2024.07.14. 聖書預言アップデート

夜の盗人

JDファラグ牧師

主よ、私たちはあなたが再び来られ、私たち皆を連れて行ってくださるその時を待っています。もう準備ができていて、大変興奮しています。毎日、あなたに目を向けます。そして主よ、私たちの教会を祝福し続けてくださいますように。あなたの愛がみんなを祝福しますように。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

アーメン、アーメン。おはようございます。ようこそ。どうぞご着席ください。オンラインで参加の方もご覧になって大変嬉しいです。歓迎します。本題に入る前に、今日はタマヨ・ペリーの人生の祝いの日なのをお知らせします。ノースショアで、午後3時30分から始まります。それで、第二礼拝の、説教の長さについてはすでに牧師に話してあります。だって、牧師を知っているので。それで、参列予定の方に、ノースショアに行くのに十分な時間がとれますからね。タマヨと妻のアメリアは私たちの教会家族の一員でした。彼女、クリスタ、サラのためにお祈りください。もっとお名前を挙げれるのでしょうけど、たくさんの人々がおられます。でもどうか、ノースショアの人々のために祈って下さい。愛され、有名な、主におけるこの兄弟の、悲劇的で予期せぬ死は、皆を驚かせたから。彼が主と共にあるため、亡くなって家に帰る悲劇的な方法について、私は主に祈り求めました。主は、タマヨの死と、彼のすべての名声、そして彼が知っていたすべての人々を用いて、神は多くの人々をキリストの救いへ導こうとしておられると私に示されました。ええ。ー拍手ー

ですからどうか祈って下さい。それが一番ありがたいです。では、ご存知、これは日曜日の2つの礼拝のうちの第一礼拝で、聖書預言の教えに捧げる「聖書預言・アップデート」、毎週、長年してきています。第二礼拝は、神の御言葉を節ごとに学ぶ「説教」で、現在驚くべき「黙示録」です。今日から3章に入り、聖書箇所は、1節から6節までで、サルディスの教会宛の手紙です。学びのタイトルは、

『自分を頼りにする致命的な危険』

それどうです? 誰も第二礼拝に来なくていいですよ。実際これは私のためだから。私は自分に頼る自信と自分自身の肉の強さで行動する博士号があります。それが学ぶ内容ですが、もっと具体的に、おそらく実践的に、そしてより重要なこととして、その代わりに聖霊の力に頼ることの聖書的な3つの方法を見ていきます。そうすることで、自分の信頼に頼ったときに生じる危険、「自分を頼りにする」危険を避けることができます。オンラインの方、それを第二礼拝、ハワイ時間11時15分からライブ配信します。また、ユーチューブやフェイスブックでご覧の方は、ライブ配信終了を待たずに、今からウェブサイト JDFarag.org へ直接行かれ、中断のない、一切検閲されないこの「聖書預言・アップデート」を丸ごと是非ご覧ください。

それでは、始めましょう。イエスが、ご自分の来臨を夜の盗人に例えられたことの、2つの質問に答えたいと思います。最初の質問としては、具体的に、イエスがこの例えを言わば比喩を使っておられるのは、患難前携挙なのか、7年の患難時代なのか、あるいは再臨を指しておられるのか。そして2つ目の質問は、夜の盗人という比喩は、私たち信者に当てはまるか、それとも 未信者に当てはまるのか。では、なぜ私は、「聖書預言・アップデート」の内容でこのトピックに取り組んでいるのか。理由は、聖書の至るところで、救い主の来臨が『夜の盗人』になぞらえた比喩が見られるから。

主は、ご自分の来臨を夜の盗人と関連づける必要があるとお考えになられたのは、何か理由があるに違いありません。実際に、いくつもの理由があって、その第一の理由は、もし主が来られたら、ではなく、来られるその時、私たちが不意打ちにあうのを望んでおられず、 それゆえ、夜の盗人に例えられた。これを一緒に考えましょう。当たり前のことのしっかり把握ように思われるかもしれませんけど、誰も、夜中に盗人が来るとは思わないでしょう。だから、盗人は夜来るのです。ここまで大丈夫ですか? 私どうです? 良かった。想像してみて下さい。夜の11時に、盗人からテキストメッセージが来て、「ねえ、僕は地元の盗人で午前2時頃行くつもりなんだけど、ご都合いかが?」

「あら、どうぞ。私は見張っているから、眠らないよ。あなたをお待ちしています。」

それがイエスの仰っていること!! つまり、盗人が夜何時に来るかわかっていたら、あなたがたは準備ができているはずです。寝ているわけにはいきません。あなたは見張ります。今は監視カメラがあるから、監視することができます。「さあ盗人が来るぞ。よし! 予定通りだ。」逆に、ひっくり返すと、盗人が、夜の盗人としてやってくる時間を知らせなかったらどうします? そう、あなたはベッドに入り、寝る。彼は、あなたが予期しない時にやって来る。彼が来ることを予期していたなら、あなたは起きていただろうから。彼が来るのを期待し、目を覚まして、見張る。それが全要点で、私のイントロです。上手く伝わったのを願います。

では、5つの聖句を紹介したいと思います。私は5つ見つけました。もっとあるかもしれませんが、最低5つです。この夜の盗人という比喩は、主の来臨の文脈で言及されています。最初の1つは、第二礼拝の説教から拝借し、「黙示録3章2節と3節」の2つだけ引用します。繰り返しますが、これは第二礼拝で学ぶ、サルディスの教会宛の手紙で、イエスは、ヨハネにサルディスの教会の御使い宛に手紙を書かせられました。

「わたしはあなたの行いを知っている。」(黙示録 3:1)

そして2節で、、、言いますよ~「目を覚ましなさい!!!」

ー 黙示録 3:2 ー

目を覚まし、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行いがわたしの神の御前に完了したとは見ていない。鍵は、「完了したとは」

ー 黙示録 3:3 ー

だから、どのように受け、聞いたのか思い起こし、それを守り、悔い改めなさい。・・・

”でももし” これを聞いて下さい。

・・・目を覚まさないなら、わたしは盗人のように来る。わたしがいつあなたのところに来るか、あなたには決して分からない。

「黙示録16章15節」、イエスが語り、ヨハネが書いています。

ー 黙示録 16:15 ー

──見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩き回って、恥ずかしい姿を人々に見られることのないように、目を覚まして衣を着ている者は幸いである──

この節の後半は、情報量多すぎですけど、 前半はかなり良かったです。でも、イエスはまたしてもご自分の言葉で、ご自分の到来は盗人のようだと仰い、ご自分の到来を待ち望んで目を覚まして見守っている人々に祝福を約束されました。だから彼らにとっては、夜の盗人のようなものではない。皆さん、ここも大丈夫ですか?(会衆:はい!)よかった。「マタイの福音書24章」、この章全体は、もちろん非常によく知られた章で、それには理由があります。皆さんに注目してほしいのは、42節からで、イエスが語っておられます。

