上記抜粋

 

 

2024.07.07. 聖書預言アップデート

イエスの来臨までしっかり保つ

JDファラグ牧師

一緒に祈りましょう。天のお父様、 主よ、イエスの御名によって あなたを信じる兄弟姉妹がキリストの体として集えるこの時を、心から感謝します。私たちはそれに値しないにもかかわらず、あなたが憐れみ深く、恵み深い方であられることを感謝します。とにかく私たちを愛してくださいます。あなたの御言葉に触れるこの時間を祝福くださり、私たちに語って下さいますように。あなたの御言葉が私たちの人生を変えて下さいます。ですから、今日、祝福をお願いします。聖霊よ、どうか導いて下さい。JD牧師とご家族を感謝します。彼らを見守り、今朝の御言葉を祝福してください。イエスの御名によって、アーメン。

アーメン、アーメン。おはようございます。ようこそ。どうぞご着席ください。ありがとうございます。オンラインで参加の方も同様に歓迎します。始める前に、おもに地元の人たちのために言っておきたいことがあります。来週の日曜日、7月14日の第二礼拝後、タマヨ・ペリーの人生のお祝い(葬儀式)がノースショアで行われます。多くの方がご存知のように、私たちは彼の教会で、私は特権に与り彼の牧師でした。式典は午後3時30分から始まるので、第二礼拝の後、ノースショアに行くには十分な時間があるはずです。

おっと!! 僕が話し終えるの待ってたの? あなた、ずっとそこにいたね? どうもありがとう。(会衆からレイ💐をJDに)では、OK、やり直します。タマヨ・ペリーの葬儀は、次の日曜日、7月14日、午後3時30分からノースショアで行なわれます。私たちはこの件に深く関わって、私は式典の司式を務めます。開始は午後3時30分。制限速度で走っても十分な時間があるはずです。ええ、そうしないとね。 教会からノースショアに行くには交通量が多いから。多くの人が知っているように、彼は私たちのフェローシップの一員でした。非常にかっこよかった。彼は奥さんのアメリアと一緒に来ておられました。彼の家族や悲しみに暮れている多くの人々のために、どうか祈ってください。これは悲劇でした。大惨事でした。考えられません。そして、たくさんの人が、もちろん、彼には多く知人がおられ、明らかな理由から、多くの人が彼をご存知です。でも、彼らはただ、今回の件で本当に悲しんでいます。だから、彼の妻アメリア、そして多くの友人やご家族のために祈ってください。そして本当に、この件で動揺しているノースショアの人々のために。ですから次の日曜日、午後3時30分からです。ではご存知、日曜日には2つの礼拝があって、第一礼拝は、終わりの時について、何が起こるかの「聖書預言・アップデート」に専念し、お気づきでなければ、そうで、第二礼拝は、「説教」で、神の御言葉を通しての節ごとの学び、現在最後の書「黙示録」です。で、今日の箇所は、2章18節から29節まで、ティアティラの教会への手紙です。

今日の学びのタイトルは 『私たちが神の権威を奪うとき』

それをオンラインの方、ハワイ時間11時15分からライブ配信します。私たちが学ぶのは、この驚愕の手紙から生じる5つの疑問について考えることです。教会においても家庭においても、神が定めた権威構成が奪い取られ、損なわれていることに関する見事な手紙です。ではさっと、ユーチューブやフェイスブックでご覧の方は、今からウェブサイト JDFarag.org へ直接行き、ライブ配信終了まで待たずに行かれれば、ウエブサイトでは、中断なしに、今日の「聖書預言・アップデート」を丸ごとご覧いただけます。今から、是非そうされるのをお勧めします。先週に引き続き今週も、主が今日のアップデートを黙示録の節ごとの学びと結びつけさせらておられるのを感じます。残りの3つの手紙、サルディス、フィラデルフィア、そして最後のラオディキアの教会でもそうすることをほぼ確信しています。でも、私がこの教会、つまりティアティラの教会でそれをしなければならないことは、確かでした。その理由は、間もなくおわかりになると思います。おもに、このティアティラ教会と終わりの日の教会との深い預言的類似性についてです。もっと具体的に言えば、当時の彼ら宛にイエスがヨハネに書かせたことは、同様に今の私たちに関わることで、それは、イエスが来られるまで踏ん張ることです。この4番目の教会で、ある意味方向が変わります。これまでの3つの教会、エペソから始まり、迫害された教会のスミルナ、そして先週学んだ、変質した結婚をした教会ペルガモンとは違います。しかし、この最初の3通には、主の来臨についての記述はありません。7つの教会の最後の4つの教会への手紙、ティアティラ教会から始まって、主の来臨についての言及があります。今日はそのことについて話したいと思います。ちなみに、フィラデルフィヤの教会に入ると、主の御心なら、来週はサルディスの教会ですが、サルディスの次がフィラデルフィアです。私たちはフィラデルフィア教会を愛しています。それがフィラデルフィアの教会の意味です。兄弟愛のフィリア。フィラデルフィア。ペンシルベニア州の"兄弟愛の街"ではありません。しかし、当時、フィラデルフィアのその街は愛に満ちた教会でした。その教会には、イエスからの叱責も戒めもありませんでした。7つの教会のうち、イエスから是正を受けなかったのは2つだけでした。1つは、スミルナ、もう1つは、フィラデルフィアでした。なぜそれを言うかというと、主の来臨に関するこのティアティラ教会への手紙の文脈にふさわしいと思うからです。フィラデルフィアの教会に入ると、ある一節があります。実は、ここで宿題を出そうと思っています。2週間後が期限です。そこには、イエス・キリストの教会が7年の患難時代を経験しないことを、妥当な疑いではなく、事実上、疑いの余地なく証明する一節があります。それは2週間後です。皆さん、試験を受けてもらいますよ。それがあなたの任務です。では、このティアティラ教会について話しましょう。というのは、教会時代、教会の歴史から見て、ティアティラはカトリック教会を表し、サルディスは宗教改革後のプロテスタント教会を表していると見る人たちがいます。それについては、説得力のある議論があります。祭司職が始まったのは、ティアティラ、まさにこの場所だったからです。しかしながら、この手紙の教えについて主に求めた結果、この手紙の学びに関して、実際両礼拝ですけど、主は私を別の方向に導いておられるのを感じます。それについては触れません。御霊が教会に語りかけてることに、聞く耳を持つ私たちのために、聖霊を通して主が語られた言葉がここにあると思います。このような理由から、今日の聖書預言・アップデートは、より預言的な学びとなります。これにはいくつかの理由がありますが、特に重要なのは、なんであろうと、聖霊が教会に語っておられることを聞く必要があるということです。これらの手紙はどれも同じように締め括られます。耳のあるものは聞きなさいという修辞的な質問で締め括られます。そう、私たちには耳が2つ、少なくても1つ、ありますよね?ですから、私には耳があります。挙手です。 「OK。よろしい。」「では、聞きなさい。」わかりました。しかし、もっと重要なことは、御霊が私たち、すなわち教会に語っておられることに留意すること。皆さんに注目していただきたいのは、手紙の最後の部分です。これはイエスがこう仰る箇所です。「しっかり保ちなさい。(踏ん張りなさい)このティアティラの教会の、全員ではないけれど、幾人かは、教会内で起こっていること、その教えを受け入れていない者たちがいる。」イエスは仰います。「あなたがたその残りの者たち、わたしが来るまで、持っているものをしっかり保ちなさい。」(黙示録 2:24~25参照)

