チョット叩いてみた… じゃれ合ってみた…
嘘ついてみた…
式辞返してみた…
茶番動物園の収穫は?
by 防衛白書
茶番の影でドンドン閣議決定…
2月27日 食料供給困難事態対策法案&関連法改正案
●政府が民間事業者に増産や生産転換などを指示できる
イモつくれと命じられたらつくる?
●農地転用の手続き厳格化や農業法人の経営基盤強化
企業の農業参入が進む?
3月1日 地方自治法の一部を改正する法律案
●大規模な災害や感染症のまん延など、国民の安全に重大な影響を及ぼす事態が発生した場合に、個別の法律に規定がなくても国が
自治体に必要な指示を行うことができる特例を設ける
地方も、人間も戦争クローン化
国の指示まちで遅れたり、自治体の状況にあわなかったりしない?
国が変でも、言うこときかないといけないかも…ふぁしずむ?
戦争つながりに見えるけど
反戦デモが、テロとして対象に?
by西原扶美雄
トンデモ法律は、裏で企業や戦争に都合よくつくられていく。
原発もそうだった…
こういうふうになることは、国も東電も最初からわかっていた。
東京電力が原発をやると決めたのが 1955 年の 11 月 1 日。東京電力の社内に原子力発電課を設けた日です。
当時の副社長は福島県出身の木川田一隆。
※1977年木川田氏死去(伊達市梁川町山舟生出身)
2016年 伊達市保原町の汚染
福島県に狙いを定めて原発用地探しが始まったのです。
時系列でみると、1960 年 4 月、原子力発電所で大事故があった場合の「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害に関する試算」を原子力産業会議が作成しました51。
これはアメリカの例を参考にして作成されました。
ところが、大型原子炉で事故があったら国家予算の 2 倍もコストがかかると書いてある部分は、岸信介の命令で隠された52。
1960 年の 5 月 22 日(日本時間で 5 月 23 日)にチリ津波が起きるんです。
第一原発を大熊・双葉町に決めたのが 1960 年の 8 月です。
チリ津波の 3 か月後に、大熊・双葉町の土地取得を東京電力が県知事に申し入れる。
そして 1961年 6 月 17 日に原子力損害賠償法(原賠法)が公布されるんです。
大型原発で事故があった場合には国家予算の 2 倍もかかるという部分を秘密にしておいて、原子力損害賠償法ができた。
原子力損害賠償法というのは、原子炉で大型事故があったときに、その地域やその地域の人々を完全に救済しますとは書いていないんです53。
そこが大問題なんです。
こういうふうにしておいて、第一原発の設置が決定してから木川田一隆は1961 年の 7 月 27 日に社長になるんです。
第二原発をつくると発表するのが1968 年の 1 月 4 日。
第二原発を発表したときには『双葉原子力地区の開発ビジョン』(国土計画協会 1968)をつくった。
そのビジョンに原子力発電所の立地条件というのがある。
5 つ立地条件をあげていて、現状における原子力発電所の立地条件というものを整理してみれば、そのトップに近くに大都市がなく低人口地帯であること、と書いてある54。
事故があった場合に補償することができないということを原賠法で隠しておいて、近くに大都市がなくて低人口地帯であること、と55
第一原発、第二原発の設置は、大事故があることを想定して始まっている。
事故があった場合の補償はごまかすということで原賠法をつくった。
第一原発1 号機が営業運転開始するのが 1971 年 3 月 26 日。
3.11 までちょうど 40 年、
国・東電が想定したとおりの事故が起きた。
そして二度と再びもとの故郷は私どもには戻らない。やがて消滅する。
国や地域の発展のためにであって、国民のためではない
気づいた時は汚染環境、焼野原
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