ー マタイ 24:42 ー

ですから、目を覚ましていなさい。(これが何度も出て来ますよね)あなたがたの主が来られるのがいつの日なのか、あなたがたは知らないのですから。

ー マタイ 24:43 ー

次のことは知っておきなさい。泥棒が夜の何時に来るかを知っていたら、家の主人は目を覚ましているでしょうし、自分の家に穴を開けられることはないでしょう。

ー マタイ 24:44 ー

ですから、あなたがたも用心していなさい。人の子は思いがけない時に来るのです。

「第二ペテロの手紙3章10節」、ここで、聖霊によってペテロが書いていることの違いに気づいてほしいと思います。ペテロの第二の書簡、3章10節です。

ー II ペテロ 3:10 ー

しかし、主の日は盗人のように・・・

(主の来臨ではなく、主の日です。違いがあります。覚えておいて下さい。)

・・・主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。

「第一テサロニケ人の手紙5章」、最初の4節、使徒パウロは、聖霊によってテサロニケの教会に手紙を書いています。彼の言葉に特に注目してください。実は彼はこの4節の中で2回、この比喩を使うからです。1節から、

ー I テサロニケ 5:1 ー

兄弟たち。その時と時期については、あなたがたに書き送る必要はありません。

ー I テサロニケ 5:2 ー

主の日は、盗人が夜やって来るように来ることを、あなたがた自身よく知っているからです。

ー I テサロニケ 5:3 ー

人々が「平和だ、安全だ」と言っているとき、妊婦に産みの苦しみが臨むように、突然の破滅が彼らを襲います。それを逃れることは決してできません。

ー I テサロニケ 5:4 ー

しかし、兄弟たち。あなたがたは(←この対比に注目)暗闇の中にいないので、その日が盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。

夜の盗人が来たら驚くようには、なぜあなたがたは驚かないのか? あなたがたがは、目を覚ましていて、見張って、期待しているから。彼らはそうではない。彼らは予想外のことだから、不意を突かれることになる。でも、あなたがたは不意を突かれない。あなたがたには、夜の盗人のように、襲うことはない。

OK。これらの預言に共通するのは、最も重要な、、、これを誇張し得るのかどうかもわかりませんが、最も重要なのは、目を覚まして見張ることです。そうすると不意打ちを食らわない。眠っていると、特に眠りの深い人、でも、あなたの眠りが深いなら、私は知りたくありませんからね。だって。。。おぉ、深い眠り、レム睡眠、回復のための睡眠が取れれば、朝起きると、「主を賛美します!!」その代わり、少し眠れただけで、深い眠りではないと、目覚めてこうなる。「主を賛美します。。。」ベッドから起き上がるのもつらい。でも、寝ているときぐっすり眠れ、深い眠りだと、周囲で起こっていることにまったく気づかない。シーツを取り替えても目が覚めないほど深い眠りの人もいます。再度、それがあなたなら、そのことを知りたくありませんからね。再度、ひっくり返して逆にすると、そう、あなたは眠っておらず、 間違いなく、深い眠りでないなら、時に、眠っているような状態でも、 周囲の状況や何が起こっているかは、まだなんとなくわかっている。特に、隣人がちょっとうるさくて、寝ようとしても、目が冴える。あなたは眠っておらず、見張っているなら。目覚めていることは、眠っていることの対極で、ええ、意味深いのは分かってますよ。当然ながら。でも、私が目覚めているなら、 私は目を覚ましていて、私が目を覚ましているなら、私は見張っている。私は期待しているから、見張っているので、もし主が来られたら、ではなく、来られるその時、私は不意を突かれない。では、夜の盗人のように ”主が来られること”と、夜の盗人のように ”主の日が来る”の区別について話しましょう。この2つは違います。その違いを説明するためベストを尽くします。

夜の盗人のように主の日が来るというのは、患難時代前携挙のことなのか、7年間の患難時代のことなのか? それとも、7年の患難時代の終わりの再臨を指しているのか?

答え:それら全てです。

私は賢ぶってるんじゃありませんが、この比喩が展開される3つの異なる文脈によって、

実際にはそれらすべてなのです。御付き合い下さい。まず、「第一テサロニケ人への手紙5章4節」のこの比喩は、患難前携挙の際に生まれ変わった信者のうち、目を覚まして見守っている者に適応し、そのため、ラッパが鳴る時不意を突かれない。パウロもそう語っています。実際、彼は最初にこう語り出します。

「本当は、あなたがたにこんなことを書き送る必要はありません。もうあなたがたにこのことを教えました。あなたがたはこのことを知っています。ただ、念のために言っておきますが、その日時、主の来臨の教会携挙は、あなたがたはもう知っているので、あなたがたにとって、夜の盗人のようになりません。でも、彼らにとってはそうなります。あなたがたは、目が覚めていて、気づいていて、主が来ることを知っていて、そして主はいつでもおいでになれるから。だから、あなたがたは、花嫁が結婚式の日を待つように、大きな興奮と期待を持って見張っていて、 花婿は、夜の盗人のように、誰も知らないその日その時刻にやって来られる。結婚式の告知には大きな問題。

そう、日にち:分からない。時間:分からない。日にちは未定。ただ準備をしておく。準備をするだけ。自分のともしびを整える。

これは「マタイの福音書25章」です。イスラエル、ユダヤ人に更に適応する箇所ですが、私たちにも当てはまります。なぜなら、ともしびは神の御言葉の類型の代表だからです。

あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。(詩篇 119:105)

ランプの油は聖霊の型です。 私たちには聖なる御言葉と聖霊が必要なのです。私たちは常にともしびを灯し、待ち続ける必要があります。いつになるかわからないから。でも、もしも、ではなく、来られるその時、私たちは不意を突かれたくない、最前列席にいたい。「ひや~~!!」やりすぎかな?(会衆:いいえ!!)ですから、その、パウロが、書いている文脈では、患難前携挙に当てはまります。夜に盗人が来る時、信者は、不意を突かれない。しかし、それはまた、信者と未信者の両方に当てはまり、その質問の2つ目にも答えています。再度聞いて下さい。なぜそうなのか説明します。

主は、夜の盗人のように、花嫁のために来られる。期待していない人は、不意を突かれる。で、主の日とは教会携挙ではありません。主の日は、神の裁き、神の御怒り、7年の患難時代の開始を指し、そして実際には、7年間の患難時代です。木曜日の夜に学んだばかりの「ダニエル書9章27節」の預言の通り、患難前携挙が、7年の患難時代の開始ではなく、多くのことが強制され、それらがより大きく、より強くなると共に、ダニエル書9章27節の”7年の契約”が成就し、時計の針が動き出します。その時ユダヤ人は神殿の再建を許され、反キリストは彼らとこの協定を結び、それを強制執行する。協定ではなく、本来は誓約です。彼は、ユダヤ人に神殿再建を許可することで、(契約を)より壮大に、言わばおまけをします。因みに、現在のイスラエルは、自分たちの神殿を再建できるのであれば、彼らはどんなことでもします。反キリストは言います。