何を持っているのか?「イエスです。」イエスが来てくださるまで、イエスにすがり続ける。私たちは、今日の文脈で、個人的に適応することができます。これは、私たちの祝福された希望、すなわち、患難前携挙におけるイエスの来臨という唯一の希望にしがみつくことを語ります。私が患難前携挙について毎週、週3回話すことに飽き飽きされませんように。なぜなら、私は患難前携挙についてを毎週、週3回話すからです。今日、私が成し遂げたいことは、この第一礼拝での預言的な適応、そして、第二礼拝での個人的な適応です。その理由は、この特別な手紙は、長さも強さも、言うなれば、強力な預言的パンチがあります。つまりこの手紙には、当時のこの教会について多くのことが書かれ、 それはこんにちの教会としての私たちにも当てはまります。これは7つの手紙の中で一番長く、ということは、今日の第一礼拝は、最高に長くなる。。。。? とは限りません。よろしければ、今日の聖書預言の学びのために、第二礼拝の箇所の3節を拝借します。20節、24節、25節です。「ヨハネの黙示録」2章を見て下さい。20節から、イエスは、聖霊によってヨハネを通して、この教会、文字通りの教会に書き送らせておられます。20節は、彼らが良い行いをしているだけでなく、実際に恵みの中で成長し、以前にまさり良くやっていると彼らを褒め、称賛された後、彼らは本当によくやっていて、より良いとさえ言えます。そして20節を読むと、この御言葉は強烈なパンチがあります。「にもかかわらず・けれども」訳すと、良いことをしているにもかかわらず。

ー黙示録 2:20ー

けれども、あなたには責めるべきことがある。・・・

注意して良く聞いて下さい。

・・・あなたは、あの女、イゼベルをなすがままにさせている。(容認している。)

この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて惑わし、淫らなことを行わせ、偶像に献げた物を食べさせている。

では、特に24節と25節に注目してください。聖霊がこんにちの私たちに語っておられることを理解する上で、これらは重要な意味があるだけでなく、こんにちの私たちにとって大きな励みにもなると思います。

ー黙示録 2:24ー

しかし、ティアティラにいる残りの者たち、・・・

(言い換えれば、それ以外の者に話しているのではない。わたしが話したいのは、ティアティラの残りの者たちなのだ。)

・・・この(女の)教えを受け入れず、いわゆる「サタンの深み(いわゆるサタンの奥義:英新国際版直訳)」を知らないあなたがたに言う。・・・

これが神秘宗教です。秘密結社はすべて、そこから誕生しました。それはここから始まりました。先週お話しましたね。

・・・わたしはあなたがたに、ほかの重荷を負わせない。

推論は、彼らはこのことで、非常に重荷を背負っていました。それからイエスはこう仰います。25節、

ー黙示録 2:25ー

______________しっかり保ちなさい。

対比に留意ください。あの女の教えを受け入れず(容認せず)、わたしにしがみついている者たち。

・・・ただ、あなたがたが持っているものを、わたしが行くまで、しっかり保ちなさい。

わたしは来るからです。しっかり保ちなさい。理解する必要は、このティアティラの教会への手紙は、終わりの日の教会に関連し、パウロの語るテモテへの第二の手紙と一致していること。これは「第二テモテへの手紙4章3節」の一節で、聖書預言・アップデートでよくこのことを話します。よくご存知でしょうけど、読ませて欲しいと思います。

II テモテ 4:3ー

というのは、人々が健全な教えに耐えられなく(容認しなく)なり、・・・

覚えておいて下さい。

・・・耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、

なぜなら、彼らは新しいことを聞きたいという飽くなき好奇心があるから。翻訳によっては、 彼らは大勢で群がり、あるいは、自分たちの耳が聞きたいことを話す教師たちを寄せ集める。旧約聖書、預言者イザヤやエレミヤが語ると、事実、それって、エレミヤだと思いますが、エゼキエルだったかも知れません。たぶん全員かも。イスラエル人たちは、預言者、預言者エゼキエル、預言者イザヤ、預言者エレミヤたちにこう言いました。

「止めてくれ。そんなの聞きたくない。聞きたいこと心地よいことだけ話して。」

その中に息を呑むような一節があって、エレミヤだったと思いますが、彼らは嘘を言ってくれと言います。(エレミヤ 5:31 参照)

「真実を話すな。そんなの聞きたくない。私たちは良いことが聞きたい。」これはユダが捕囚になるバビロンに包囲される直前です。このことを指摘したかった理由は、健全な教えを容認する代わりに、終わりの時の、ティアティラのような教会は、イゼベルの教えを容認しているからです。イエスの言葉に注目してください。「この女の教えが、わたしのしもべたちを惑わしている。」このイゼベルはおそらく名前だけではなく、旧約聖書に登場するアハブ王と結婚したイゼベルを指しています。言ってみれば、彼女は女王様で、ごめんなさい、ご婦人方、お許しください。しかし、彼女は縄張りを牛耳っていました。彼女はイスラエルの民を偶像崇拝に導いただけではなく、人を惑わし、弱気な夫アハブの権威を奪っていました。こういう記述があります。ご存知だと思いますけど、アハブが、ところで、アハブは、イスラエルの北の部族の王でした。イスラエルの北の部族には良い王がいませんでした。 良い王がいたのは南ユダだけで、実際、良い王は9人しかおらず、彼らは主の御目にかなうことをしたと言われています。他のすべてのユダと北の部族の王たちは、主の御目に悪とされる邪悪をしました。で、アハブ王となると、王エテバアルの娘イゼベルと結婚し、 彼は邪悪なだけではなく、悪のゲームを圧勝しました。つまり、彼はあらゆる悪の王の中で最も邪悪な王だったという意味です。彼はチャートのトップでした。彼は悪に関してはナンバーワンでした。それで、イゼベルと結婚し、そしてある日、彼は座っていてたぶん何もせずにで、結局のところ、彼の妻がショーを仕切っているのだから。それについては第二礼拝でもっと話します。だから、来ないといけませんよ。ここにいる男性たちだけ第二礼拝に来るかも。彼は自分の宮殿があった場所のすぐ近くのぶどう畑が気に入ります。 自分のものにしたくなります。(第一列王記 21章参照)

それはたまたま、ナボテという男が所有していました。そこでアハブはその男に近づき、こう言います。

「ナボテ、お前のぶどう畑を売ってくれ。お前にぶどう畑がほしいのだ。」ナボテは、「それはできません。先祖のゆずりの地なので。そして実は、法律上できない条項があって、したくてもできません。」それでアハブは、家に帰り、お、お嬢、、、みたいに泣きました。もう言っちゃう?言えばいいよね。以前は、赤ちゃんみたいに、と言ってきましたけど、そういうと問題なのは、誰かがこう言うと、「どんな風に寝てたの?」

