ハワイ州カネオヘにあるカルバリーチャペルカネオヘの主任牧師であるJDファラグの公式国際/翻訳アプリ。 このアプリには、JD牧師の毎週の聖書の説教と預言の更新の多数のビデオと、イエス・キリストの福音を知り、共有するための簡単な方法が含まれています。 サポートされる言語のリストには、次のものが含まれますが、これらに限定されません。 - オランダ語 / オランダ語 - ドイツ語 / Deutsche - English / 日本語 - ポルトガル語 / ポルトガル語 - スペイン語/スペイン語 追加の言語リソースを定期的に確認するか、jdfarag.org の Web サイトにアクセスして、まだサポートされていない言語をリクエストしてください。

 

 

上記抜粋

 

2024.03.31. 聖書預言アップデート

今、あらゆることがイエスを指し示している

JDファラグ牧師

一緒に祈りましょう。主よ、あなたの御名を称えます。主よ、あなたの御名を称えるだけではなく、イエスの御名を賛美します。イエス以外に称える名はありません。主よ、あなただけです。だから、私たちはあなたを称賛します。主よ、今日、あなたにすべての祝福を捧げます。主よ、今朝、私たちはあなたに声を上げます。御言葉に触れるとき 私たちに必要なのはあなたです。私たちがいかにあなたを必要としているか、 主よ、私たちを静め、理解を与えてください。主よ、今から聞くことは厳しいかもしれません。ですから、あなたの聖霊が必要なのです。主よ、私たちの心を静め、真理へと導いてください。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

アーメン、アーメン。おはようございます。復活の日曜日を祝う今日、ようこそ。 来てくださって本当に嬉しいです。来て、祝福されると信じてください。オンラインでご覧の方も歓迎します。見てくださって大変嬉しいです。始める前に、サッとお知らせしておきます。今週の火曜日、夜7時から、この礼拝堂で祈り会をします。ぜひ出席の予定を立ててほしいと思います。先週の日曜日、3月24日の「聖書預言・アップデート」のライブ配信で、現れた悪霊について取り上げます。特に、実際に何が起こったのか、またなぜ私たちがとった行動をとったのか、の多くの疑問に関連します。そして聖句に目を向け、悪魔の活動の現実を語ります。悲しいかな、ほとんどのクリスチャンが、甚だしく世間知らずだからです。意地悪に聞こえなければいいのですけど、甚だしく世間知らずというのは、両極端であること。その第一は、扇情主義/センセーショナリズムで、あらゆる事や人を悪魔的とみなすこと。そして逆に、2つ目の極端は、いわゆる終焉説で、すべては悪魔的でないとする、正反対の考えです。サタンはこの両極端に存在します。ですから、火曜日の夜に成し遂げたいのは、深く分裂している問題に対して、聖書的にバランスの取れた回答を提供することです。それが今週の火曜日です。オンラインの方、いつものハワイ時間、夜7時30分からではなく、夜7時から始めますので留意ください。

では、この第一礼拝は、「聖書預言・アップデート」第二礼拝は、「説教」、 復活の日曜日の説教をします。主だけがお出来になる通り、「ヨハネの黙示録」を一節ずつ学んでいく中、今日の箇所を完璧なタイミングで整えられました。牧師たちは、復活の日曜日が来るたび、いつも躍起になるのですよ。なぜなら、復活の日曜日だから。あなたたちが大きなプレッシャーをかけるから。いやいや、ええ、ちょっとそうかもしれませんが、いいのです。主に委ねますからね。でも、そう復活の日曜日、どうするのか? 特に、聖書を節ごとに教えるなら。

「いや~、節ごとに教えることはないだろう。復活の日曜日について学べばいい。復活の日曜日だから、復活の日曜日についての説教でなきゃね。」それで、神は今年の私を憐れんでくださって、私をとても可哀想に思ってくださったんだと思います。神は私をご覧になって仰った。「あの男を助けなさい。」神はそのタイミングを見計らい、今日の「黙示録」の節ごとの学びの箇所を設定されました。 4節から8節まで全部、すべて復活について書かれています。神がそうなさるのが大好きです❤️

ええ、主よ、ありがとうございます。ですからこの復活の日曜日、それが私の話で拘りです。本当に楽しみにしています。『イエス・キリストの復活が、私たちに対し、私たちにとって何を意味するのか』

に焦点を当てるからです。それをハワイ時間11時15分からライブ配信します。ユーチューブやフェイスブックでご覧の方は、今からウェブサイト JDFarag.org へ直接行き、今日の「聖書預言・アップデート」を丸ごと是非ご覧ください。

それでは、始めましょう。今日話したいのは、かつてないほど今(⇦キーワード)、世で起きているあらゆることが、『イエス・キリストを指し示している』こと。この赤い雌牛を含めて。私が選んだこの写真、お好きですか? このストック写真、この赤い雌牛も、今からすぐ分かるように、イエス・キリストを指し示しています。しかし、今、すべてが私は「今」を際立たせ、強調しますけど、「今」イエス・キリストを指し示すだけでなく、同時に、「今」、すべてがイエス・キリストの患難前教会携挙を指し示します。

「あら、またですか?牧師さん。毎週仰ってますよ。」分かってますよ。実際、私はそれが少し上手になってきていて、同じことをちょっと違う言い方でしますけど、それでも同じことです。毎週ね。なぜか? そう、真理は、「これが真理だからです!」私たち、いいスタートを切りましたよ。一緒に「民数記19章」を見ませんか? これは聖句の不明瞭な箇所で、 非常に預言的な聖句です。実際、ここは、言わば、深い預言的聖句が描写されていて、赤い雌牛の預言として知られています。1節から始め、10節まで読みます。 私についてきてください。

ー民数記 19:1ー

主はモーセとアロンに告げられた。

ー民数記 19:2ー

「主が命じるおしえの定めは、こうである。イスラエルの子らに告げよ。まだくびきを負わせたことがなく、傷のない完全な、赤い雌牛をあなたのところに引いて来るようにと。

ー民数記 19:3ー

あなたがたはそれを祭司エルアザルに渡す。そして宿営の外に引き出し、彼の前で屠る。

ー民数記 19:4ー

祭司エルアザルは指で血を取り、会見の天幕の正面に向かってこの血を七度振りまく。

ー民数記 19:5ー

その雌牛は彼の目の前で焼き、皮と肉と血を汚物とともに焼く。

ー民数記 19:6ー

 祭司は、杉の木とヒソプと緋色の撚り糸を取り、雌牛が焼かれている中に投げ入れる。

これ、全部わかりましたか? よろしい。しばらくしたら、このテストを受けてもらいますよ。

ー民数記 19:7ー

祭司は自分の衣服を洗い、からだに水を浴びる。その後、宿営に入ることができる。しかし、この祭司は夕方まで汚れる。

ー民数記 19:8ー

これを焼いた者も、自分の衣服を水で洗い、からだに水を浴びる。彼は夕方まで汚れる。

ー民数記 19:9ー

 それから、きよい人がその雌牛の灰を集め、宿営の外のきよい所に置く。そして、イスラエルの会衆のために、汚れを除く水を作るために保存しておく。これは罪のきよめのささげ物である。