「よし、もう大丈夫。この取引を成立させよう。」今、もうすでに机上にあります。ドナルド・J・トランプが発表した「平和と繁栄の計画」がそうだと思います。しかし、言うなれば、それはまだ実施、施行されていません。だから、反キリストが登場したら、彼はそれを強制し、おまけをし、より壮大にします。私の母国語アラビア語「ヘクビール:より壮大に」ヘブル語と同じ単語です。ヘクビールとは、物事をより偉大に:ハクバール もっと大きく、もっと強く、もっと甘く。 取引をちょっとだけ甘くする。「神殿再建を含めましょう。」「良かった!どこに署名すればいい?」ボ~ン!取引成立! それが7年間の患難時代開始です。しかし、7年の患難時代は、主の日、主の御怒り、主の裁きと同義です。それも、夜の盗人のように来る。それだけでなく、再臨も夜の盗人のように来る。ちょっと待ってよ~。つまり、一旦7年間の患難時代が始まれば、人々は、それが比較的近いと分かります。反キリストが誓約を固め、再度、ダニエル書9章27節には、3年半という具体的な日付まで記されていて、パウロがテッサロニケの信徒に強調する、ちょっと噛みましたけど、第二テッサロニケ☺️ ごめんなさい。「第二テサロニケ人への手紙2章」です。その方が牧師的ですね。「第二テサロニケ人への手紙2章」の預言で、反キリストは再建された神殿に、3年半の時点で、自らを立てるとパウロが語っていて、これはイエスが「マタイの福音書24章」で引用される「ダニエル書9章27節」とも一致します。反キリストは、「荒らす忌むべき」ことをする。ダニエル書で学びましたね。彼は自分を神だと宣言し、自分を神として立て、崇拝することを要求します。その時ユダヤ人は、この人物は救世主でないと気づきます。それが患難時代の3.5年の時点です。そして後半の3.5年は、イエスが「マタイの福音書24章」で仰る通り、

「逃げなさい。ダッフルバッグやiPhoneを取りに戻ってはいけません。充電器?それどころじゃありません。あなたがたに用意された場所へ逃げなさい。」現代のヨルダンのペトラです。現代のヨルダンの古代ペトラと言うべきですね。後半3.5年間。そこで再度、私が答えようとしている質問とは、ここで、自分と議論しているみたいになってますが、再臨が、夜の盗人のようにやって来るというのはどういう意味か?「第二テサロニケ人への手紙2章」の強力な惑わす力、つよい妄想です。なぜか? 彼らは嘘を信じたから。なぜか? 彼らは真理のイエスを受け入れなかったから。イエスが道で、真理で、いのちなのです。(ヨハネ 14:6

彼らはその真理を拒絶した。彼らはその偽りを信じた。だから、彼らはこの強力な妄想の下に置かれることになります。言い換えれば、彼らは自分が7年の患難時代にいることも分からない。だから、7年の患難時代の終わりに、イエスが私たちと共に来られる時、ある人の言い方が大好きです。携挙と再臨は、7年間の患難時代のブックエンド。

携挙:イエスは私たちのために来られる。

再臨:イエスは私たちと一緒に来られる。何万人ものイエスの花嫁を引き連れて。

そう、再臨は、、、皆さんご存知ですよね。聞いてください。 私はこの教会の誰も、私たちが上に行って、こう言ってほしくないです。 「あれ?一緒に戻るなんて知らなかった。」その時、私は絨毯の上に呼ばれますよ。「何て?あなたの牧師は誰ですか? ここに呼びなさい。」そう、彼らは強い惑わす力で欺かれ、目を覚まして見張ることはないでしょう。だから、彼らは予期しないのです。ですから、それら全てに当てはまります。患難時代前携挙に当てはまり、主の日である7年の患難時代に当てはまり、7年の患難時代の終わりの主の再臨に当てはまります。そしてそれは、違う形で、信者にも未信者にも当てはまります。じゃあ、どういう意味? ええ、この「夜の盗人」という比喩は、信者の私たちには驚きではない。主が来ることを知っているから。いつなのかはわからないけれど、私たちは見張って、準備はできているし、目を覚ましているから、不意を突かれない。しかし、未信者にとって、それは違う形で当てはまります。ある意味、言えるのは、同じ比喩に、2つの異なる目的があること。例えると、救いのABC、イエス・キリストの救いの福音を私たちが話す時はいつも、 聖句が語ることを話しますね。これらの聖句を実際に読んでみたいと思います。すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白します。(ピリピ 211

ちょっと待って。それは、キリストの下に来た信者に当てはまるのか、それともそうでない未信者に当てはまるのか? 答え:両方です。誰でもすべての舌が、イエス・キリストが主だと今、告白すると、救われる。一方、その偉大な最後の日に、すべての膝が屈められ、すべての舌がイエス・キリストが主だと告白するとき、それは救いではなく、天罰です。私のポイントは? それは両方に、違った意味で、当てはまる。夜の盗人は、信者と未信者の両方に異なる形で当てはまり、同様に、イエス・キリストが主だと告白するすべての舌は、信者と未信者に異なる形で当てはまります。「ローマ人の手紙10章」

8節から読みます。

ー ローマ 10:8 ー

では、何と言っていますか。「みことばは、あなたの近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは、私たちが宣べ伝えている信仰のことばのことです。

ー ローマ 10:9 ー

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。

その理由は、次の10節。

ー ローマ 10:10 ー

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

で、「ローマ人への手紙14章11節と12節」、これが違いです。

ー ローマ 14:11 ー

次のように書かれています。「わたしは生きている──主のことば──。・・・

おぉ、分かります?

ここでは少しトーンが変わります。

・・・すべての膝は、わたしに向かってかがめられ、すべての舌は、神に告白する。」

ー ローマ 14:12 ー

ですから、私たちはそれぞれ自分について、神に申し開きをすることになります。

訳すと、今告白した方が、ずっともっといいよ。そう言えるのなら、言いましたけど。そう、この主の日と神の裁きのこちら側では、今、イエス・キリストを主と告白することが救いにつながるのです。でも、来たる日には、待ちきれませんが、これを聖化された形で言います。誰かの名前や顔をあなたの頭に浮かばせたくありません。今、私自身がしているようには。でも私は彼らが膝を屈めるのを見るのが待ちきれません。彼らの傲慢さ、キリストに敵対する者たちが、膝を屈め、そして彼らの醜い大言壮語、冒涜的な舌が、イエス・キリストが主だと告白するのを。(会衆:アーメン!)

