3年生 1回目のカウンセリング
チューターについて
「そもそも、学習支援をするようなチューターの制度は大学にあるのか?」という質問を紙に書いてきた。
回答
以前のコーディネーター(障害学生支援)のときはやっていたが、今は予算がなくてやっていない。
そっちじゃなかった
「ともかく、まずは受診して診断がつかないと始まらないからね。」
「もう行きました。」
「素早いね!」と驚く先生
「何ていうところ?」
→ 「……」(それは言えない)
「診断は出た?」
「何て言われた?」
「……」(口が裂けても言えない)
私がどこに行って何と診断されたのかは、母でさえ知らない。
この日、診断書も持ってきていなかった。
理由は、特に大したことが書いてないから。
「…場面緘黙、症?」
「だけ?」
そうです。
「場面緘黙症は、''話せない''っていうのが症状。
どんな支援が受けられるかは、症状によって変わってくる。」
あなたがレポートを出せないのは、話せないせいではない。
「あなたのそれは…、こだわり…。」
そっちだったの?!(ガーン!)
「だから、それに該当するような診断が必要。」
「ごめん。最初に言っておいたらよかったね。」
私は二重にショックを受けた
今までそういうことを話したことなかったのに、と思った。
場面緘黙の診断だと思っていたことが恥ずかしくなってきて、もはやガーン!というよりカーン!だった。
カウンセリングが終わった後、教科書を買ってから帰るつもりだったのに、ショックでそのままバス停まで来てしまった
(こだわりなのかな。こだわりといっても、どのこだわりなのかな。)
高校生のとき、同じくレポートが出せなかったときのことを思い出した。
この記事
期限を過ぎても一向に出す気配がない私に、担任の先生が聞いてきた。
「書き方がわからないから、書かないわけじゃないよね?」
(完全に見抜かれている…)
そのあと、「こういう理由がある。だからレポートは書けない。」ということを紙に書いて渡したが、担任の先生には、
「それは内部的要因でしょ?だから先生はどうすることもできない。」と言われた。
(今回も内部的要因だとしたら、どうすることもできないじゃないか。)
「こだわり」という視点から見えてくるもの
その後も考え続けた。
こだわりという軸で見ると、現在と過去がつながった。
これは、今までにない感覚だった。
小さい頃、ちょっと変だと自分でも思っていて隠したかったような行動が、現在の自分と同じ心から生まれていることに気づいた。
それは、少しだけ小さい頃の自分が慰められたような気持ちになった。