ー民数記 19:10ー

この雌牛の灰を集めた者は、自分の衣服を洗う。彼は夕方まで汚れている。これは、イスラエルの子らと、あなたがたの間に寄留している者にとって永遠の掟となる。

OK。この特別な箇所は、旧約聖書全てと同様に、イエス・キリストと、イエス・キリストの十字架上の完了された御業、そしてイエス・キリストの復活と来臨を預言的に指し示しています。よろしければ、驚くべき旅へ皆さんを連れていきたいと思います。この赤い雌牛がどのように私たちの救い主の預言的描写をするのか、この見事な類型をたどります。以下の内容は、決して網羅的ではありませんが、イエス・キリストと、事前に知らされた歴史である聖書預言に特定している点で、すべてにおいて唯一無二と言えます。聖書預言は、前もって知る歴史です。(歴史になる前に分かる)それで私たちは、この不明瞭な章まで巻き戻しました。ええ、不明瞭な書ですよ。 私たちの中で「民数記」を知っている人を除いて、誰がこう考えます?

「まあ!民数記ね?」何についてか? 数です。とても退屈に聞こえます。聖書の中でも最も魅力的で興味をそそる書のひとつです。主の御言葉、祈り、静かな時間、献身的な時間など、主と共に過ごす自分の時間で何度も気づきます。私は「民数記」に多くの時間を費やします。大好きな書のひとつです。私は聖書のすべての書にそう言っているのは分かっていますけど、「民数記」は、特に今日、聖書全書の中で、私のお気に入りの書です。第二礼拝では、「黙示録」が聖書の中で私のお気に入りの書になるからね。で、この「民数記」には、この赤い雌牛の預言がイエス・キリストという人物で成就される未来の聖書預言を指し示す、預言的な歴史的記述があります。そこで、この類型論の旅とでも呼べる旅に皆さんを連れていきます。そのために、別のチャートを作りました。あなたのコレクションに加えてください。無償です。私はそれを3つのセクションに整理しました。まず、19章にある、赤い雌牛の死と犠牲の詳細が書かれている箇所です。そしてその次に、この特定の預言を究極的かつ唯一無二で成就されるお方イエス・キリストという人物を指し示す類型です。どのように? イエス・キリストにある永遠の命を指し示す赤い雌牛の死によってです。さあ、準備はいいですか? よろしい。19個あります。19章からね。どう?賢いでしょ? 私はそう思いますけど、皆さんはそう思わないかもね。皆さんは、もっと見つかるかもしれませんが、19個あって、まず、画面の通り最初の11個から始めましょう。赤毛の雌牛は赤い色でなければならなかった。ええ、当然そうなのですが、ヘブライ語で「赤」というのは、 アダムの名前に由来します。意味は、「人間」「人類」です。イエスは、最初のアダムにより、人間に入り込んだ罪を、私たちの代わりに流されたその赤い血潮によって贖うため来られた第二の、また最後のアダムである。赤い雌牛は純粋な処女の雌でなければならず、すべてのいけにえの中で唯一、雌でなければならなかった。これは「レビ記27章3節と4節」通りです。

では、イエスは処女から生まれなければならず、一度きりの生け贄で、しかも銀貨30枚で裏切られた。これはまさに「レビ記27章4節」通り、女の代価で「マタイの福音書26章15節」に記されています。赤い雌牛は、しみや傷のないものでなければならなかった。ちなみに、この赤毛の雌牛に1本でも灰色の毛があれば、失格です。黒い毛。失格。茶色の毛。失格。すべての毛が赤くなければならない。シミも傷もないこと。もちろん、イエスに罪はなく、しみも傷もなかった。赤い雌牛は、決してくびきを受けたことがないこと。イエスは、人とくびきを共にしたことも、罪に束縛されたこともなかった。赤い雌牛は、祭司エルアザルがアロンの子である事実によって、彼に与えられねばならなかった。イエスが神の子である事実よって、私たちが救われた関係に入るなら、また入るとき、私たちを祭司となされたのと同様に。赤い雌牛は外で屠らねばならなかった。非常に具体的で、宿営の外。馬の門、またはダマスカスの門として知られています。

ダマスカスの門とは? そう、エルサレムの北に位置します。イエスは十字架につけられました。預言によると、イエスは街の外で十字架につけられねばなりませんでした。馬の門、街の北、ダマスカスの門の外で。皆さんの幾人かはカルバリーと呼ばれる場所を訪ねましたね。 街の外にあるゴルゴダとも呼ぶドクロの場所。二番目の祭司であったエルアザルが見守る中、赤い雌牛は屠られた。父なる神が、三位一体の第二位格の子なる神を見守る中、三位一体の第二位格であるイエスは死刑に処せられたのと同様に。赤い雌牛は、その血を7回振りかけられた。「7」はもちろん、完成の数です。第二礼拝の「黙示録」の学びで分かります。黙示録を通して、聖書全体を通して、私たちはそれを目にします。7は完成の数、8は新たな始まりの数。イエスは7回、7つの異なる箇所から血を流されました。

両手で2、両足で4、 さらに、頭に突き刺さった茨の冠で5、背中の鞭で6、脇腹に突き刺さされた剣で7。完成。

「完了した。」(ヨハネ 19:30)

赤い雌牛は、ここからがさらに興味深くなりますけど、杉が必要だった。イエスは、自分がかけられる杉の木の十字架を作らせた。赤毛の雌牛は、杉の木と一緒にヒソプが必要だった。イエスは杉の木の十字架にかけられる間、ヒソプを差し出された。赤い雌牛には緋色が必要だった。イエスは、これはとても具体的なことで、あの緋色の虫になった。これをちょっと覚えておいてください。緋色の色素が抽出される真紅の虫、別名緋色虫です。とても興味深い虫です。ヘンリー・モリスは『The Biblical Basis for Modern Science(現代科学の聖書的根拠)』という著書に、この魅力的な、メスの緋色虫について記しています。以下は彼の記述です。

ー引用ー

「緋色虫の雌は、子供を産む準備ができると、木の幹に体をくっつける。もう二度と離れることがないよう、しっかりと永久に自分を固定するのだ。彼女はそこで死ぬ。彼女の体の下に産み付けられた卵は、白い幼虫が孵化し、自らの生命サイクルに入り新たな命となる迄、保護された。母親が死ぬと、真紅または緋色の体液が母親の体や周囲の木を染めた。このような雌の緋色虫の死体から、古代の商業用緋色染料が抽出された。」

話の向かう先が分かりますか? 木にかけられた者は呪われた者。(申命記 21:23)