天罰のために。私はそれを喜ばしくは思いません。私は、神が最後の言葉を下されるのを知っていて、そしてそれが、彼らの口の中の舌によって語られる言葉になる。彼らは告白する。すべての膝が屈められる。あなたが誰であろうと、あなたが誰だと思っていようと関係ありません。私は怒っていません。怒っているように聞こえます?「ピリピ人への手紙2章9節~11節」に行くべきでしょうね。とにかく。パウロがピリピの教会に手紙を書いています。

ー ピリピ 2:9 ー

それゆえ神は、この方(イエス)を高く上げて、(↓これ大好きです)すべての名にまさる名を与えられました。

ー ピリピ 2:10 ー

それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、

ほ~!! ほぉ~~~!! それってあらゆる人々です。それが全ての舌です。それが全ての膝です。では聞いて下さい、11節。

ー ピリピ 2:11 ー

すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。

その日が来る。よろしい。この全てで話が向かう先は、ちょっと息をつかせて下さい。ちょっと興奮しましたので。イエス・キリストを主と告白することは、救いに至る信者に当てはまります。ですね? そして、同時にこれは天罰に至る未信者にも当てはまります。主の戻りを夜の盗人に例えた比喩同様、 私たち救われた者にとって驚きではありません。しかし、逆に言うと、未信者にとって、驚きなのは間違いありません。それを、今日の残りの時間で取り上げたいと思います。そのため、先に進むので、ユーチューブとフェイスブックでのライブ配信をここで終了します。もうウエブサイトにおられますように。

ー本編ー

よろしければ、質問を投げかけたいと思います。私も含め、すべての人に考えてもらいたいのは、このことに私自身も含めます。分かって下さいますように。そうすることで、このすべてが視野に入って来ます。

その質問とは、2020年に戻って、コロナとそれに続くいわゆるワクチンは、夜の盗人のように、あなたに不意打ちを食らわせたか? 私には不意打ちでした。誰がそれを予想しました? ただびっくりして、突然、全世界が閉鎖。私たちの中で誰が、、、 正直になりましょう。教会にいるんだから。私たちの中で誰が、こんなことになると予想したでしょうか? そうなることを私たちの中で誰が知っていたでしょう? そのことに驚かない人がいたでしょうか。まるで夜に盗人が来たように。もうひとつ質問を続けますが、そのために私は、、、どうか私の心を聞いて下さい。兄弟愛の名の下に、互いに、イエスの弟子として、意見が合わないことに快く同意してくれると信じます。それがイエスが仰ったことでは? 人々がイエスの弟子だと分かるのは、聖書の大きさではなく、あるいは、どれだけ使い古しているかでもなく、また、あなたがどれだけ疲れているかでもない。違います。あなたがイエス・キリストを信じ、イエス・キリストに従う者であることを信者でない人々が知るための判断基準は、互いへの愛です。それにより、知るのです。本当にその前置きが必要です。 その理由はすぐにわかるでしょう。 でも、私が質問したいのは、ある人が言ったように、非常に適切だと思うのは、クリスチャンの人生での霊的成熟の最高の証のひとつは、意見の相違に快く同意すること。私の話の向かう先を、皆さんもう気づいているかもしれません。私はただ謙虚にあなたに尋ねようとしているのです。私に同意しなくても、イエスの弟子として、イエスの御名において、快くそれを受け入れてくれますか? よかった。私はこれを言うために、そう前置きしました。

2001年9月11日の出来事。その結果、すべてが起こり、繰り返しますが、意見の相違は快く受け入れて下さい。最終的に、2020年のコロナへの道を開くため事前に計画されたものでした。

では、質問を投げます。今から23年前のあの日を覚えている人は、夜の盗人のように不意を突かれましたか? 会衆:はい。ええ、正直になりましょう。本音ですよ。いいですか? 9月10日(月)の夜、ベッドに入って、9月11日の火曜日の朝に、あのすべての崩壊が起こると、私たちの中で誰が思いましたか? 誰かが手を挙げるのを見たくありませんからね。だって、、、そうなら、私たちはあとで按手します。それは、あなたが思っているようなものにはなりませんからね。そこからは聖霊に任せます。さあ、これは修辞的ですよ。これは修辞的な質問。私たちの誰も、こんなことになるとは思わなかった。私たち全員が完全に不意を突かれました。 私たちは唖然とした。私たちはショックを受けた。非現実的だった。2021年はもういいから。2001年という意味でした。今何年? 2024年。2001年は忘れて。 それは、多くの人にとって辛い話題であることは分かっています。しかも、あたりを見回してみたら、中にはまだ生まれてさえいない人もいる。ええ、若い人たちに会って、こう思うときが大好きです。だって息子は、とにかく、まだ生まれてもいなかったから。だから、私はただ自分に言い聞かせます。思い出すほど年をとったのだと。つまり、そういうことです。_________の時に何をしていたか覚えてる? 空欄を埋めて下さい。JFKの話には戻りませんよ。ほら、オンラインにいるときとか自分の情報と生年月日を記入せねばならず、年を取るにつれ、すこし怖くなってくる。なぜなら、2000年から始まって、スクロールダウンしていって、まだまだ、ずうっと下。そこまで遡るのか? 2001年、その話は置いておき、説明と例のために使いますけど、2020年について話しましょう。いいですか? 現実離れしてませんでした? ある朝目覚めたら、世界中が封鎖されていた。そう、誰もそんなことになると思わなかった。あれは夜の盗人のようにやってきて、私たち全員を完全に不意打ちにし、驚かせたと言ったら安全で妥当でしょうか? そんなことは予想していなかった。私たちは、そのことを耳にし始め、 この感染症が広がっていること、本当に広がっているのかどうか、 何であれいわゆるコロナと呼んでいるもの、呼んでいたもので、しかし、彼らが本当に広めているのは恐怖心です。というのも、恐怖心は、動機付け、誘因という点で非常に強力だから。恐れはとても強力です。人が決して同意しないようなことをさせるため、行列に並ぶように仕向けることができる。すべては恐怖の名目で。聖霊は私たちに恐れを与えません。それは悪霊から来ます。聖霊は私たちに力と愛と、律された思いを与えられます。健全な思いとは、その意味の全容を全く捉えません。これについて時間をください。 このことは実は非常に重要で、私たちの理解にとって重要なことです。躾られた思いとは、躾られた子供のようです。子供たちをどのように躾けるかご存知ですね。子供たちを正す。聖霊は、思いを律することを可能にし、力を与えてくださいます。ええ、自分のことを言うべきじゃないね。なぜなら 私の体に入れるものに関して、正しくないから。つまり、「あれ本当に美味しそう。」ホルムアルデヒドが入っているのは知っているけど、 私はそれを食べて、体内に取り入れる。ええ、それが私です。じゃあ、あなたについて話しましょう。健康志向の強い方もおられ、 私はあなたを心から尊敬します。体に入れるものには細心の注意を払ってらっしゃる。私はあなたを賞賛し、拍手を送ります。因みに、お気づきでしょうか。余談で補足しますけど、ドライブスルーで、化学物質や毒物、ホルムアルデヒドを体内に入れることが、いかに便利で安価なものになったか。で、遺伝子組み換えでない実際の食品を手に入れることがいかに難しく、いかに高価になったか。あ、ハワイには発送できません。お住まいの地域ではご利用いただけません。サプライチェーン問題で在庫切れ。それでやっと健康的なものを見つけたと思ったら、値札を見て、それを買うのに二重ローンが必要だった。意図的ですよ。

ねえ、あなたのポイントは? 私のポイントはこうです。私たちは、自分の思考に何を入れるか、あまり律していません。自分の体に入れるものに対して非常に律している人もいるのに。で、どっちがマズいかと言うと、 思考・思いに入れる方です。すべてのはかりごと(思い)を取り押さえて(捉えて)、キリストに服従させねばなりません。(II コリント 10:5参照)