「赤ちゃんみたいに寝てたよ。」「本当に?じゃあ、一晩中泣き叫んでたのね。」だから、私は自分の・・・いやいや。それで彼は泣き言を言って文句を言っています。そしてイゼベルが帰ってきて、「あなた、どうしたの?」「だって、ナボテがぶどう畑を売ってくれない。」イゼベルは言います。「心配しないでいいのよ、あなた。権力がありますから。(興味深い言葉です。記述に詳細があります。)私があのブドウ畑を手に入れましょう。」それで彼女はどうするのか? 彼女は陰謀を企て、ナボテに敵対し、偽の証人を連れてきて、ナボテが神を冒涜したと証言させます。そして裁判にかけられ、有罪となり、死刑となります。その夜、イゼベルは帰宅し、「あなた、あのぶどう畑はあなたのものよ。」(以上、第一列王記21章)

それから、エリヤを忘れてはいけません。エリヤが、バアルの預言者450人を殺した後、彼女はエリヤの命に懸賞金をかけました。(第一列王記 18,19章参照)

理解しなければならないのは、イゼベルは、アハブ王と結婚することによって、イスラエルの民に偶像礼拝と言いようのない性的不道徳を持ち込んだこと。だから、イエスがイゼベルを示された時、それをイゼベルの霊と呼ぶ人もいますが、彼女がしたことを指しておられます。旧約聖書に登場するイゼベルは、神の民であるイスラエルの民に教え、彼らを惑わし、彼らの指導者で、彼らを導き、惑わし、性的不道徳のやり方を教えたから。また、民に偶像崇拝を教えた。さて、ここで疑問は、イゼベルは具体的に何を教えていたのか? 答えは、バラムの教えと同じように、どちらも神の民を惑わし、誘惑するという点で、似ています。なぜなら 外部からではできないから、内部からせねばならない。だから誘惑する。 バラムはバラクにそう教えました。(民数記 24~25参照)

イゼベルの教えと非常に似ています。彼らは神の民に教え、神の民を性的不道徳に誘惑し、その結果、偶像のいけにえの食べ物を食べるようになった。しかし、ひとつだけ、イゼベルの教えとバラムの教えには違う点があって、イゼベルの教えは、同じ悪に到達するため異なる方法を使うのです。なぜならそう、最終的目的は、イスラエルの子らに神に対して罪を犯させ、神の裁きを受けさせることでした。じゃあ、どうやるのか? ええ、商人ギルド(職業別組合)と知られる方法で、 このギルドという言葉を検索するなら、労働組合と比較してみるといいでしょう。労働組合とは違います。商人ギルドは、、、実際、現在でもギルドは存在します。アメリカ音楽ギルド。これらのギルドは何だったのか? おぉ、それは組合で、ティアティラでは、その数は非常に多かったけれど、それらはすべて貿易が中心でした。第二礼拝でその理由を学びます。ティアティラは地理的に港町ではなく、だから、製造業に頼らざるを得なかった。とても産業的でした。そうして、彼らはこれらの商人ギルドを結成することになり、これらの商人ギルドは非常に強力で邪悪でした。なぜか?  異教的な崇拝を伴うから。それぞれの商人ギルドは、忌まわしい偶像崇拝や性的不道徳と結びついていて、異教の神を崇拝することに繋がっていました。なぜなら、結局のところ、それが全てのポイントだから。どうやってそんなことをするのか? 各ギルドは、それぞれの集会所で会合をします。もちろん、食べたり飲んだりします。しかし、彼らがギルドの会合で出した料理は、、、 ギルド集会のポットラックとでも言いましょうか、そこには、織物のギルド、染色のギルド、金属のギルド、などなど。どのギルドの貿易(商人)ギルドも、それ自体が独特で、 特定の異教の神に捧げていました。そのため、彼らは集会所で会合を開いて、彼らは偶像に捧げられた食物を食べ、 ひどく酔うのです。かなり酔っぱらっていた。そして、酔いすぎて抑制が効かなくなり、それが彼らを言いようのない放蕩と性的不道徳へと導きました。彼らはまた、飲んでいた葡萄酒を使っての異教徒の儀式に導かれた。それを火の祭壇に注ぎ、そのギルド特定の神への祈りと崇拝として その煙が立ち上る。これはイゼベルがクリスチャンに教えていたことです。神は仰っています。「お前はわたしのしもべに、わたしの民に異教の神々に献身する商人ギルドの会合で、そんなことをするよう教えている。」ええ、もし私がクリスチャンで、ティアティラの教会に通っているなら、これは問題でしょう。そう思いません? 極めて深刻な問題です。 そんなことはしたくないから。それを私に強要しないでください。罪深いから。私は神に対して罪を犯すことになる。私は食べない。その異教の神に捧げた供え物なんて。私は異教の神々を称える儀式に参加するつもりはない。そんなものは食べない。でも、おいしそうだね、あのプライムリブ。しかし、それは偶像に捧げられたもの。 現代のそれに相当するのは、多くの人にとってのこれを台無しにしますが、私たちはキリストにあって自由で、でも、店舗行けば気づくでしょうけど、ハラールの印があるでしょ。ハラール(イスラム教の戒律に従った食べ物)それはイスラム教で、アッラーのために生け贄に捧げられたもの。それでは、ご機嫌よう。どうぞ召し上がれ。でも非常に似ています。彼らは動物を生け贄に捧げ、その肉を食べるのです。しかし、彼らはその異教の神の名の下にその動物を生け贄に捧げます。そして当時のクリスチャンたちは、自分たちがそうしていることを十分に自覚していました。で、 偶像に捧げられた食べ物を食べているの?結構です。そして彼らは、私をひどく酔わせ、もう抑制は効かなくなって、私は性的な罪を犯すことになる。ダメ! 私は入りません! 参加しません。さらに悪いのは、なぜがわかりますか? これらの商人ギルドは、非常に大きな権力を握っていて、あなたや私がそうであるように、拒否する側の当時のキリスト教徒は、皆さんもそうでしょ? 挙手ください。いやいや、拒否したら、給料の良い仕事を確保することができなくなった。いや、それはギルドのメンバーに譲るか、そうでなければ、非常に厳しい状況に追い込まれる。 何か聞き覚えがありませんか? 私の話の向かう先は分かりますね? その話に行くまで、待ってください。私より先に行かないでね。ですから、この義務化に参加しなかったら、下働きや低賃金の仕事に追いやられるか、まったく仕事がない。仕事を失う。これで十分悪いというなら、それは必須だった。誰もが参加しなければならなかった。彼らが生計を立て、家族を養う望みを持つためには。逆に、彼らがそれを拒否し、神を信頼し、神を敬い、神に従うのなら、神が他の手段で自分たちを養ってくださることを信頼しなければならない。聞き覚えありませんか? 冒頭で述べた通り、 第二礼拝では、個人的適応についてもっと深く掘り下げますが、今は預言的適応に焦点を当てます。私が焦点を当てたいのは、その理由です。「なぜか」の質問。なぜティアティラ教会の指導者たちは、一緒にやっていくことを受け入れイゼベルを容認したのか? なぜなら、第二礼拝でこの手紙に入りますけど、 イゼベルに対する叱責というより、イゼベルを容認した教会指導者に対する叱責です。で、この「なぜか」の質問は、それに答えることで、2つの効果があることを願っています。