この虫は木にかかって死に、木に吊るされて死ぬとき幼虫の中に新しい生命を産み出す。そして、この白は緋色から生まれ、緋色虫の死が故に、新しいいのちが生まれる。イエスが、救世主の詩篇である「詩篇22篇」で、ご自分をその緋色虫と呼ばれたのも不思議ではありません。その詩篇全体、「詩篇22篇」、私たちを罪から清めるための真紅の虫、あるいは緋色の虫として十字架上で死なれたイエスを語り、指し示しています。「詩篇22篇」の1節目、

ー詩篇 22:1ー

わが神 わが神 どうして私をお見捨てになったのですか。・・・

十字架上で救い主の口から発せられた言葉そのものです。

ー詩篇 22:6ー

しかし 私は虫けらです。(緋色の虫です。)人間ではありません。 人のそしりの的 民の蔑みの的です。

「イザヤ書1章18節」皆さんよくご存知ですね。

ーイザヤ 1:18ー

「さあ、来たれ。論じ合おう。──主は言われる──たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。

この類型論を続けましょう。赤い雌牛はエルサレムから連れ出されねばならなかった。雌牛は縛られ、火のついた穴に投げ込まれ、緋色の羊毛で縛られた杉の木とヒソプがその上に投げ込まれた。

イエスが私たちの緋色の罪によって縛られ、彼に投げ渡されたとき、イエスはエルサレムから杉の木の十字架へと連れ出され、手足に釘を打ち込まれたように。赤い雌牛は、その死から出た灰が人がすべての罪から清められるためなければならなかった。

私たちがすべての罪から清められるため、イエスがその死をもって私たちに赦しを与えてくださったのと同様に。

赤い雌牛はその灰を容器に入れられた。その上に流水をかけながら。

御言葉であるイエスは、私たちに注がれる聖霊をお遣わしになる、という御言葉を私たちに与えてくださった。

それを見ていくことになります。第二礼拝だったかな? 多分違いますね。きっと火曜日の祈り会ですね。とにかく、それを学びますからね。赤い雌牛は、流れる水がなければならなかった。 ヘブライ語で、生きた水が与えられるという意味の三位一体の第三位格の聖霊をイエスが与えてくださったのと同様に。ですから、私たちの人生は満たされ、溢れ、生きた水の奔流のようになります。赤い雌牛は、その灰とヒソプとともに水に浸されなければならなかった。そして、清め、清めるため、その水を振りかけなければならなかった。イエスは、私たちに賜物を、清く聖なる生活を送る力を注ぐ聖霊のバプテスマを授けてくださいます。この2つの言葉について簡単に説明します。 というのも、これは本当に誤解されているからです。誰かにこう言われたことか、 自分が言ったことがありますか? 手を上げないでください。

「ああ、あなたはとても純粋で神聖だね。」あら、答えが分かりましたよ。純粋とは「清められている・洗われている」という意味です。純粋でないとは、汚れているという意味です。”聖なる”の意味をご存じですか? この言葉は、おそらく最も誤解されている言葉のひとつでしょう。残念なことに、聖典のすべてのページの中にあるのに。

「聖なる者であれ。わたしが聖だから。」(レビ11:44参照)

じゃあ、明日から始めるよ。「私は聖なる生活を送る必要がある。」分かりました。 すぐに取り掛かるよ。「聖なる人生を送るにはどうすればいいのか?」 聖霊によってです。

聖なる霊(聖霊)=聖なる人生 聖なる人生とは? 人生全部そのもの。半分ではありません。もう一度してみますね。もっとうまくやれると思うから。「そうでしょ?主よ。助けてくださいね。」満ち足りた人生、全き人生、聖なる人生とは、溢れんばかりに満ち、奔流のように流れる生きた水の人生です。それが聖なる人生です。もう1回してみます。聖なる人生とは、全き人生です。私たちが地上の親として、子供たちが完全で充実した人生を送ることを望んでいるのと同様に、神は、私たちが完全であることを望んでおられます。私たちの天の父は、私たちが完全であること、満ち足りること、半分でなく、満ち溢れることをどれほど望んでおられるでしょうか。私たちが聖霊に満たされ、聖霊のバプテスマを受け、聖霊が私たちの上に=ギリシャ語で”エピ”、臨まれる時、そうすれば、私たちの人生は、生きた水の奔流のように力強くなります。洪水を見たことがありますか? どれほどパワフルか。家々を爪楊枝のように流していきます。それが聖霊の力です。聖霊は、私たちが純粋で聖なる生活を送る力を与えてくださいます。

「ああ、あなたはとても純粋で神聖だ。」どうもありがとう。だって、私には聖霊がおられるからね。(会衆:アーメン!)

さて、これらすべての材料について言えば、興味深いです。霊的なだけでなく、医学的なものでもあります。S.I.マクミレン医師とデビッド・イースタン医師の著書『None of These Diseases』(どれも病気ではない)これ聞いてください。

ー引用ー

「この洗いは、死体に触れて汚れた者のためだった。これは霊的な法則であると同時に、効果的な医学的法則でもあった。その水は杉、ヒソプ、緋糸と一緒にされた。この組み合わせは、イスラエルとシナイ半島に生育するジュニパーの木(ヒノキ科)から採れる油を含んでいたから、実際に細菌や感染症を破壊する効力があった。シダーオイル(杉・ヒノキ油)は皮膚を刺激するため、その人は溶液を手に勢いよくこすりつけることになる。ヒソプの木はヒソプオイルを排出し、ヒソプオイルは抗真菌・抗菌成分を含む効果的な消毒剤で、こんにちでも医療に使われている。」

誰が知っていたのか? 実際、大手製薬会社はこのすべてを取り除いたと思います。賢者たちが、ヨセフとマリアのもとに乳香、黄金、没薬を持ってきたとき、乳香と没薬は、薬でした。そのオイルを擦り付けると、薬になります。 抗菌性があります。当時、彼らが必要としていた贈り物です。マリアが出産したから。黄金は? エジプトへの旅費の提供です。ヘロデ王が2歳以下のヘブライ人の男の子を一人残らず殺そうとしたから、彼らは逃げなければなりませんでした。これらは実用的な贈り物でした。ごめんなさい。クリスマスじゃなく、復活の日曜日なのは分かっています。でも、あなたのキリスト降誕のシーンについては注意してほしいのです。あのね、賢者たちを排除します。 まず第一に、3人ではなく、側近がいました。想像しないでください。マリアに乳香を少し、黄金を少し。 いいえ、彼らは荷馬車で運んできました。つまり、彼らは盛りだくさんの黄金を持ってきたのです。神の御子ですよ。子なる神ですよ。必要なものはすべて揃っていたし、準備も整いました。まあ、とにかく脱線しましたね。類型論に戻りましょう。もう終盤です。清められるには、ヒソプと共に赤い雌牛を用いなければならなかった。これを見てください。 私たちが清められるために、イエスが死なれ、その死が用られねばならない。(JD:ラップ調で)

