前の事だびっくり





海外旅行が大好きで、

「世界で一番美しく、また行ってみたいと思うのは、ハワイ。」って話しをしていたよね。



一緒にハワイに行きたかったなぁ。。




私が高校を卒業して横浜高島屋に入社する時に

高島屋の寮まで送ってくれて

別れ際に、不覚にも泣いてしまって、

そしたら父も一緒に泣いていて、、、


「やだ、みんな見てるよ」って、

最後は笑って別れたよね。



何十年も前の事なのに、今でもときどき思い出すときがあるよ。




89歳、って大往生だと思うけど、

それでも、もっともっと父と話しをしたかった。




覚悟はしていても

やっぱり永遠の別れは辛い。




心がワサワサアセアセ




本当に、今年は特別な一年。










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