玄海町 核のゴミも受け入れ? | 福島から山口・空・海・大地

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自然災害と戦争災害が、似ている。違うのは復興へのやる気

能登

 

ガザ

 Municipality of Gaza@munigaza・Apr 28
#Gaza_Municipality、Charitable Works Australia、市内の近隣委員会は、市が経験している健康と環境の大惨事を軽減するために、一部の地域と道路から部分的な廃棄物収集キャンペーンを実施しています。

約30日間続くこのキャンペーンでは、当局の支援により3万トンの廃棄物が収集され、1万トンの廃棄物が収集される予定である。

片づけから始まる復興。廃棄物はどこへ?

 

 

原子力発電と核廃棄物の受け入れは、似ている。金しだいが…

 

 

能登より中抜きもできる?

                   原発と核のゴミの玄海町

 

 

少子高齢化を原発と核のゴミで、生き永らえる…

1980年          2025年         2045年

open-Hinataです。全国の市区町村の人口ピラミッドを作ります。1980年から2045年(予測)の人口ピラミッドです。動画の様に「連続ボタン」を押すと時系列で連続してピラミッドを作成し過去と未来の様子がよくわかります。https://kenzkenz.xsrv.jp/open-hinata/#s

 

2012年2月放送誘惑の原発マネー~

佐賀・玄海町 崩れたシナリオ

 

国と電力会社からもたらされた巨額の原発マネー

その禁断の実を口にして生き永らえきた小さな町

原発に夢を託した佐賀県玄海町

そこには原発マネーなしでは、

たちゆかなくなった町の姿がある

 

岸本町長 2012年年頭あいさつ

”年内に、1~4号機は全部止まってしまいます

そういうつもりで、しっかりと町づくりをやっていきたい”

 

九州の北西部に位置する玄海町

人口はおよそ6,300人

漁業と農業が中心の静かな町

町を走ると巨大な施設が姿を現す

玄海原発

4つの原子炉 九州の電力のおよそ3割を賄っている

原発関連の歳入は町予算の約6割

2011年の原発事故後、周辺の自治体が慎重な中

玄海町は、再稼働に協力的な姿勢を崩さなかった

 

国は、定期検査で止まっていた2号機3号機は問題ないと

再稼働容認を伝え、全国で最も早く再稼働されるはずだった

 

ところが

菅総理がストレステストと…※2011年7月

さらに

国が行った説明会で、九電が社員にやらせメール発覚

再稼働賛成の立場から意見を表明するよう要請 by朝日新聞

 

7月7日 岸本町長

”ストレステストで怒りがこみ上げた上に、九電のことで怒りが倍増と

いったん撤回させていただきたい”

 

地元・焼き肉店 

こんなひどい落ち込み初めて。運転資金を初めて借り入れた

旅館

大半が原発作業員。1泊2食4800円でも長期滞在でやっていける

 

 

1965年 この町に誘致の話が持ち上がった

当時、やせた土地で細々と農作業が行われていた

貧しさから、出稼ぎに行く人も後を絶たなかった

財政難に過疎化で、将来に展望が描けない町

原発はまさに救いの神だった

 

当時、国策として進められた原子力事業

初期費用は掛かるものの、

ランニングコストは安く

夢のエネルギーと呼ばれていた

国は全国に原発を建設するため

1974年 電源三法を制定

受け入れた自治体に巨額の交付金を支給する精度

 

中山元町議

”とにかく誘致する一辺倒

反対する人はもちろん一人もいない

立派な建物が建って町民にもいくらかなりのうるおいがでるなど

ぜひ、こっちに誘致したいな”

 

誘致から10年後

1975年 1号機が運転開始

 

一方で反原発運動も行われた

元住職 仲秋氏

”将来禍根を残すんだと

国策であるし、国県町が推進側に立っていると

反対とかはなかなか言いにくいものでね

民主主義を踏みにじってくというのが、

原発立地推進の現実だと思います

まとまった金がくるとどうしてもおかしくなって

カネが切れたら次の財源が欲しくなる

麻薬に例えられると思います”

 

1979年 スリーマイル事故で反対運動が激化したが

用地買収で原発マネーがもたらされ、町民はしだいに口を噤み始めた

 

 

1978年3・4号機増設に向けた動き

元町議の山崎氏

”ねらいはまさに原発マネーだった

私たちが努力したかいがあって、現在がある

補償金協力金が入るので九電と共闘してやらないといけない”

 

22年で4号機まで

1975年から2012年まで交付金約265億円

 

周辺の店舗や旅館にもおこぼれが…

 

 

巨額の原発マネーで町の姿は一変

町民会館 25億円

体育館  10億円

至る所に豪華なハコモノ 中学生までの医療費は無料

一戸建て新築に100万円支給


 

九電からのお金 業業補償金

漁師”もはや補償金いただいている立場ですから、あんま言えんとですよね”

九電と漁業者の激しいやりとり

かつてサザエ アワビ 定置網

しかし

原発建設で漁場を失った

九電立地のため一番大切な財産を売って電気をつくる

漁協”田んぼや畑を売るのも、死活問題ですよね”

 

1969年 通産省の文書

業業補償こそが、事業の成否を左右する

 

元九電 徳田氏

漁業補償がすまないと、海の問題が手がつけられないからね

迷惑施設で受け入れるかわりに、地域振興に協力させてもらう

地元としてはたくさん貰えたと

電力としてはお客さんからいただいた電気料金から払いますので

極力減らしたいと

 

事業者は、協力金の要請がこない方が良い

立地を進めるにあたり、自治体の協力をもらおうとすれば

ある程度要望に応じざるを得ない

 

 

全国の電力会社が保障についてまとめた内部資料

補償額と漁業者要求額に大きな隔たり

漁協への協力金を支払って解決する方法

すべてが金の力で交渉が押しすすめらていた

 

元町議 山崎氏

2号機の補償交渉

1回目 九電 1億7千万  漁協 5億8400万円

5回目     2億3千万       

7回目     3億

最終      5億6300万円 1974年5月5日妥結

 

 

原発が来なければ入らないお金

それをうまく活用することで、」玄海町は発展する

 

岸本町長が官官接待

5年間11回 監督庁の経産省役員

 

”原発は生活の糧の一部”

”九州の電気をまわしている誇り、自信につながっていたと思う

その自信が福島の事故で崩れかけたかな~”と

 

原発立地の町は、廃炉もあり核廃棄物を受け入れるしかなくなる?

 

青字はブログ担当者の記事