カポノ、これに取り組んで、あとで返事してね。そんな曲ができるのを待っているんだもん。赤毛の雌牛には、一人が必要だった。これは実に興味深いです。すべての汚れた者が清められるため、汚れた者となることを厭わない者が。皆さん、分かりましたか? イエスは、私たちすべての罪を清めるために、自ら進んで汚れた罪となられた唯一の神で、人。イエスは私たちの罪を負い、汚れることを厭われなかった。赤い雌牛は、3日目と7日目に清めのために用いなければならなかった。イエスは、、、どうかご辛抱して聞いてください。イエスは、第七の千年期における私たちの新しい契約で、主にとって千年は一日のようなものだから。ユダヤ暦の第三千年期(日)にシナイ山でイスラエルと古い契約を結び、三日目に死からよみがえった。OK!! アダムから現在まで、何千年目かを簡単に説明したほうがいいかもしれません。

今、6日目(六千年目)にいます。7日目(七千年目)は安息日。その1000年の期間、つまり第7の千年期が完成して終わる期間が千年王国時代です。

今、私たちは、続いて、千年王国時代の第7千年目が始まる、7年間の患難時代の寸前にいます。ダメ? もう一度してみます。これが分かるまでは先に進みませんよ。この類型が分かりますか? 預言者ホセアだと思います。彼はイスラエルを預言的に描写していて、彼らは基本的に2日間、2000年間埋葬され、さまよったという力強い預言で、そして3日目に復活する。(ホセア 6:2参照)

その3千年目/3日目の早朝に。6日は六千年です。が、7日目は7千年目/千年王国です。類型が分かりますか? のように機能するかが。私はなんとかベストを尽くしました。それでは、私はあなたの思いを読むことができるので、あなたが何を考えているか分かっています。ちょっと待ってね。う~‼︎やっぱり気にしないで。ー(笑)ー

これが聖書預言と一体何の関係があるのか? よくぞ聞いてくれました。今日のアップデートのタイトルをつける時、『今、あらゆることがイエスを指している』だからといって、これまではまだイエスを指していなかったと言いたいのではありません。いや、常にイエス・キリストを指し示しています。旧約聖書のすべてが、創世記から始まってイエス・キリストという人物を指し示しています。ちなみに、祭司は、幕屋や神殿での奉仕する祭司のことで、例えば、奉献物を揺り動かす。サッと話します。奉献物を揺り動かすのは、ウエーブではありませんよ。おぉ、私たちって、どこまで来たのか? ああ、世界はどうなってしまったのか? 奉献物を揺り動かすのは、北南西東、十字架の形でした。イエス・キリストの十字架を指し示す型です。十字架刑が残酷な死の一形態だと彼らが考案する以前に。私たちはこのことを、あの退屈な「民数記6章」で、イスラエルの宿営で見ました。全てが数です。 ただ単調で、心が麻痺してしまいます。東に、西に、北に、南にいて、幕屋が中心にある。するとあなたは、「なぜそんなことを知る必要があるの?」じゃあ、その退屈な数の書、22章まで待ってください。バラクから大金をもらっているバラムという男が出てきますから。カポノ、これも曲にするといいかもしれないよ。 彼はイスラエルの民を呪わないといけませんが、どうしても呪えません。なぜか? イスラエルの民の宿営は十字架の形をしていて、幕屋はその真ん中にあったからです。「ヨハネの福音書1章14節」にあるように、ことばは(イエスは)肉となって私たちの間に住まわれた。神が人となられ、十字架で死なれた。それゆえ、キリスト・イエスにある者には、今や非難も呪いも罪もありません。(ローマ 8:1参照)

十字架の故に。十字架上の完了された御業の故に。私はここでとても深いところへ向かおうとしていました。 その路線に戻せるか試します。お!分かりました。以下が話の向かう先です。OK、ですから、繰り返しますが、「何ですか?これは聖書預言・アップデートでしょ?」そうです。私たちはたくさんのコメントを受けます。聖書預言・アップデートだったのか、それとも説教だったのか? と。それが明確でなかったなら本当にすいません。これは「聖書預言・アップデート」ですよ。「ええ、でも牧師さん、どうやってこの件から患難前携挙になるのですか?」またしても、よくぞ聞いてくれました。その疑問に答えるには イスラエルで、イスラエルを使って、そしてイスラエルのために、何が起きているのか見れば一目瞭然です。お望みなら、イスラエルに向けて、も加えることができます。もちろんね。どういう意味ですか? おぉ、2022年、9月15日木曜日の午後5時、5頭の純赤毛の雌牛が到着しました。そのうち3頭はまだ資格があります

ユダヤ人が2000年間/2日間、手にしたことのないものです。今読んだ退屈な「民数記19章」の預言的な箇所は、こんにちに至るまでユダヤ人たちに読まれています。いつ? 過越の祭りの時に。おぉ、過越の祭りって何? ええ、十字架刑です。過ぎ越しを覚えていますか? エジプトにいたイスラエルの民は、子羊の血を取って、(まだ赤い雌牛ではありません)その子羊は、イエスが裁判にかけられた日数の4日間、シミなし、傷なし、シワなし、罪なしだと精査されねばならなかった。そして、その血を取る。骨を折るのではなく、体や皮を屠り、流れる血に、ヒソプの枝を浸し、それを家の門柱に、上、下に受け皿、左、右=十字架の形に塗る。すると、死の御使いは、その家を過越し、その家の者は救われる。なぜか? 子羊の血があるから。十字架の形に。鳥肌ではないですか?「待ってください。牧師さん、あなたは私に、この赤い雌牛のこと「民数記19章」のこと全変ですよ。ユダヤ人はこれを読んで過越の祭りを祝うためこんにちまでそうしてきたのですか?」

そうです!!! ごめんなさい。叫ぶつもりはありませんでした。

「OK。じゃあそこで質問ですが、これはいつ起こるのですか? 今年の過越の祭りはいつですか?

よくぞ聞いてくれました。ちょうど私は知ってます。過越祭は4月22日(月)の日没前に始まり、4月30日(火)の日没後に終わります。約3~4週間後です。鳥肌では? しかしながら、注釈しておくべきは、現在の暦と当時のユダヤ暦の正確さについては、議論に事欠きません。それを述べる理由は、現代の暦に従って祝われる特定の祝祭日には、注意を払うべきだからです。それがなぜ3月31日で、私達が復活の日曜日を祝っているのか、その理由の一端を物語っています。どうなっているの? それがどうなっているのか言いましょう。私たちの暦/カレンダーがすべてボコボコ(ハワイピジン語で)だからです。カパカヒ。(ピジン語:混乱)このほうがいい? 滅茶苦茶でも気にしないでね。

では、「今」(⇦キーワード)起こっているあらゆることが、イエスと、イエスの患難前携挙での間近の来臨をどのように指し示しているのかという疑問に戻りましょう。

第一に、イスラエルは神の預言時計の時針で、エルサレムは分針、そして神殿の丘は秒針です。言い換えれば、今が何時なのか、または神の預言時計が何時何分なのか知りたいですか? イスラエルのエルサレムにある神殿の丘を見れば一目瞭然です。ひいては、第三神殿の再建を急ぐユダヤ人の切迫感。今、主のもとにいるチャック・スミス牧師はこう述べました。