1つは、この世のイゼベルに惑わされた人々に悔い改めをもたらすこと。

2つ目は、揺るぎない、確固たる信頼をイエスに置き続けてきた残りの私たちを励ますこと。

ある人が言ったことが好きです。「イエスが全てになるまでは、あなたの全てがイエスだとは分からない。」興味深いことに、イエスは仰いました。「あなたが持っているものを保ちなさい。あなたに残っているものを。あなたに残されたのはわたしだけだ。踏ん張るのです。わたしにしがみつきなさい。」

私たちは時に、イエスに命からがらしがみつくことがあります。しかし、本当のことを言えば、イエスが私たちを掴んでおられます。私たちは主に、指の爪先でしがみついていますけど、主は仰います。「わたしがあなたを掴んでいます。」娘が小さかった頃、通りを横切ろうとした時、できれば、こういう例には気をつけたいね。これを聖化しようと思います。つまり、 横断歩道に武装した警備員を配置したかった。だって、私の娘なんですから。これは私の愛娘ですから。それで娘は私の手を握り、「そう、パパの手を握って。」娘は私の手を握っていて、娘が気づかなかったのは、本当は娘が私の手を握っているんじゃないこと。私が娘の手を強く握っていました。腕の血液循環を遮断するほど。娘に何か起こってほしくなかったから。私たちと共にいてくださる主はなおさらです。それは主が私たちを掴んでおられ、私たちを握っておられ、私たちへの愛です。イエスが当時の彼らに仰ったように、私たちにも仰っておられます。「踏ん張りなさい。しっかり保ちなさい。わたしにしがみつきなさい。離れてはいけません。」ええ、たとえあなたが離れたとしても、良い知らせは、イエスは決して離れないこと。イエスは決してあなたを置き去りにしたり、見捨てたり、手放したりされません。

それでは、前述の預言的類似点に入り、それを見ていきます。そして、私も含め私たち全員が、御霊が語ることに聞く耳を持つよう祈ります。そのため、ユーチューブとフェイスブックでのライブ配信を終了します。もうウエブサイトでご覧になっていますように。

ー本編ー

それでは、これは、また別のチャートを作るための口実なんですよ。ええ、別のチャートを作りました。そして、このチャートの目的は、おもに不気味なほど似ている点を表すことです。ティアティラ教会と終わりの時の教会との間の ”不気味なほどの類似点” 聖書が終わりの時の教会について語ることから、私たちは今、終わりの時にいるのを知っています。私たちは終わりの時の教会です。このような類似性を描くことで、まだ疑問を持っている人たちへ、焦点がより鮮明になることを期待します。 大丈夫、構いません。つまり、実際毎週足を運んでくださり、このアップデートに耳を傾けてくださり、私のこの言葉に耳を傾けてくださる皆さんに深く感謝しています。「これが終わり。完。」エンドロールが流れ始める。事実、始まるのは、見て、エンドロール。「これが終わり方。私たちはその最後の世代。これが聖書の言う結末。こんにちの世界を見てみると、まさに神の御言葉が語る終わりの時の様子通りになっている。結論は、意味深ですけど、これが終わり。」

OK。前置きとして、特に興味深いのは、当時のキリスト教徒たちがどのような重圧にさらされていたかで、そしてそれは、私たちクリスチャンが現在益々強いられている重圧と類似します。かなり悪くなっていることに同意しますか?  気づいたことはありますか? お気づきですか? 私たちは自分たちの家ではない、歓迎されないこの世に長居しすぎていること。お気づきですか? この邪悪な堕落した世は、この世の神で、私たちの魂の敵である悪魔そのもののせいで、少しヒートアップしていること。(エンジンを吹かすのが)活発になっていること。理由があってその単語を使います。お気づきですか? 世界がクリスチャンに対する敵対心を強めていることに。これから始めましょう。

1つ目、ティアティラ教会:文字通りの/霊的な姦淫につながる商人ギルドへの加入を迫られた。終わりの時の教会:以下の遵守をますます迫られている。ルール、規制、ガイドライン。これは事実上、場合によっては文字通りの姦淫につながりますが、少なくとも霊的な姦淫につながります。あなたがしていることは、 知らず知らずのうちであっても、言い訳にはなりませんが、説明にはなるから。あなた方がしていることは、真の生ける神ではなく、偽りの神に惑わされて従っているから。私はこのことを振り返ります。私たちが忘れないことを願います。多くの人が忘れてしまったのだと思います。私は、私たち全員、自分も含めてボコボコにするつもりはありません。聞いてください。みんなが私に殴りかかってきたとき、大抵、ある書式のメール返信するのを好みます。「あなたが私を叩き始めているのは分かっています。断言したいのは、あなたの助けは必要ありません。私自身は自分自身を叩くのに十分な仕事をしていますから。私は本当に自分に厳しいです。だから心配しないで。私がカバーします。私はあなたよりずっといい仕事ができます。私を叩くのは止めて下さい。」

こんなふうに言うつもりはありませんけど、私たちは忘れてしまっています。正直になりましょう。私たちは教会として、ここに集まってはいけないと言われた。私たちが言われたのは、言われてきたのは、そうでした。おお、そう、私たちは、オンラインでソーシャル・メディア・プラットフォーム上にいないんでしたね。私たちはそれに逆らいました。”マスクを着用しなければならない。”いいえ、しません。私は着けなかった。つまり、あなたがそれを着けたいなら、それはあなたの自由です。構いません。私たちはあなたを見下しません。 あなたの声が聞きづらいかもしれないけど。”おぉ、ダメです。で、OK、もう会ってもいいです。”「あら、ありがとう。」私たちは神ではなく、人間に従っている。”でも、賛美チームに歌わせてはいけない。” は! 待って、待って、待って、待って。つまり、神を礼拝するために集まってもいいけど、それなのに、神を賛美してはいけないと言うの? 聞いてください。神に背くようなことを私に要求するなら、どうなると思う? 腹が立ってきました。これをしないほうがよかったんでしょうけど、義なる怒りです。

もっと大きな声で歌うよ!(会衆:アーメン!!!)もっと大きな声で歌うよ! ー拍手ー

6フィート離れなさいとか。 この表示まだあるんですよ。もし私が牧師としてそれほど神聖に、聖別されていなかったら、落書きをしていた頃の自分に戻るでしょう。この辺にしておきます。想像におまかせします。たぶん言い過ぎかも。6フィート。さあ、どうです? 彼らがしたことを忘れていないことを願います。この邪悪な力を私たちに振りかざそうとして、私たちを捕らえるために。神に背くことを教えるために。1つ目をしただけですので、次に行きます。進みましょう。次。

ティアティラ教会:異教の神々に生贄をささげなければならない圧力を受けていた。圧力を想像してみてください。仕事を続けたいなら、接種なしは、仕事なし。わお! 日の下に新しいものはない。(ソロモンが書いた、伝道者1:9)