そう、思考が(霊的)戦いの場です。サタンは、あなたの考えを読むことはできません。 神に感謝します。神はお読みになれます。注意して下さい。でもサタンは、あなたに考えを置くことができます。種を植えられる。もし私たちがそれを受け入れ、肥沃な思いという豊かな土壌と出会えば、それは発芽し始め、芽を出します。悪魔が扉を叩いたら、彼を家に入れて、テーブルをセットして夕食に招待してはいけません。ダメです!! 自分から離れろ! お前は嘘つき、嘘つき、嘘つきだ。時折、それをする必要があるんです。ちょっとしたかったんです。良い響きなんで。次にする時は、もっと唸りますよ。

「お前は嘘つきだ。お前は偽りの父だ。私に嘘はつけないぞ。 それを入れるつもりはない。」それがサタンの攻撃方法ですから。思考を攻撃する。だから私たちは、思考を守るために救いの兜をかぶる必要があるのです。(エペソ 6:17参照)

すると、兜がそれを跳ね返し、敵が炎の矢を放っても、それが兜に当たり、私たちの思いを守ってくれる。第二礼拝で話すサルディスの教会について一番大事なのは何か? 非常に興味深いことに、救いの確信に関する詳細です。1番に、私たちが救われたら、サタンは救いの確信を攻撃したがります。「私には分からない。」と。彼はあなたの思いに小さな疑念の種をまき始め、するとあなたは考え始める。「おぉ、そうだな。もう分からないよ。」敵はあなたを捉えた。敵が入るのを許すなら。

では、すでに進行中の聖書預言・アップデートに戻ります。あれは完全に驚きでした。同意しますか? 少なくとも2020年に関しては。2001年は忘れて下さい。大丈夫。構いません。私はまだあなたを愛しています。あなたはまだ救われています。いやいや。でも、2020年だけ、単独にしましょう。誰も予想していなかった。 あれは完全に驚きでした。誰も予期していなかった。今や、もう4年以上経っているなんて信じられます? 今はもう古いネタ、もう4年半前ですよ。もう終わったこと。メモを受け取りましたか? パンデミックは終わった。いいでしょう。じゃあ、どうしたらいいの? また眠ればいいよ。思うに、特にこの2年間は、それが実にさりげなく始まったこと。でも、たぶん特にこの2年間、すでに多くの人が深い眠りに誘われています。イエスが仰ったサルディスの教会のように、「目を覚ましなさい。」第二礼拝でもっと詳細に踏み込みますが、今、多くの人々が、再び見かけの平常と豊かな生活を信じながら、また眠りについている。

「平和と安全」は どうですか? これから見るように、これがサルディスに起こったことで、彼らの破滅につながりました。彼らは自分たちは、三方を切り立った崖に囲まれ、堀もあって、非常に安全だと思い込んだ。「誰も堀がない。我々は、反対側には堀があり、侵入できない。だから、我々には何も起こらないんだから、さあ、戻って寝よう。リラックスして、楽しもう。我々は安全だから。」いいえ、あなたがたは死んでいる。(黙示録 3:1)

イエスはそう仰いました。そして、それはサルディスの歴史で2度起こることになります。街もそうでしたが、同じく教会もそうでした。理解すべきは、今、この教会はこんな感じで、「OK。うわ~終わったよ。パンデミックは終わったね。」みんな息を切らしています。そう、4年半だか何年だか、ずっとマスクをしていたんだから。私は、「なんと、それって本当に起こったっけ?」非常に狂っていました。もうこんな感じで、「何も無いから、続けて、次に進んで。終わったんだから。それぞれの人生を歩もう。今は何も問題ない。」悲しいことですが、教会はそうなってしまいました。場合によっては、世以上に、 世よりも罪が重いです。サルディスが陥落した時、それは、彼らが目を覚ましていない時、見張っていない時に、やってきて、そして、それが彼らの2つの言葉に繋がりました。

「突然の 崩壊」こんにちのサルディスに入ると、これと同じ認識で、「なあ、物事は平常に戻っていっているよ。新しい日常なのは分かっている、 でも、日常という言葉が入っている限り、私は新しい日常でいいと思うんだ。だって日常が好きだから。日常は、先が読めるから。」

物事が日常でないとき、それは日常ではありません。予測できないから。自分でコントロールできません。私も含めて、私たち一人ひとりが、 物事が正常でなく、狂っているとき、私たちはコントロールできません。そして、私たちはコントロールできないことを好みません。主にあなたの心を本当に探ってもらうなら、あなたの人生における葛藤や問題、課題の多くが見つかるでしょう。核には、全てのレベル、周りの全ての層を剥がすと、それらはすべて、核心的問題の症状で、 何が核心的問題かわかりますか?

自分がコントロールしたい。

私をそんな風に見ないでください。そうでしょう? 主との関係においても、私たちはそれを歌い、それを口にし、それを知っています。「神がコントロールしておられる。」で、私たちは心の奥底でこう思う。「いや、私がコントロールしたい。」「ああ、でも、神が何をされているのかわからないから、怖くなったんだもん。」いいえ。それを信仰と呼びます。「でも、私は目で見て歩みたい。」いいえ、私たち正しい者は、信仰によって歩む。信仰によって歩む。目で見てではない。言い換えれば、これを想像してみて下さい。神が支配しておられるのだから、あなたは神を信頼するしかない。

「ああ、でも神が、何をされているのかわからない。」それでいいのです。神は分かっておられます。神はご自分がなさっていることを分かっておられます。しかし、私たちの内には生まれつきの性質、アダムの性質、罪の性質、肉が、醜い頭をもたげます。平常、一貫性、安全性、予測可能を求めます。なぜなら、私たちはより安全で、私たちを取り巻く世の状況をもっとコントロールできると感じるから。私たちは物事が滅茶苦茶になるのが好きではありません。なぜなら、神を信頼しなければならないから。それを想像してみてください。今、事態はまさに狂っていて、神はこう仰います。「分かっています。はっはっは。」「ええ、でも神様、私には分かりません。あなたは何をなさっているのですか?」「今に分かります。」「嫌です。私は待ちたくありません。知りたいです。」「いいえ。待っていなさい。今に分かるから。この言葉は嫌いじゃないですか?「詩篇27篇13節14節」です。それを聞く必要がある人、今日、主からの適切に語られた言葉として、「待ちなさい。今に分かるから。」「いいえ、私は見たいのです。待ちたくありません。」「いいえ、待ちなさい。今に分かるから。あなたは、わたしが何をしているか分かりません。いずれわかりますから。因みに、わたしがそうすると、あなたはこうなりますよ。”おぉ~~~~~~~感謝します。ごめんなさい。ごめんなさい。”あなたは悔い改めるでしょう。自分に恥入ります。”神様、すみません💦 知らなかったんです。知らなかった。”と。わたしは分かっています。だからわたしがしました。」「おぉ、主よ、私がそれを知っていたなら、、、」「わたしはあなたに言おうとしました。なぜわたしを信じないのですか?」「でも神よ、あなたがあんな風に解決してくださるとは想像もできなかったです。私はすでに、この問題をどう友好的に解決するか、すべての指示を電子メールで送りましたが拒否されました。”送信されませんでした”で。どうやら、あなたは私の考えと提案が好きではないんですね、神様。今、理由がわかります。おぉ、あなたの道は私たちの道よりもはるかに高い。おぉ主よ、私たちをお許し下さい。」

では、このことを纏めてみます。人々の警戒心はまたもや解かれてしまった。そう思いませんか?