「こんにちの正統派ユダヤ人は、神殿再建に途方もない問題を想定している。献げ物を再開する前に、祭司たちは清められなければならない。興味深いことに、旧市街のアシュビーの一角では、今まさに若い男たちが神職になるための訓練を受けている。(これは数年前ですよ。)しかし、正統派ユダヤ人が指摘するように、清めの儀式を経なければ祭司職に就くことはできない。(先ほど読んだ通りです。)そして清めの儀式を受けて、(先ほど読んだ通りです。)赤い雌牛の灰が必要なのだ。(先ほど読んだ通りです。)祭司を清め、清めるためには、赤い雌牛の灰が必要なだけではなく、一旦神殿が再建されれば、・・・(因みに、必ず再建されます。)もしも、再建されたら、ではなく、再建されるその時、です。どれだけ早く、どれだけ早いか。彼らは神殿再建の許可が下りれば、最初から最後までを3カ月で完成させると信じられています。・・・しかし、彼らは赤い雌牛の灰が必要で、神殿再建が必要。しかし、そのためには彼らに救世主も必要。

ヘブライ語:メシアニック アラビア語:メシアック 私たちの救世主じゃありません。ユダヤ人は、真の救世主を拒絶しました。だから彼らは偽救世主、偽キリスト、反キリストを受け入れ、受け入れようとしているのです。

ユダヤ人は、7年の患難時代の3年半の時点でこの反キリスト、すなわち偽救世主が、聖なる場所、そう神殿の最も聖なる場所で荒廃をもたらす忌まわしい行いをする時、このことに気づくことになります。(ダニエル 9:27参照)

そう、神殿は再建されます。で、預言的レシピに必要な材料は以下の通り。

1:赤い雌牛の灰  2:神殿 3:キリスト、救世主、メシア 彼が偽者であろうと気にしません。 ただ、このショー全体を軌道に乗せる救世主を必要としているだけです。雑な言い方かな? ええ、少なくとも分かりますね。

「OK。 それはあるんですか?  いくつかチェックする項目があるのだから。」はい、あります。

赤い雌牛の灰。レ点。90日以内に神殿再建。レ点。反キリスト。レ点。

既に舞台裏に存在し、準備して待っています。画面は、ユーチューブの動画です。その文書版から引用します。アーロン・シェーファーというユダヤ人の投稿で、(私の発音が正しければ)彼はユダヤ人のツアーガイドです。彼は、伝統的なユダヤ人で、おそらく正統派ユダヤ人でしょう。イスラエル在住です。彼はイスラエルのシロで開催された赤い雌牛に関する会議に出席した後、この動画を投稿しました。動画のタイトルを見ると、聖書預言に詳しいクリスチャンが投稿したユーチューブ動画を見ていると思うでしょうが、そうではありません。ユダヤ人です。この動画のタイトルは

「イスラエルの赤い雌牛の歴史を目撃。これは終末の時のしるしなのか?」です。何ですって? 自分のネタを使いなさいよ!!それって私たちが言っていることですよ。ええ、私の牧師が言っていることですけどね。彼の言うことを注意して聞いてください。

ー引用ー

「実は、実際のパラ・アドゥマ(赤い雌牛)を作ろうと努力している人たちがいる。(アドゥマ、アドミ、アダム。)今日、(2日前の金曜日です。) 古代のシロ、幕屋があった場所で、赤い雌牛についての特別な会議を行っている。テキサスから持ち込まれ、ほぼ利用できる赤毛の雌牛が展示予定。・・・このタイミングを見てください。 一定の時間内に献げなければならないから。・・・私たちユダヤ人は、赤い雌牛を待ち望み、エルサレムに神殿が再建されることを2000年間祈り続け、夢見続けてきた。私たちが生きている間、そして私たちの両親や祖父母が生きている間、私たちには実に多くのことが起こってきた。・・・繰り返しますけど、自分のネタを使いなさいよ。私は20年間、そう言い続けてきたのだから。・・・彼らは動いています。イスラエルはこの夢の実現に近づきつつあって、私たち全員が待ち望んでいる最も重要なことは、神殿が再建されることと、私たちの救世主の到来だ。イスラエルの民と全世界の贖いを完成させるための。神殿を建てるために必要な前提条件のひとつが、パラ・アドゥマ、英語で赤い雌牛と呼ばれるもの。私たちの伝統は、10番目の赤い雌牛についての預言を伝えている。モーセは3300年前、この赤い雌牛を最初に作り、モーセの時代から第二神殿が破壊されるまで、さらに8頭、合計9頭が作られた。その伝統は、終末の日だけである。メシアが来られ、神殿が再建されるとき、10番目の赤い雌牛は、神殿が破壊されて以来2000年間、私たちが待ち望んできた神殿礼拝の再開準備あるいは前提条件として用意される。・・・この男は私よりも興奮しています!!・・・私には、赤い雌牛の預言が終末の時代の前兆であるように思える。これは、私たちがメシアの時代への最終的な贖罪にこれまで以上に近づいていることを示す、もうひとつのしるしに過ぎない。

皆さん、点と点が繋げられますか? そうすれば私が繋げなくてもいいから。その時間がないのです。彼らが実際に待っているのは、赤い雌牛が、、、先ほど読みましたね。彼らが信じる救世主と神殿再建にどれだけ近づいているかを示すしるしなのです。なぜなら、その10番目が、、、ごめんなさい。叫んでしまって。これは本当に興奮します。彼らはこれまでに9頭持っていて、9+1=10 10番目を待っている。なんだと思います? 10番目の彼ら、いえ、雌牛を手に入れた。失礼。近頃はどうだかわからないからね。ー(会衆:爆笑)- ごめんなさい。いやいや。ごめん、ごめん。ポロっと出ちゃって。OK。さあ、戻ろう。戻ろう。今のはマジでよかったね。まったく予定していなかったアドリブで、それがいつも最高です。OK。これは絶対にいただきますよ。どこまで読んだっけ? そう、これはしるしなんです。私たちは、赤い雌牛を手に入れた。雌牛の灰を手に入れた。必要だった最後の物を。それを手にした!! それが意味する結論は、「救世主の到来」 そう!! でもあなたがたにとって、偽者ですよ。私の友、ユダヤ人よ。で、ユダヤ人によると、今(⇦キーワード)この赤い雌牛はイスラエルにいて、今(⇦キーワード)聖書預言が7年の患難時代に成就すると予告していることを実行に移すきっかけだという。私がどうやってたどり着いたか分かりますか? ここで患難前携挙が登場します。ちょっとそれを覚えておいてください。というのも、これが彼らにとって、赤い雌牛の灰を使った第三神殿再建と救世主の到来がいかに近いかを示すしるしなら、それは7年の患難時代に起こることで、携挙は7年の患難時代前に起こります。私たちはこの男よりずっと興奮すべきです。願わくは、クリスチャンが今、この緊急性を知りますように。ユダヤ人たちがそれを知っているのですよ。それがクリスチャンに対する非難として十分でなかったとしたら、 アラブ人、私の同胞の彼らも、このことを知っているんですよ。1月14日にパレスチナ・クロニクル紙が発表したこの息を呑むような記事が証明します。タイトルは、