終わりの時の教会:ちなみに今からこれを話しますけど、まだ圧力を受けています。彼らは少し気を緩めたようです。しかし、圧力や重荷はまだあります。イエスが仰る通り、 「この重荷で、重圧に押しつぶされそうになっているのはわかっています。」

終わりの時の教会: 携挙の前にもっと悪くなる可能性があります。気候変動のために犠牲を払う。 彼らは気象操作で気候を変えています。それとコロナで。私たちは皆、犠牲を払わなければならない。私たちはこれにおいてみんな一緒。それを覚えていますか? そのことをすっかり忘れているでしょ。あなたの記憶を呼び覚ましてあげます。2020年がその年でした。今から4年半前。信じられます? 私たちはこれにおいてみんな一緒だよ。私はあなたとは一緒ではない。私を含めないで。なぜ私をギルドに加えるのか? すみませんが、私はその中に含まれません。あなたたちはこれにおいて、みんな一緒かもしれませんけど、私は全くそうじゃない。私はキリストにおいて、です。しかし、犠牲は、、、これらは科学の神へ、気候の神への捧げ物です。母なる地球への。”何も所有せず、幸せになる。”いくつかの犠牲を払う必要がある。それは運転できません。注意して言わないと。駐車場を見なかったので、車の特定はしません。したいけど。あの車は運転できない。犠牲を払う必要がある。だから、あなたに運転してもらうのは、この車、、、日産だと思いますけど、お許し下さい。あなたがその車を運転しているなら、神の祝福を。「リーフを運転しなければならない。」あの車でしょ? 日産リーフ。私が持っていたのは1972年製の、ああ、こんなに高価になったはずのこの車を今持っていたら、、、プリムス・ロードランナー383。スラップスティック(のシフトレバー)で、それが私たちが車って呼ぶもの、それが車だったんだぜ。ロードランナー。車の事業をしていたころを思い出します。だから、あなたはそれを犠牲にしなければならない。あなたは、それはもうできない。それはできない。より大きな善のために。彼らが崇拝している、小文字のg(gods)偉大な異教の神のために。

ティアティラ教会:自称預言者だと言うイゼベルという偽女預言者がいて多くのクリスチャンを惑わした。お気づきかどうかわかりませんがこの終わりの日、この終わりの時刻に、お気づきですか? このような自称預言者や女預言者が増えていることに。ええ、ユーチューブで蔓延しています。ユーチューブから離れて神に感謝します。アルゴリズムは、、、 それについては止めておきます。このような預言者が蔓延していて、女預言者が。この女たちは、「私は夢を見た。この夢の中で、私には預言がある。主は私に告げ、主は私に示された。」わお。主はあなたに語ったの。私に語って欲しかったのに。どうやら、(夢の)中で何かあるようですね。直接繋がってますけど。でも彼女らは、偽物です。そして、それらは溢れています。で、問題は、自称です自称、イエスは仰いました。「その女は自分を預言者と呼んでいる。」誰が預言者なのか? 預言者とは、神の代弁者です。でも、彼らは偽預言者です。彼らは神の代弁者ではありません。彼女は自らを預言者と呼んでいる。私は彼女を預言者とは呼ばない。私は彼女を娼婦と呼ぶ。ですから、この偽預言者たちは、偽牧師たち。ええ、そうです。そして、多くのクリスチャンを惑わす偽りの指導者たち。なぜか? 再度なぜかを話しましょう。なぜなら、自分自身に正直になりましょう。私自身のことを話します。とても魅惑的でしょう? そういう預言者の何人かがこう言ったとき、

「ねえ、物事はまた良くなって、こうして、 すべてが素晴らしく、幸せな日々になります。」そう、私の肉はそれを聞きたがっている。私の耳は、それを聞きたくてうずうずしている。それが欲しい!! 問題はただ一つ。真実ではないこと。真実ではない。偽りです。

では、次、そしてこれが、第二礼拝で、さらに話すことです。しかし、ティアティラ教会は、このイゼベルの教えを容認していた。ひいては、健全な教えを容認していなかった。その区別と線引きが分かりますか?

それは終わりの時の教会がしていることでは? そう、パウロはテモテにはっきりと語ります。パウロが言うのは明確です。終わりの日には、聖書を教える牧師たちからの聖書的健全な教えを容認しない(←キーワード)時が来ます。彼らはそれに我慢できない。彼らはそれを容認しない。その代わりに、 自分たちの耳が聞きたくて堪らないことを教えるイゼベルに群がってくる。「大丈夫だ。肉体と魂は違うんだ。」グノーシス主義。「だから、自分の肉体で何をしてもいい、性的な罪を犯せる。 偶像に捧げられた食べ物を食べてもいい。大丈夫。魂とは違う。」それがグノーシス主義です。部分的にね。非常に興味深いのは、この終わりの日のこんにちの教会が、正にこのイゼベルの教えを容認し、容認するだけでなく、推進しています。そして同時に、彼らは健全な聖書の教えを容認しない。はい、ご存知、私は誰にでも好かれるタイプではありません。そういう言い回しですよね。つまり、私の教えるスタイルが万人受けするものではないという意味ですよ。私はちょっと派手に実演するし、そう、声を荒げてしまいます。私の国の習慣です。しかし、少し前まではそれが容認されていた時代もありました。例を挙げます。何を話しているかお分かりだと思います。実際、そうしたいなら、時間があるなら、今、主のもとにいる過去の説教者たちの説教を聞き返すことをお勧めします。ええ、火と硫黄(裁き)について話したければ、、、私はそのひとつを見ていて、聴きました。彼らが大好きです。今、主のみもとにいます。でもね、自分を考えると、私でもそうするのは難しい。私はしますけど、当時に戻ると、人々はそれを容認して(受け入れて)いた。こんにち、人々はそれから離れて行きます。そう、私が今すると、 皆さんはアップデートの続きや学びから離れて行かない。だから、今が終わりの時だと分かります。というのも、起きていることを見てください。まさに語られた通りです。

こんにち、クリスチャンを見つけるのは難しい。20分以上の説教に耐えられるクリスチャン、公言するクリスチャンではなく、生まれ変わったクリスチャンを。皆さん全員、天に宝を積んでいます。皆さん一人一人が。20分は私のイントロです。「いや、忙しいんです。やることがあるんです。この後、貿易ギルドの会合があるんです。」って? それがティアティラの教会。クリスチャンとして、イゼベルに惑わされ、そして悲しいことに、それは彼ら自身の危険を招いた。ちょうど終わりの日の教会が、クリスチャンとして気候の欺瞞とコロナの欺瞞によって欺かれているように。そして悲しいことに、それは彼ら自身の危険を招く。これが皆さんに、敵に気を散らされないため、謙虚にお願いする必要があるところで、 敵はこれと、その次のにそうするつもりだから。敵はあなたにこれを聞かせたくないから。これは厳しいものです。改めて第二礼拝でもっと話しますが、ティアティラ教会:病床で苦しんでいる人たちがいた。神がそうされました。病床に置かれました。そして、悔い改めないなら、あなたに従う者も殺すつもりです。