人々はまた眠りに誘われた。そう思いませんか? それが本当なら、私は心からそう信じますけど、もしも来る、ではなく、盗人が来るその時、

信者は患難前携挙で引き上げられ、

未信者は患難前携挙で不意を突かれる。

皆さん、分かりましたか? そう、パウロがテサロニケの信徒に書いているように、私たちも、特にあなたがこの教会に長く通っているなら、そうしておられるなら、神の祝福を。そう、長い間私に我慢してくれたことは、天に大きな宝物を積んでいます。今日はそんなに長く、、、気をつけないと、もう長くなってるから。時計を見ないでください。でも、私たちは不意を突かれない。私たちは引き上げられます。驚きにはならない。わお~!となります。うぉ~恐ろしい! とはなりません。うわぉ~❤️となります。うわぉ~❤️と言えるとさえ思いません。言葉が出ないほどの仰天だと思います。(ひゃ~~~~~)すでに多くの人がプロパガンダを耳にしているでしょう。その言葉を使いますけど、その言葉の意味は知っていますよね? あなたがプロパガンダとは何かを理解しているという前提で話を進めます。でも、かなり長く続いています。人々は、眠りに戻り、仕事に戻り、通常の生活に戻りつつあります。彼らは、もうこんな感じで始めています。

「次のパンデミックに備えて、このプロパガンダで皆の準備を整えよう。」

しかし、それは人が思っているようなものではないかもしれません。どういう意味か? ええ、いわゆる鳥インフルエンザであれ、疾病Xであれ、それはすべて、あらかじめ計画された第三次世界大戦の脅威によってもたらされるかもしれません。

これ、聞かれましたか? イスラエルでは今、それに火がついています。そう、ただそれは、つまり、例えが尽きてきたので、この辺にしておきます。もういつでもOK状態。今、まさに、神の御言葉が終わりの時にそうなると語っている通り、物事はとても熱くなっています。もう時間の問題です。私たちは終わりの時にいるのだから。

では、なぜ私は、鳥インフルエンザ、疾病X、第三次世界大戦、経済に注目するのか? 恐れ、恐れ、恐れ、恐れに。イエスは、これこそが終わりの時のプロパガンダだと仰ったからです。

「マタイの福音書24章」に再度注目してくださいますか? これは、弟子たちがイエスに基本的に3つの質問をしたことに対する答えです。3節から、

ー マタイ 24:3 ー

イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。・・・

イエスは弟子たちに、こう仰ったばかりです。「ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」(マタイ 24:2)

木曜日の夜の学びで話しました。彼らは神殿に見入っていて、彼らはエルサレムにいて、神殿が太陽で金色に輝いています。その壮大な神殿の明るさと輝き。彼らはここオリーブ山にいて、イエスは弟子たちに、仰います。「ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」すると弟子たちは、「そうなんですか?いつそうなるのです?」彼らは、3つの質問をします。実は、以前はこれを2つだと教えていましたが、実際には3つあります。

・・・「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか(1)。あなたが来られ(2)、世が終わる時(3)のしるしは、どのようなものですか。」

3つの質問です。答えが次の4節、

ー マタイ 24:4ー

そこでイエスは彼らに答えられた。「人に惑わされないように気をつけなさい。

ー マタイ 24:5ー

わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わします。

ー マタイ 24:6ー

また、戦争や戦争のうわさを聞くことになりますが、・・・

私たちは戦争や戦争の脅威を耳にしていますか?

・・・気をつけて、うろたえないようにしなさい。そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません。

まだ終わりではない。その理由は、7節、

ー マタイ 24:7ー

民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、・・・

原文では、民族は民族に、人種は人種に。ポイントは、ある人が仰ったのが好きなのは、

 「人種とは、肌(skin)の問題ではなく、罪(sin)の問題。 kを取ってください。」

あの人種とこの人種ではなく、私たちは皆、人類の一員です。でも、人種間の緊張、民族は民族に敵対して立ち上がり、それから、これを聞いて下さい。

・・・あちこちで飢饉と地震が起こります。

そして8節で、弟子たちの質問に対する答えとして、前述のすべての兆候を、ご存知、より頻繁に、より激しくやってくる産みの苦しみに例えておられます。今、皆さんにお聞きします。私たちがかつて見たことのないようなことが、より頻繁に、より激しく起こっているのでは?でも人々は眠っています。「ああ、地震はいつも起こるからね。」「いつも戦争はあったからね。」「いつも飢饉はあったからね。」「いつも災害や疫病に見舞われてきたからね。」「いつも反乱はあったからね。」

では、その論理の唯一の問題点は、いつもそれがあったけれど、今のような頻度や激しさはなかったということ。なぜなら、イエスが例えておられるのは、夜の盗人のような来臨ではなく、赤ん坊の出産。赤ん坊の出産に先立つ産みの苦しみです。 イエスが来られる前の産みの苦しみ。もう締めくくります。 手短にするためにベストを尽くします。でも、前もって皆さんにお伝えする責務があると思います。そうすれば、プロパガンダに不意を突かれることはありません。騙されてはいけません。人に惑わされないようにしてください。自分の屋敷から呼び出されたくありません。

「JD、また君の教会メンバーでこれを知らなかった一人がいる。こっちに来て。そう、話す必要があります。」知っておいてください。無知であってはいけません。使徒パウロは、聖霊の聖なる力をもって、何度そう言って書いたでしょうか。「あなたがたは無知であってはなりません。」聖書預言で詳細に告げられた通りに、予告的事前プログラムがフル稼働しています。そして、その頻度と激しさは増しています。あなたが知ってさえいれば。同情を求めていません。祈りが必要です。私は祈りを捧げます。使徒パウロは、何度も祈りを求めました。ところで、今日の午後の私のために祈って下さい。パウロが大胆さを求めたように、 今日の午後、イエス・キリストが必要な人々にイエス・キリストを宣べ伝える大胆さを持てるよう、私のために祈ってください。同情を求めてこんなことを言うつもりはなく、あなたが、このスピードで、私に襲いかかってくることを知っていたなら、私は時に、両手を上げてこう言います。

「主よ、私がこのすべてを話すと、聖書預言・アップデートは4日続くことになります。4時間ではなく、4日間。主よ、私をお助けください。」

そう、主はいつもご忠実で、主は、皆さんが可哀想だと思っておられると思います。私だとは思いません。皆さんは、私を気の毒に思っていないでしょ。たぶん主は皆さんを可哀想に思っておられます。「あのかわいそうな人たちに二度とあんなことをしてはいけません。 さあ、凝縮するのです。いいね?」だから、それを凝縮しました。私たち、主と私が、、、誤解されませんように。でもこう言う方がいいでしょう。主はそれを私のために、3つに凝縮して下さった。ここ数日間の3つの報道。