『抵抗勢力によるストライキは今後増加する。戦後100日目のアブ・オベイダの声明。』

この引用を聞いてください。アラビア語から英語に翻訳されています。

ー引用ー

アル・アクサ洪水戦闘開始から100日、(アル・アクサは、神殿の丘のモスクです。)この歴史的で極めて重要な戦いは、アッラーの力で奴隷となっているすべての民族と国家を解放するため、この叫びは時を超えて響き渡り、世界を満たした! アル・アクサの洪水の戦いは、拳がいかに棘と衝突しうるか、そして人種差別主義者、ナチス、また激しい占領がいかに我々の民族の宿命で、時に全世界の前で”最も醜悪な存在”となりうるかの模範を示したのだ。(ユダヤ人の意味です。)10月7日、そのプライドを打ち砕き、傲慢な態度に応えたのだ。時には、想像の産物や不可能な道に思える歴史的な戦いで、その残忍さと犯罪の目的に立ち向かうことによって。我々は、100日間を振り返り、弱肉強食に支配された世界列強の中で、教育された加担者、無能者である事を思い出させ、我々の道に対して頂点に達した攻撃を思い起こさせるのだアルクッズ(エルサレム)よ。そしてアル・アクサよ、 その実際の神殿と空間分割の開始と、(注意して聞いてください。)赤い牛の搬入は、アラブのアイデンティティと預言者:(夜の旅と昇天したムハンマドの意味)の道の核心、国民全体の感情に対する侵略のために作られた憎むべき宗教的神話の悪用だ。」待って。

「OK、牧師さん。まず落ち着いてくれませんか?あなたは私をとても不安にさせています。」いいですね。聖化された緊張です。だってそうでしょ? ちょうど分かち合い終わったのは、ユダヤ人がこの赤い雌牛の意味を知っていて、アラブ人がこの赤い雌牛の意味を知っていて、 そして、それらが聖書預言とどれほど密接な関係にあるのか。でも、クリスチャンはどうです? 言うまでもなく、イエスが必要なこのアラブ人が言ったことは、私たち全員を立ち止まらせるものです。どういう意味か? ええ、再度、 アラブ人はこの赤い雌牛の意味を知っている。そして同様に、 ユダヤ人はこの赤い雌牛の意味を知っている。ではなぜクリスチャンがそれを知らないのか? 2、3の考えがあります。できるだけ愛情を込めて言います。愛が故に、愛を持って言います。クリスチャンが預言的意味や私たちが生きている時の遅さを知らないおもな理由の一つは、牧師たちが聖書預言を教えていないからだと私は思います。聖書預言を教えている牧師がいたとしても、あるいは、より良い言い方をすれば、時に、聖書全体について話しても、たまに聖書預言を入れるだけで、聖書を教えることと、聖書について教えることは違います。彼らが終末の時代について語ることは、、、大変非常に稀ですけどね、たとえそうだとしても、あまりに物議を醸すようなことにはあえて触れないでしょう。彼らは人への恐れに囚われています。人を恐れると罠にかかる。(箴言 29:25)

彼らは人への恐れに囚われています。陰謀論者と一緒にされたくないから。オアフ島のあの男のような狂った変人たちと。さらに悪くなります。どうか最後まで聞いてください。その責任は、説教壇にいる牧師たちにありますが、巻き込まれた/caught up 大多数のクリスチャンたちにもあります。caught upは、引き上げられる・携挙のダジャレですよ。すべての注意の逸らしと分裂、その最たるものが政治的なものです。だから、ノンクリスチャンやユダヤ人、アラブ人ほど深刻には考えない。ご存知の方も多いと思いますが、これは先週、悪魔の顕現で中断する前に、私が非常に率直かつオープンに分かち合っていたことで、実は、先週、私が非常に率直に、オープンに分かち合っていたことが、悪魔の顕現で中断した理由の一部だったと思っています。繰り返しますが、火曜日の夜にもっと詳しく説明するつもりですけど、私は皆さんに簡潔に分かち合う責務もあると思っています。中断なし、検閲なしで(本編で)いいですか? では、ユーチューブとフェイスブックでのライブ配信を終了します。

ー本編ー

以下は私の心からの言葉で、メモにはありません。 ただ皆さんに話し、私の心にあるものを分かち合いたいだけです。どうか知ってください。 私が説教壇で下を向き続けているのは、メモを見ているせいではありません。つまり、 メモはありますけど、習慣というより、皆さんへの礼儀でもあります。その意味を説明します。時には厳しいことを言うこともあります。カポノ、始まる前の君の祈りに本当に感謝するよ。ヒントを得ました。

「主よ、JD牧師を通して語ってください。時に、厳しいこともあります。」それを使うからね。私は聖霊を知っています。聖霊に余地を与えるのです。これは厳しい教えだから。イエスが厳しい教えをされたあと、大多数が離れて行きました。弟子たちでさえ、それを考えた。イエスは弟子たちに尋ねられたから。イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいのですか」と言われた。(ヨハネ6:67

非常に緩い言い換えですけど、ペテロは言いました。(68節)

「どこに行けるというのですか? あなただけがいのちのことばを持っておられるのに。」

ええ、あれは厳しい教えでした。 私はそんな「聖書預言・アップデート」は聞きたくなかったけれど、必要でした。だからするのです。時に、それはお互い、あなたと私の両方のためだと思います。ちょっと居心地が悪くなって、私が特定の方向を見ていて、高ぶり・欲望・強欲の話になると、皆うずくまって隠れる。ですから、私が下を向いているのは、そんな理由の一つですからね。メモはありません。心からこれを話します。私は神の御前に立ちたくありません。まもなく、もうまもなく、神の御言葉を教える教師として申開きをする時、 ヤコブ(3:1)が語る通り、

「私たち教師は、より厳しいさばきを受けます。」毎週、毎週、この説教壇で皆さんの前に立ち、神の御言葉を説教し、教えることを、主が私に与えてくださった深い特権について私は主に申開きをするのです。 私の理解を遥かに超えた特権です。神の全ての知恵。そして、私の人生で、私の手にあなた方の血の責任があってはいけないのです。あなた方の誰もが神の前に立ってこう言うことはできないでしょう。

「私は知りませんでした。」

私が何をしたかわかるでしょう?ははは。いえ、上に上がると、子羊のいのちの書があって、

「いやいや、JDの教会に行っていたね。メモがある。こっちに来なさい。」「申開きをしなさい。 いや、それは許されないよ。 あなたは聞いていたのだから。あなたは毎週福音を聞いていた。何年も毎週毎週。」