終わりの日の教会:多くはないにせよ、注射の欺瞞によって病床で苦しんでいる人々がいます。そして、死に至る者さえいます。再度、これを説明しますが、私がこれを言うのは、いかに類似しているかを強調するためです。つまり、神はこの教会に遠慮しておられません。大変深刻です。

「悔い改めないなら、あなたの気を引くために、病の床につかせます。それでもダメなら、するのが、 もし新生しているなら、家に連れて帰ります。わたしはわたしの教会を守らねばならないから。これは伝染するのです。あなたはわたしの体、わたしの花嫁に恐ろしい脅威を与えています。だから、家に帰らせます。」

では、感謝なことに、ここから良くなります。ティアティラ教会:非常に重荷と圧力を感じているにもかかわらず、 この悪魔的なイゼベルの嘘を信じない人々がいた。私はまだそれを味わうことができます。牧師としての圧力、牧師への圧力を。2020年、2021年、こんにちに至るまで。あまりの激しさに、自分の正気を疑うこともありました。文字通りで、誇張ではありません。パウロが、「第二テサロニケ人への手紙2章」で語っている惑わす力は、それほど強力なものなのです。感謝なことに、終わりの日の教会には、巨大製薬の嘘を買わない人たちがいます。黙示録18章23節、彼らの魔術=ファルマキア=医薬品によって、地上のあらゆる国民が惑わされる。これはイゼベル、欺瞞です。そして、それがあなたの命を奪うことになるかもしれない。そして何人かはそうなっています。この欺瞞は悪魔的なもので、そのような人が大勢いました。神は憐れみ深いですね。私たちには選択肢がなかった。そして、神はそのような者にご忠実であられるのを示される。しかし最後、ティアティラ教会にも、イエスとイエスの来臨への信仰と希望にしがみついている人々がいた。終わりの日の教会にも戦いに疲れた人々がいます。まだしがみついている。私たちはイエスにしがみつき、患難前教会携挙での、イエスの間もなく、非常に間もなくの来臨に、しがみついています。では、私たちは対処すべき問題があります。

その問題とは? 問題は、こう主張する人たちがいること。「牧師さん、失礼ですが、古いニュースですよ。コロナは終わりました。なぜ先に進まないのですか?」それに対して、私はシンプルに、そして謙虚に、これを繰り返し言います。「あなたはまだ何も見ていない。」多くのオンライン・メンバーが提供してくださるからと言って、内部情報に基づいているわけではありません。 つまり、ダジャレではなく、息をのむような情報です。これから始まるいくつかのことについて。私は主と神の御言葉を畏れることに基づきます。それが知恵の始まりだから。主を恐れることは悪を憎むこと。主が憎まれることを憎む。(箴言 8:13参照)

神が愛されることを愛す。あなたが神を愛し、神の民を愛しているなら、これはあなたの聖化された憎しみで満たされるべきです。なぜなら、それが終わりの日の教会にもたらしていることだから。分かっています。あなたは今出て行くことができるし、あなたは必要ない、、、それでも、マスクが必要な場所もあるよね? なぜそんな目で私を見るの? あると思います。特に医療産業では。注射の義務化については、少し手を引いているところもあると思います。私たちは15万通以上の宗教免除書類を世界中の人々に送りました。その多くが注射の免除を受けられました。私たちはまだ送り続けています。ということは、一部ではまだ要求されているということです。でも、私が主と神の御言葉を畏れていると言うとき、私が何が来るかを知っているのは、そのことだからではなく、2020年から、 悪魔的な世界的試運転を経験したからです。そしてそれは大成功を収めた。そして、この大成功のおかげで 彼らは神の預言的計画に完璧に展開していて、神の預言的ご計画を成就させるため、神がそれを許されるからです。しかし、彼らは最終的な解決策を実行しようとしています。鉄は熱いうちに打て、だから。すべては神の預言的なタイミング通りに完璧に進んでいます。すべては神がそうなると仰った予定通りです。聖書預言が語るのは、私たちが今、この世で目撃しているすべての事は、日を追うごとに悪化しているように見えるのは、この世の終わりを告げるサインなのです。これは、神が、聖書預言に関して私たちが無知であることを望んでおられないことが前提です。だから、聖書の3分の1近くが預言なのです。神が聖書預言を知ってほしいと望んでおられるような印象を受けますか? 神は、何が起こるか、それが起こる前に知って欲しいと思っておられる印象を受けますか?それが起こったとき、あなたは準備ができていて、信じれる。(ヨハネ 14:29

もうひとつ問題があります。「あら、牧師さん、たくさん問題があるのですね。」どれだけの問題があるか、あなたにはわからない。しかし、そうではなく、再び取り組むべき問題があります。こんにちの大多数が、私が「ビッグ3」と呼ぶものの餌食になっていることです。気を散らし、分裂させ、欺く。まず、気を散らされるから始めましょう。一言で言えば、選挙。それは多くの人を蝕んでいます。木曜日の夜、「ダニエル書8章」で見たように、「預言の意味を探し回る」ダニエルはこの預言を理解できず、その意味を願い求めた。すると、神は何をなさるのか?「いや、それが何を意味するかは言わないよ。自分で考えなさい。」ではなく、神はガブリエルを送られます。インターンではなく、大天使ガブリエルです。そして、ダニエルに預言の意味を説明する。願わくは、聖書預言の意味を理解したいと願うダニエルがこんにちも存在しますように。ちなみに、彼がその解釈を示されたとき、彼は何日も体調を崩しました。彼は体の芯から揺さぶられ、気を失った。 文字通り、ダニエルはこれから何が起こるのか示され倒れました。しかし、私たちは預言の意味を願い求めず、選挙に気を取られています。「おぉ、それを容認しよう。」選挙ですらない選挙という気の散らしを容認しています。それは選出です。しかし、私たちは聖書預言解釈の健全な教理を異質なものとして容認しない。繰り返しますが、ここで非難するつもりはありません。私はあなたに真実を話さなければならない。私には耳が聞きたいことだけを話す許可はありません。聞いて下さい。あなたが耳が聞きたいことを望むなら、ある人が仰った、行きたいクリスチャンは誰でも行くことができる、 20分間の説教だけを喜んでしてくれる教会を、いくつだって選ぶことができます。でも、ここではそんなことはしません。私は真実を話さなければなりません。では、分裂について話しましょう。具体的には、この終わりの時の教会で、ティアティラのような教会の指導者たちがいかに今、これを容認しているのか。さあ、分裂を見てみてください。その代償を。私は、ティアティラ教会が分裂した教会だと分かります。質問します。もしかして、彼らはただ、人を喜ばせるという名目で、うまくやっていきたいだけなのでは? 神を喜ばすのではなく。彼らは教会ごっこをしているから、それに踊らされているようなもので、諺にあるように、双方と間で遊びたいから。言い換えれば、彼らを満足させましょう、です。「だからそれについては話せない。彼らは戻ってこなくなるからね。だから彼らを喜ばせ続けましょうよ。それについては話せないね。彼らが戻ってこなくなるから。じゃあ、何を話そうか?」どうりで、あなたの説教は20分しかないのです。あれで20分ももつとは驚きです。もう1つ質問してもいいですか? 終わりの時の教会が、これほど腑抜けになってしまった理由や説明もこれなのでは? 教会が世に影響を及ぼさず、世が腑抜けの教会に影響を及ぼしている。教会に忍び込み、教会を誘惑する。この3つ目の、惑わしが、これらの預言の類似性に関する私たちの疑問に、ほぼ一発で答えてくれます。説明します。イゼベルに誘惑され、欺かれたティアティラの教会のように、 今この時も同様で、未だかつてなく、またこれからもそうなるのが事実では? そうして、もしも、、、ではなく、そうなるその時、患難前携挙が起こるその時、それは起ころうとしていますが、多くの人は不意を突かれるでしょう。なぜか? 彼らはあまりにも気を散らされていて、 分裂もさせられ、欺かれてもいるから。 イッサカル族を考えます。イスラエルの他のすべての部族とは異なり、彼らは自分たちが生きている時代を理解していただけでなく、イッサカル以外にこのような部族はいないと言われていました。(I 歴代誌 12:32参照)