まずは、7月10日(水)のサン・センティネル紙から、タイトルは、

『’ヒトラーとナチス’ドキュメンタリー監督、世界が第3次世界大戦の寸前に立たされる恐れ』

これは文字通り、数百のうちの代表的なものです。数カ月前の話ではありません。 数週間以内の話ですよ。それは見出しだけです。私は記事を読みました。おそらく読むべきではなかったでしょう。血圧が上がりました。こんな感じで、

「君たち、本当? 私はすでにこのことを知っていたから、 驚かないよ。これは夜の盗人みたいに、私を驚かせないよ。だってイエスはすでに私に、君が7月10日にサン・センティネル紙に発行することを、「マタイの福音書24章」で仰ったからね。」

次のこれはどうです? 米国食品医薬品局(FDA)からです。神はこの3文字機関を愛しておられます。彼らにウェブサイトがあります。これを見てください。彼らは、皆に伝えたいと考えています。

引用 : 『高病原性鳥インフルエンザに関する最新情報』

恐れ、恐れ、恐れ、恐れ。牛と卵が鳥と何の関係があるのか、私はまだ見つけ出していません。たぶん、後で誰かがそれを教えてくれるでしょう。

最後の3つ目。『恐れることはありません。モデルナ社がいます!!』

お~ わ~ ほぅ!! ちょうどいいタイミング。ああ、ちょうど受け取ったところで、引用します。

『7月4日(独立記念日)の2日前、先週の火曜日(7月2日)、米国政府と新たに1億7600万ドルの契約を締結。現在、米国の乳牛で流行中のH5N1鳥インフルエンザのようなウイルスに使用できるmRNAインフルエンザワクチンを開発するため。』それは言えない。OK。

最後の質問です。そして、救い主ご自身による3つの聖句が、これらすべてを物語っています。まず、この質問。一緒に考えて下さい。次の戦争/プランデミックが勃発し再び都市封鎖が起きるその時、夜の盗人のように不意打ちを食らうのか? あなたは不意打ちを食らいますか? もしそうなら、そうなる必要はありません。イエスが私たちにそう言われたのだから。私たちが想像も理解もできないほど、私たちを愛してくださっているイエスは、 このすべてを私たちに語ってくださいました。そう、この全てを前もって、「ヨハネの福音書13章19節」、

ー ヨハネ 13:19 ー

事が起こる前に、今からあなたがたに言っておきます。起こったときに、わたしが『わたしはある』であることを、あなたがたが信じるためです。

わたしは主である。言い換えると、よく似た「ヨハネの福音書14章29節」を読んでみます。

ー ヨハネ 14:29 ー

今わたしは、それが起こる前にあなたがたに話しました。それが起こったとき、あなたがたが信じるためです。

言い換えれば 他の誰も、前もって未来を預言することはできません。どんな宗教書にも預言はありません。それにお気づきですか? ただ聖書だけが、成就の2000~3000年ほど前に、その出来事を100%の正確さで預言しています。それが判断基準です。聖書だけが。なぜか? なぜなら、聖書は、真の生ける神の言葉だから。終わりを初めから知っておられ、ご存知なことを私たちに知って欲しいと願っておられるから。神は時間の外に存在されます。そう、神はもうパレードの終わりを見ておられます。私たちはまだパレードの始まりにいる。ああ、言うんじゃなかった。ちょうど7月4日に、ポリティカル・政治的な、いや、パレードが、カイルアで。神は私たちを大変愛しておられます。神は仰います。

「わたしはあなたに、前もって知っておいてほしい。そうなる前に、何が起こるかを教えます。」

ですからそれが起こったらこうなるでしょ。「神が起こると仰った事が起こった。今それが起こっている~!! わお!彼は神に違いないよ。」そうだね。だから、神はそうなる前に事前に教えておられます。そうなれば、未信者は信じ、信者は顔を上げます。それが「ルカの福音書21章28節」私はこれが大好きです。イエスが話しておられます。

ー ルカ 21:28 ー

これらのことが起こり始めたら、・・・

「起こり始めたら」昨年の聖書預言・アップデートでは、begin/始めるという単語を強調しました。

「起こり始めたら」は、既に過去です。すでに起こって来ているから。それらは既に起こり始めたから。これらのことが起こり始めたら、

・・・身を起こし、頭を上げなさい。あなたがたの贖いが近づいているからです。」

「わたしはあなたに知っておいてほしい。こういうことが起こり始めたら、」何のことですか?「そうなる前に、わたしが言ったことが起こります。」それで突然、あなたは世界中を見回して、こうなる。「へ!!!イエスはこれが起こると仰った!!」主は私たちを見て、こう仰ったと思います。私は自分自身に話します。「わたしはあなたにそう語ったでしょ。こうなると言ったはずです。だからなぜ驚くのですか? 驚くのではなく、ワクワクすべきです。わたしは来るからです。わたしは来る。わたしが来る時、あなたに不意を突かれてほしくありません。」

どうか、最後にお願いします。 皆さんに頼みます。今日の午後、携挙が起きても驚かないでください。素敵だと思いません? おぉ、神よ。ちょっとそれをさせてください。どうか言わないでください。 「いやあ、これは本当に不意を突かれた。」「あなたの牧師は誰ですか?」どうかそれ、やめて下さい。最後に、 あなたにお願いします。どうか驚かないでください。あなたはすでに知っているんだから。あなたは予期しているんだから。あなたにはともしび=御言葉、そして油=聖霊があります。あなたは聖霊に満たされている。 あなたのともしびは聖霊で満たされている。あなたは大きな期待を持って待っている。もしも、ではなく、ラッパが鳴るその時、「よっしゃ~!!」ああ、そうだ、忘れてました。何も来ないですよ。もっとこんな感じ、(上から下を見ている。)もう終わります。さあ、良い知らせです。そう、良い知らせ。誰も不意を突かれる必要はありません。あなたはどう思います? 神は聖書正典のページの中で 3分の1近くを預言にされました。神が私たちに前もって知らせたくなかったとしたら、 神は私たちに前もって知らせることを望んでおられる印象を受けますか? だから私たちは信じる。信者は顔をあげ、見張って、目を覚ましていて、驚いて不意を突かれることはない。それが良い知らせです。まだ多少時間はありますが、今何時です? いや、さほどありません。多くありません。でも、まだ時間はあります。では、2、3 分いただいて、

『福音』を、「救いの ABC」として知られる方法で、子供にでも分かるほどシンプルに説明して締めくくりたいと思います。

A : 自分は罪びとだと シンプルに、Admit/認める。

これがキリストの下へ来る前の、基盤です。理解ください。あなたは自分が善人かもしれないけれど、(神から見て)決して十分ではありません。

ローマ人への手紙3章10節、

「義人(正しい者)はいない。一人もいない。」

「ローマ人への手紙3章23節」がその理由、

「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、」

私たちは皆、罪びととして生まれました。 だからイエスが仰ったように、天の御国に入るには、霊的に生まれ変わらねばなりません。私たちが罪びとで、神の掟を破っていると認めない限り、認めるまでは、前には進めません。あなたは、宇宙の法廷にいて、天国の裁判官がいます。実は逆ですけど、私はそれをひねってあなたに想像させたかったのです。あなたは判決段階で、答弁に入ります。「あなたは、有罪確定」判決は?「死刑宣告です。」死刑宣告 = 「罪の報酬は死です。」(ローマ :23)

