3年生 2回目のカウンセリング①
レポートが書けないこだわりとは?
また意味を捉え違えているかもしれないので、とうとうこのことを書いてみることにした。
「どういうところがこだわりだと感じましたか。」
「こだわりで書けないのは、発達障害ですか。」
カウンセラーの先生は、一言「完璧主義。」と言った。
(やっぱり)
続いて、こだわりがあるだけで障害になるわけではない、という話をされた。
例えば、芸術家。
芸術家がこだわり抜いて絵を描いても、おかしくはない。
(そんなことわかってるよ!と言いたくてたまらない自分…)
カウンセラーの先生によると、
・私の指導教員から聞いた話では、私はレポートについて全くわかっていないわけじゃなくて、ちょっとの一押しがあればできるという感じだった。
→「全くわかっていないわけではないのに、できない」ところ
・この場ではそれほど話さないが、ブログにはたくさん思いや考えが書かれている。
→「考えていることがあるのに、言葉が出てこない」ところ
こういうところが、発達に特性がある人に見られる傾向と似ているということだった。
絶妙なところをついてくるなあ、と思った。
後者は、場面緘黙だからじゃないの?と思うかもしれませんが、それは実際に私と話してみればわかると思います
「ひねくれもこだわりと同じか?」
「あなたが言うひねくれも、こだわりと同じ…。」(ちょっと自信がなさそう)
ひねくれもたぶん広義の意味ではこだわりと同じなのだろう。
でも、ひねくれているとしかいえないこともある
診断をつけるか(2回目)
私が春休みに受診したときのことを書いたブログを読んでもらった。
先生は途中で笑ったりしながら見ていた。
「2、3分じゃだめだなー。」
「でも、ニーズには応えてくれたんだね。」
やっぱり、2、3分はダメらしい
「発達障害に詳しくない先生だったのかな?」
詳しくないであろう上に、自分も隠蔽して受診していたから
「診断をつけたかったら、よければ僕が非常勤で行っているところを紹介するよ。」
そもそも診断がつくのか?
今度こそ診断してもらうだけでは意味がないので、診断をつけるかどうかはもう少し考えてみることにする。
補足
今までで一番内容が詰まった回でした。
この手のことは、確かにカウンセリングでは話したことがないものの、ブログには過去に書いています。
場面緘黙に自閉スペクトラム症(ASD)の可能性を見出すのは、全然新たなアプローチではないと今では思います
そのときの記事にも書いてある通り、ASDは幅が広すぎて自分にはよくわからないです。
・追加事項
2020年の東京大学朝日講座、渡辺慶一郎先生による講義の概要です。
https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_files/11444/4/notes/ja/04watanabe20201021_final.pdf
(こっちはスライドのURL)
これはおもしろいですASDとSADが併存した場合についても書いてあります。