それは通りません。「それほど間近だなんて知らなかった。」それは通りません。私は神の御前に立ち、神に問われたくありません。 「わたしがあなたに与えたその深い特権を、あなたはどうしたのですか?」と。その代わりに私が聞きたいのは、「よくやった、忠実な僕よ。」です。「わたしは、知っています。あなたが説教壇にいて、何千人もが死んでいる悪魔の欺瞞、いわゆるワクチンについて真実を語らなければならず、屈辱に苦しんだことを。わたしは知っています。何千人もが亡くなった9.11の嘘、悪魔のような嘘、欺瞞が炭疽菌とどうつながっているのか、そしてそれがいわゆるコロナとどう繋がっているか、その点と点を繋げねばならず、苦痛だった時も。でも、あなたはそれをしました。そのおかげで人々がわたしの下へ来ました。よくやりましたね。」

『よくやった。良い忠実なしもべだ。』(マタイ 25章)

「でもね、主よ、私の受信トレイを見たでしょ?」「ええ、もちろん見ましたよ。」ところで、「レフト・ハインド/取り残される」ボイスメールのいくつかを聞いたでしょ? 私たちではありません。とにかく、とにかく量が多いから無理です。私たちは彼らを救います。念のために言っておくけど、万が一、何かあったときのためにね。誰かが命を狙われているなら、彼らは何かを録画していて、「あなたがこれを見ているなら、私は彼らにやられました。」言い過ぎです? でも本当なんです。そういうものは残しておかなければなりません。先週の日曜日に起きたことは、すべて記録されていて、すべてが記録されているし、すべてがどう処理されたかもわかっています。そして、私たちがしたことには理由があります。繰り返しますが、火曜日の夜に説明します。でも、それはとても辛いことで、私は同情を求めているのじゃありません。私は祈りを求めています。公平を期すため、弁解ではなく、説明として、牧師たちが私が話しているようなことをあえて語らない理由もわかります。代償が故です。霊的です。私たちの闘いは、血肉に対してではありません。 私が話しているのは霊的闘いで、桁外れです。私の人生、私の家族の人生、私の教会の家族の人生に対する悪魔の攻撃。しかし、先週、私がシェアしていたとき、無礼にも悪魔に邪魔されました。でもそう、価値があるからです。それだけの価値がある。ここに上がると、たぶん誰とも目を合わせないほうがいいですね。少なくとも1人は分かります。たぶん2、3人。彼らはそうなります。私がここでこれをしたから。ですから、私は臆したり、ためらったり、尻込みしたりするつもりはありません。そして、それが厳しすぎたり、多すぎるなら、愛を込めて私はこう言います。あなたには良い知らせがある。もし私がこの説教壇から教えていることが、あなたにとって酷ならば、 あなたは多くの教会から選ぶことができる。もしあなたが、もう少し口当たりが良く、もっともらしく、従順で、友好的で、厳しくなく、もっと心地よいものを探しているのなら良い知らせがあります。好きなものを選べばいいじゃないですか。 他99.9%の教会やオンラインのいわゆるミニストリーからでも選べるんだから。しかし、私と私の教会に関しては、最後まで真実を語るつもりです。ー拍手喝采ー 耳を傾けてくれてありがとう。これが私が決してやめない理由です。よくわからないけど、ある意味、分かるような気がするのは、人々が言うのです。

「救いのABCを止めないでください。」

私は、「誰が止めると言ったの?」「聖書預言・アップデートは決して止めないでください。」って、聞いてください。私が止めたいとしても、 神がそんなことを許されると思いますか? それについては、ヨナにもう話しました。止めようと思って、うまくいきません。ええ、あのラッパが鳴るまで毎週毎週、福音を伝えます。福音とは? 第二礼拝でもっと深く話しますけど、ええ、イエス・キリストの復活です。でも同時に、十字架刑で、埋葬で、第二礼拝で話しますが、イエス・キリストのよみがえりだけでなく、イエス・キリストの教会携挙でのイエス・キリストの来臨です。それが福音です。良い知らせです。それが「福音」という言葉の意味です。

「君の罪の負債は支払われた。君は自由だ。」(君、は原文ではありません。)子(イエス)があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由になるのです。(ヨハネ 8:36)

あなたの罰則は支払われたから。あなたの刑は執行されたから。「本当に?誰が?」おぉ、誰かがあなたの身代わりにあなたのために支払ったから。「その人の名前は?」イエスです。ここが救いの説明「救いのABC」で、よろしければ、 ABCに「福音」を織り込みたいと思います。

「A」は、答弁に入り、自分が罪ありとA:Admit/認める。どう答弁しますか? 罪あり。。。私は神の掟(十戒)を破りました。たとえ一つだけ戒めを破ったとしても、すべての戒めを破ったことになります。ですから私は有罪確定。そう、私たち誰しもが罪ありです。罪のない人はだれもいません。私たちは罪を認め 私たちが罪を犯し、至らなかったことを認めなければなりません。

ローマ人への手紙3章10節、

「義人(正しい者)はいない。一人もいない。」

ローマ人への手紙3章23節がその理由、

「すべての人(私たち誰しも)は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、」

私たち誰しもが的を外しています。実際、私たちは皆、神の完全な義の基準に達していません。それが罪という言葉の意味です。的を外している。アーチェリー用語です。的が外れている。ああ、でも50回中1回は当たったよ。一度を的を外せば、罪びとです。的外れ。届いていない。で、私たちは、宇宙の法廷の裁判で、判決の段階に入らなければなりません。天と地の裁判官が法廷にいます。答弁に入り、罪あり。裁判官が死刑を宣告します。

「罪の報酬は死です。」(ローマ :23a)

「しかし、神の賜物(贈り物)は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ :23b)

良い知らせです! 聞いてください。お付き合いくださいね。裁判官は、地元の人です。いいですね? そう、お知らせしておきます。法廷には地元民がいる。裁判官は地元の人です。あなたが死刑判決を受けると、宇宙の法廷に、ある人が入ってきます。普通の人ではありません。神の人、100%神で、100%人のイエス・キリストです。イエスが裁判官に仰います。「止めなさい。待ちなさい。全てを止めるのです。」書記が記録をつけていると、イエスが、「わたしが代わりに死にます。」すると裁判官は、あなたの方を向いて、地元民だから言います。「ほ~~!!(地元の口癖)良い知らせだ。」まだ、笑いを取れてますよね? いけてます?「良い知らせだ。君は自由だ。君の罰則は支払われた。この人が君の死刑を受け、身代わりに死ぬんだ。君は自由だ!! 手錠を外してやれ。」「ありがとうございます。大変苦しかったのです。私はもう罪の奴隷ではなく、縛られない。私は赦され、自由になった。」良い知らせです。それが A です。