悪い知らせですね。悪い知らせが悪ければ悪いほど、良い知らせはさらに良くなります。メールしないでください。正しい英語じゃないのは分かっていますから。悪い知らせは、すべての人は罪を犯したため、私たち全員が死刑を宣告されていること。でも良い知らせは、

「神の賜物(贈り物)は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ :23)

今、話しているのは、私たちはその箇所にたどり着いていること。「私は自分が罪びとだと認め、有罪確定。」そうしない限り、そしてそうするまでは、私の身代わりに罰則を支払ってもらうことはできません。それがBに繋がります。大変中心です。シンプルにあなたの心で、イエス・キリストが主だと

B: Believe/信じる。

ー ローマ人への手紙10章9節 ー

「あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」

「ヨハネの福音書3章16節」は、聖書の中で一番有名で、世界中に知られている箇所です。

ー ヨハネ 3:16 ー

神は、実に、そのひとり子(イエス)をお与えになったほどに世を愛された。・・・

(世にいる人々を愛された。)

 

 

・・・それは御子(イエス)を信じる者が、(罪の赦しのためにイエスを信頼する者が)一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

それから最後の C です。

C:主の御名を Call/呼び求める、Confess/告白する。

また再度、ローマ人への手紙10章9節「あなたの口でイエスは主と告白し、」これもまた、すでに説明したとおりで、理解すべきは、

心に満ちていることを口が話すのです。(マタイ 12:34)

あなたの口で「イエスが主だと」告白する。C:Confess/告白する。すでにあなたの心の中にあるものの表現です。心に満ちていることが口から出るからです。(マタイ 12:34)

イエスがあなたの心にいて、心でイエスは主だと信じるなら、何が口から出てきますか?『イエスは主です。』イエスがあなたの心にいて、あなたは心で信じているから。「ローマ人への手紙10章13節」、非常にシンプルです。シンプルすぎると思います。これだけで、決定的だから。

ローマ人への手紙 10 13 節、

『主の御名を呼び求める者はみな救われる。』

何が掴みなのか?「掴みなんてありません。」みんな? 「そう、イエスを呼び求める者はみんな。」そんなシンプルなの?「そうです。」細則は何?私は何をしなきゃいけないの?「何もありません。イエスが全てをなさいましたから。」だから、何もありません。「完了した。」(ヨハネ 19:30)

以上。 続きはありません。嬉しくないですか? 想像してみて下さい。「完了した、しかしながら・・・」おっと。また、「完了した、もし~なら」とか。第二礼拝でそれを話しますけど。悪魔自身による最も悲惨で破壊的な悪魔の嘘のひとつが、救いの確信に関するものです。イエスにおいて、恵みによって、信仰によって救われる。以上。

それはあなたがたから出たこと(行い)ではなく、神の賜物です。誰も誇ることのないためです。(エペソ 2:8~9参照)

今日この礼拝におられるか、オンラインで見ている人に、私は心から切に願います。ご存知、この「救いのABC」を毎週していますが、どうか、あなたが主の御名を呼び求めた事がなく、告白したことがないなら、心に満ちることを、心で信じることを口が話すので、「イエス・キリストが主で、神がイエスを死者の中からよみがえらせた」と告白した事がないなら、どうか、切に願います。永遠のいのちという人生で最も重要な決断を遅らせないでください。物事は狂っていっています。この言い回しをご存知でしょ。「あなたはまだ何も見ていない。」あなたはまだ何も見ていません。なぜ、永遠のいのちという人生で最も重要な決断を先延ばしにしたいのですか? 私はあなたに切に願います。今日が、あなたの救いの日になりますように。遅らせないでください。

では今日は、非常に短い「しかし、神は。」の証です。キャロル・ワイズさんからの、感動的な証です。

「親愛なるJ.D.牧師へ。今、クリス医師との対談を見終わりました。どうもありがとうございます。友人が私に話していたことを裏付けるものでした。残念ながら、私は彼女の言葉を信じず、3回接種しました。しかし、神は。 私と私の人生をご支配下さっています。神がコントロールしておられます。神が死を許されるなら・・・彼女が書いていることに耳を傾けてください。これはエステルに似ているからです。「私は、死ななければならないのでしたら死にます。」(エステル 4:16)

王に招かれずに出向くから。ヨブに似ています。神が私を殺しても、私は神を称える。私は神を信頼する。(ヨブ 13:15参照)

願わくは、それが私たちの口から発せられますように。それをこの彼女が仰っています。こう締め括っておられます。

・・・もし主が死をお許しになるなら、私は主のもとに行きます。どちらにしても、私は主を愛し、褒め称えます。オンラインの会衆、キャロル・ワイズより。」

ディビッド、上がってきて下さい。皆さん、ご起立ください。私たちは本当に、本当に、私自身に話しますけど、この世やこの世のものに対して、非常に大変緩く持ちながら生きる事。どんな平安が来るかご存知でしょ。委ねた人生から生まれる平安。

「主よ、私はあなたの御手の中です。お好きなように私をお使いください。」(エレミヤ 26:14~16参照)

私のいのちはあなたの御手にあります。私の生まれた日、死ぬ日、その間のすべてが、あなたの御手にあります。あなたは、私が母の胎で形成される前から私をご存知でした。(エレミヤ 1:5参照)

あなたは、時が来るその日をご存知です。あなたが私を用いきられたなら。携挙前に、家に戻るのかどうかは分かりません。最後に、木曜日の夜に分かち合ったことを、共有したいと思います。チャック牧師は、主と共にいるため旅立つ前、ある時こう仰いました。

「私がこの説教壇に上がっていて、心臓発作で倒れたら、私を連れ戻さないでね。」

いえ、本当です。私にとって生きることはキリストのため、死ぬことは益です。(ピリピ 1:21

それが唯一の生きる道です。それはクリスチャンとして生きるための最善の道というだけではなく、主に完全に身を委ねてクリスチャン生活を送るのが唯一の道です。

お父様、感謝します。キャロルの「しかし、神は。」の証をありがとうございます。主よ、3回接種に値する報いを与えず、彼女を守ってくださるようお願いします。そのせいで病気になったり、死んだりする人もいますが、主よ、彼女を保ち、癒して下さい。あのラッパが鳴って、携挙に向けて、私たち全員を保ってください。おぉ、どんな日になるでしょうか。主よ、ありがとうございます。私たちにとって、それは驚きではなく、あなたのために生きた人生の集大成です。そうすれば、私たち誰もが聞きたいと願う、あなたからのこの言葉を聞くことができます。

「よくやった。良い忠実なしもべよ。入りなさい。」(マタイ 25参照)

おぉ、イエスよ、あなたを心から愛しています。イエスよ、どうか早くきて下さい。マラナタ。イエスの御名によって祈ります。アーメン。