おぉ、願わくは、私たちが生きている時代を理解しますように。ただそこで生活するだけでなく、何をすべきかを知りますように。間違ってはなりません。サタンがこの終わりの日に力を入れ、熱を上げると私が言うとき、これらがサタンが使うビッグ3で、効き目があるからです。彼は私たちの注意をそらし、主要な事柄から私たちを引き離し、主要な事柄はもはや主要な事柄ではなくなる。誰が主要なのか? 何が、ではなく、誰か? イエスです。「だから、私はあなたの気をそらすつもりだ。 ほら、あそこのピカピカしたものを見て。」「うわ~」今のはよかったね。良すぎたかも。分裂はどうです? サタンは、、、教会は非常に分裂しています。イエスは仰いました。

「もし家が内部で分裂したら、その家は立ち行きません。」(マルコ 3:25

サタンがその聖句を知らないとでも? だから、彼が教会を分裂させることができれば、教会は崩壊。その崩落は酷いものとなります。どうりで、それが3つの「D」のうちの2つで、気を散らす/Distraction・分裂Divisionです。惑わし/Deceptionはどうです? 私にとっては、リストの一番上にあります。では、本当は今日のアップデートを短くしたかったのですが、またしても失敗してしまいました。最近、いつもより長いのは知っています。でも、見ていない人がびっくりするような、これから起こることを簡単に纏めていいですか? 実は、2,3週間前の要約を修正したもので、今日の預言の学びの内容に適切だと思います。だから、私の話を最後まで聞いてくださるようお願いしたいと思います。これは要約です。こんにちの世界は、「マタイの福音書24章」でイエスが預言された戦争や戦争の脅威によって、戦争の危機にあり、改めて私がこれを構築し、示す根拠は、情報をもらったからではなく、神の御言葉にあるからです。イエスは仰いました。

「産みの苦しみのように頻度と激しさが増す。」(マタイ 24:8参照)

こんにちの世は、、、私にはわかりませんよ。気づいていますか? 全面戦争の寸前であることに。イエスは、それがご自分が来られる前の終わりの時を示すものだと仰いました。戦争が起こるのは時間の問題です。そしてそれが起こるとき、必ず起こります。悪霊に取り憑かれた陰謀家たちがレバーを引き、最終的な解決策を実行するでしょう。彼らはもう何十年も前から計画していました。私たちはこの4年間、その話をしてきました。以下に限りませんが、管理下での世界経済の崩壊完了を含み、それが、ブロックチェーン技術と連携した人工知能技術による、生体認証デジタルキャッシュレスシステムをもたらします。そして当初は、計画によって生活を完全に破壊された人々にとっては、平和と安全の名目で歓迎されるでしょう。それはすでに実現し始めています。また、古くからの需要供給の原則が証明しているように、需要供給の原則を存知ですか? 供給が減り、需要が増えれば、価格は高騰し、需要が減り、供給が増えれば価格は下がります。これを見て下さい。こうしている間にも、供給は減少し、破壊されつつあり、サプライチェーンは、需要増に対応しきれなくなります。その結果、価格はかつてないほど高騰しています。今週はもう、そのことを嘆くことはしません。留意ください。私は嘆きという言葉を使いましたが、これは不平を言う、よりもずっと牧師的響きです。牧師は嘆く。このことが多くの人を驚かせ、不信感を抱かせるのは、人口の大多数がこんにちのイゼベルの商人ギルドに屈している間に、悪霊に取り憑かれた陰謀家たちが、舞台裏で忙しく、気候変動要項とコロナプランデミックを実行していたからです。その結果、世界中の富が一部の利害関係者に移転することになります。これらの利害関係者は、人々にUBI=ユニバーサル・ベーシック・インカムを強制する用意があり、これは中央銀行デジタル通貨を通じてで、(CBDC:Central Bank Digital Currency)これは、モノのインターネットと身体のインターネットに接続される一体化の社会的信用スコアと炭素信用スコアが前提です。従って、全人口は、商人ギルド型の、特にワクチン接種の証明を示す生体認証デジタルIDを持たねばなりません。売り買いするために。「黙示録13章」の。特に今。聞かれましたか? そのニュースは広まりました。鳥インフルエンザの話じゃありません。恐怖の広がりについて話しています。恐れの霊を与える、悪魔自身からの。 しかし、神は。ティアティラ教会と同様、 それを容認しなかった残りの者たちがいるように、終わりの日の教会にも、います。私たちの残り、これを容認しない人たちがいます。言い換えれば、聞く耳を持ち、健全な教えを受け入れる人々がいます。イゼベルの教えではありません。だから私たちは、イエスが来られるまで持ちこたえるだけでいいのです。それは、この様子では、とても、とても、とても、とても、とても近いです。これが良い知らせです。2、3分いただいて、『福音』を、「救いのABC」として知られている方法で、子供にでも分かるほどシンプルに説明したいと思います。これが救われる方法で、永遠の命の保証を得る方法です。まずAから始めましょう。

A : 自分は罪びとだと シンプルに、Admit/認める。

そこから始める理由は、自分が神の掟に背き、神の掟を破ったことを知るためには、神の掟という完璧な鏡の中で自分自身を見る必要があります。そして、自分が罪びとだと認めたら、今度は救い主を探すことになります。そこに聖霊が来られ、家庭教師のように、あなたの手を取って、あなたがたが破った律法・掟から、それを成就した救い主へと連れて行ってくださいます。あなたは認めねばなりません。それを認めない限り、認めるまでは、、、あなたは前に進む必要があります。誰かと福音を分かち合あって、 彼らが自分たちを良い人間だと思っているのなら、 彼らは救い主には興味を示さないでしょう。

ローマ人への手紙3章10節、

「義人(正しい者)はいない。一人もいない。」

救える義人は、イエス・キリストだけ。「ローマ人への手紙3章23節」がその理由、

「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、」

つまり、私たちは皆、罪びととして生まれました。 だからイエスが仰ったように、天の御国に入るには、霊的に生まれ変わらねばなりません。「福音」を法廷に例えるのが好きです。そうする理由は、「ローマ人への手紙6章23節」、有罪が確定した時点で判決が下され、私たちは皆有罪なのです。判決を言い渡されます。判決は? 判決は死刑宣告 = 「罪の報酬は死です。」(ローマ :23)

しかし、「神の賜物(贈り物)は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ :23)

それが「福音」の意味です。「あなたの罪の罰則は、他の人が支払った。あなたは自由だ。」

(イエス)があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由になるのです。(ヨハネ 8:36

では、次にBです。大変中心です。いろいろな意味で中心です。 他に条件がないから。AがBに繋がり、Cが現実になる。あなたの心で、イエス・キリストが主だと

B: Believe/信じる。ローマ人への手紙10章9節

「あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」

これは、「うん、神を信じてるって。信じてるよ。」ではありません! おめでとう。悪霊どもも神を信じて、身震いしています。(ヤコブ 2:19)

イエス・キリストが主だと心の中で信じることで、すべてが変わります。私は罪の赦しのためにイエス・キリストに信頼を置いている。イエスが罪の代価全額を支払ってくださって、私は永遠で、救われている。永遠で、地獄で滅ぶ事はない。それがイエスに信頼を置くという意味です。それから最後のCです。

C:主の御名をCall/呼び求める、Confess/告白する。

また再度、ローマ人への手紙109

「あなたの口でイエスは主と告白し、」

すべての膝が屈められ、すべての舌がイエス・キリストが主であることを告白します。(ピリピ 2:10~11)

すべての膝が屈められ、すべての舌が告白するのが、今するのと、その時するのとの違いは、今は救いのため、その時は永遠の天罰のため。では、なぜ口で告白することが重要なのか? 

ローマ人への手紙1013節、『主の御名を呼び求める者はみな救われる。』

心に満ちていることを口が話すのです。(マタイ 12:34)

では、イエス・キリストが主で、神がイエスを死者の中からよみがえらせたことを心で信じるなら、私の口から出てくるものは?『イエスは私の主です。』それほどシンプルです。たぶんある意味、シンプルすぎるかもしれません。イエスは仰いました。

「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」(マルコ 10:15

福音を複雑にしてしまっています。福音に、同意しなければならない利用規約を追加してしまっています。誰かと救いの間に何かを挟んでしまうと、違う福音を宣べ伝えていることになります。パウロがガラテヤの信徒に語った通り。(ガラテヤ 1:6~7参照)「福音」は、シンプルに、イエスが主であると信じる事のみ。するとあなたは救われる。私は心から切に願います。ここにおられるか、オンラインで見ている人で、主の御名を呼び求めたことがなく、心で信じたことがなく、イエスに信頼を置いたことがないなら、私は切に願います。他にどう言えば、聞けば、良いか分かりません。でも、どうか、先延ばしにしないでください。お気づきかどうか分かりませんけど、物事は本当に速く起こっています。あのラッパが鳴ろうとしています。もうすぐ、もうまもなく。今日、私の話を聞いた人の中で、また、この教会に来ている人の中で、あのラッパが鳴る時に、取り残された人たちの中に、誰も数えられませんように。

では、今日の「しかし、神は。」の証に入ります。 私は告白しなければならないのは、私がこれを選んだのは、何というか心のツボにはまったからです。皆さん、その理由が分かると思います。 シャノン・ミューズさんからです。(お名前がちゃんと発音できていますように。)

「しかし、神は。の証です。先週の日曜日、6月30日のアップデートを見終わったところです。JD牧師、あなたに証を分かち合った女性のように、神と聖霊は、ダニエルの聖句を用いて私にも語ってくださいました。私は長年、母の介護をしていました。大変な仕事ですが、同時に祝福に溢れています。母が主のもとに帰る前までそうでした。イエスが私に、母が主のもとへ帰った後何をしたいか、働きたいかどうかを尋ねておられるのを感じました。牧師さん、私には何をすればいいのか分かりません。私はただ「はい」と祈るだけで、御座からは沈黙です。母が栄光の家に帰る前から、私はその祈りを4、5年間捧げていました。しかし、神は。私は今、トロント・ブルージェイズで仕事をしています。神がそうなさいました。しかし、神は。私は低所得者向け住宅に住んでいて、1ベッドルームのアパートへの引っ越しをずっと待っていました。その時(ダニエル書の学び)あなたは仰いました。移転せずにそこに留まるように。牧師さん、私はそれを見て泣き出してしまいました。とても現実的でした。聖霊は間違いなく、あの日、私のために、またあの女性のために、あなたを用いられました。あなたが しかし、神は。の証をたくさん受け取られているのは知っています。(これが私の心を掴みました。)でも、次の日曜日にこれを読んでもらえたら、とても光栄です。・・・(そして、さらに良くなります。心に触れ、感動します。)・・・どうかお願いします。ありがとうございます。母と私は、(お母様は主のもとへ行かれました。)母がイエスのもとへ旅立つ前、毎週日曜日、一緒にあなたの礼拝を見るのが大好きでした。私は数年前、あなたをたまたま見つけたのです。☺️心を込めてカナダ、トロントからシャノンより。」

カポノ、上がってきて下さい。皆さんご起立ください。主を褒め称えます。彼女は私を捉えました。何という証でしょうか。人々が仰るのが大好きです。 ある日、お母さんから電話があって、「ハワイのこの人を見なさい」って。そんな感じで、彼女と同じで、そう、彼女たちのせいです。そうしたら、彼らは、こんなことを共有くださる。彼らが主と共にいるため家に帰られ(天に召され)「私たちは毎週一緒にあなたを見ていたんですよ。で、今でも私はあなたを見ています。天に召された人は、主の御前にいるのですが、まだ私のそばにいるような気がするんです。」それがいつも私には鳥肌です。皆さんのご忍耐と優しさに感謝します。また長くなってしまいましたが、お付き合いありがとうございます。祈りましょう。

お父様、ありがとうございます。御言葉の詳細に感謝します。 特に聖書預言に関して。つまり、 推測の余地を残しておられません。聖書に書かれている預言の多くは具体的で、間違いがあるとは思えません。私たち自身が聖書預言を知りたいと思う以上に、あなたが私たちに聖書預言を知ってほしいと願っておられるのが分かります。単なる知識としてではなく、あなたを知るために。あなたがわたしたちのために来られる時に、あなたへ準備するために。主よ、私たちは今持っているものを保ちます。あなたが全てだからです。あなたは私たちの祝福された希望です。あなたは私たちの唯一の希望です。あなたが来られるまで、しっかり保ちます。どんなに苦しくても。もっと苦しくなったとしても。ですから主よ、どうかあなただけがお出来になる通り、私たちにしっかり保つための超自然的な力を与えてください。主イエスよ、 あなたを呼び求めたことがなく、あなたを信じたことがなく、あなたの救いがあるかどうか確信が持てない人に、主よ、今日が彼らの救いの日となり、彼らが永遠の命のための人生で最も重要な決断を遅らせることがどうかありませんように。そして最後に、主よ、あなたがそうしてくださるまで、私は毎週こう祈ります。主イエスよ、早くきて下さい。マラナタ。イエスの御名によって、アーメン。