次に B、「B」は、大変中心です。

B:あなたの心で、Believe/信じる。

「神を信じているじゃん。」というのではありません。

B:あなたの心で、イエス・キリストが主だと Believe/信じる。

救いと、罪の赦しと、永遠のいのちのためにイエスに信頼を置く、という意味です。イエスに信頼を置くことです。自分の正義に信頼を置くことではありません。裁判官の前に立ってこうではありません。

「ええ、私は良い人間です。誰も殺していないしね。」

「いいえ、なおも君は罪びとです。死刑を宣告します。死刑確定です。」「でも、私は善行をしましたよ。」「だめです。死刑です。じゃあ、では、あちらにいる人、100%神で100%人であるその名はイエス。あなたは彼を信じますか? あなたの死を受ける彼に信頼を置きますか?」「はい!感謝します。」ありがとうございます。それが心で信じるという意味です。

ローマ人への手紙10章9節、

「あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」

最後に 「C」 です。C:主の御名を Call/呼び求める。あなたの口で Confess/告白する。

ローマ人への手紙10章9節、

「あなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」

このつながりを見逃さないでください。心に満ちていることを口が話すのです。(マタイ 12:34)

ですから、神がイエスを死者の中からよみがえらせたと、私が心の中で信じるなら、それが私の口から出るのです。心に満ちていることを口が話すからです。(マタイ 12:34)

最後に、ローマ人への手紙10章13節、

『主の御名を呼び求める者はみな救われる。』

それほどシンプルです。子供にでもわかるシンプルさ。今日の、”しかし、神は”の証を読む前に、私はあなたに切に願います。あなたが、主の御名を呼び求め、心の中で信じ、主の御前で罪を認め、主に信頼を置いたことがないのなら、他にどう言えばよいかわかりませんが、言います。それは、永遠のいのちという人生で最も重要な決断です。 あなたは遅れをとりたくないはずです。何が起きているか分かりますね? あの赤い雌牛。来週、写真を持って来ましょうか? もう、丸焼きにされようとしています。(灰がいるから)ごめんなさい。雑ですね。でも、、、もう準備ができているのです。チェック・チェック・チェック・チェック(レ点・レ点・レ点・レ点)次のチェック項目は何かご存知ですか? 神のラッパが鳴って、まず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが引き上げられ、携挙され主と共にいることになります。(I テサロニケ 4:16-17)

それは、もうあらゆる瞬間/any minuteに起こり得ます。目前/imminent に迫っています。もう私を止めれませんよ。もうあらゆる瞬間/any minute目前/imminent  

OK。今日の、”しかし、神は”の証は、エリザベス・アンダーソンさんからです。

「こんにちは、JD牧師、テキサス州ヒューストン郊外から書いています。3年ほど前から、あなたの聖書預言・アップデートを聞いていて、真理を宣言するあなたの爽やかで大胆不敵な姿勢を大いに楽しんでいます。先週の来たる日食についてのあなたの聖書預言・アップデートが大好きです。日食に関連した、”しかし、神は”の証を楽しんでもらえるかもしれないと思い、メールを書いています。夫と私は2017年の皆既日食のためにナッシュビルを訪れました。息を飲むような光景で、一生忘れることはないでしょう。夫も私も、おっしゃるとおり鳥肌ものでした。・・・聞いてください。本土の誰かが鳥肌が立つ、ではなく、鳥肌ものだと言ったら、私の話を長く聞きすぎたのです。本当に申し訳ない。・・・月が皆既日食の太陽を覆ったとき、

夫と私は二人とも鳥肌もので、私たち夫婦は喜びのあまり、思わず声を上げてしまいました。(この人たち好きです。)周りの誰もが叫び、歓声をあげました。(その人々も好きです。)忘れられない光景でした。私たちの創造主が太陽を月や地球から正に精密な距離に配置したという事実。このような場所を目に見えるようにするとは、ただただ驚くばかりです。完璧の極みです。昨年2023年10月14日にテキサスで金環日食が見られると知ったとき、私たちの結婚記念日なので、私は夫とコーパス・クリスティまで見に行く計画を立てました。あの日食の重要性は、いくら強調してもしすぎることはありません。アメリカ大陸で金環日食が最後に横切ったのは、コーパス・クリスティでした。キリストの体という意味です。あの日、キリストの体=コーパス・クリスティにいて、見上げて(私たちの主を見張り待ち望んで)いた人は誰でも、太陽が見事な金環日食を見せるのを見ることができました。言い換えますと、キリストの来臨を待ち望み、見上げていたキリストの体のメンバーは、火の輪を目撃することができたのです。御子(イエス)は、見張り、待っている花嫁に金の指輪を贈ったのです。・・・因みに、先週は時間がなくて、他にも色々説明したいことがあったのですが、あの日食の最中のこの結婚指輪。また、今度の日食の後には悪魔の彗星も現れます。それから、星座、星、 星座の形はクジラで知られています。ヨナ・ニネベ。(大魚に飲まれ、ニネベで大魚の口から吐き出た)お~、先週話せばよかったね。この黄金の指輪。 写真を見たことがあります。 本当に驚愕します。

・・・イエスは明らかにもうすぐ戻ってくることを示し、花嫁との約束を思い出させるために豪華な指輪を贈ったのです。見上げていた者だけがそれを見ることができ、壮大な励ましを受けることができました。2度の驚異的な日食を経験した後、今年4月8日に、テキサスで見られる皆既日食を見逃すわけにはいきません。 私は計画を立て始め、宿泊先を予約しました。(これ聞いてください。)2年前から予約で満杯です。私は、皆既日食の経路内にある宿泊施設は完全に完売しているだろうと思っていました。だから何としても、日食の中心線に近い場所に泊まりたかったのです。夫と私は子供たちを連れて、この神の栄光の壮大な姿を目撃することをとても楽しみにしていました。旅行は2年前に予約し、支払いも済ませ、行く準備は万端でした。どうなるか分かりますね。先週のなんと私の誕生日、宿泊先支配人からメールを受け取ったときの私のショックは想像に難くないでしょう。

「どうも、申し訳ない。キャビンがダブルブッキングでした。あなたの予約をキャンセルいたします。」・・・彼女は書いておられませんけど、訳すと、「誰かがさらに支払っているからです。」・・・日食まであと2週間。新しい宿泊先を見つけるのは不可能だと知って、私はすっかり胃が痛くなりました。少なくとも1年前から、皆既日食の経路にある場所は予約でいっぱいでした。私の即座の反応は叫ぶことでした。

「イエスよ、道を開いてください。宿泊場所を探すのを手伝ってください。そうすれば、私たち家族は、この奇跡的な天のしるしを楽しめるのです。」私たちが旅行に行けるようになるには、神のご介入が必要だとわかっていました。そして何とイエスは答えてくださいました。イエスの助けで、テキサスのヒルカントリー地方に日食の週末に利用できる貴重なキャビンを見つけることができました。驚くなかれ、このキャビンレンタルは、当初の予約の2倍。当初の予約が450ドルだったのに対し、今度は週末で950ドル。・・・なんのことはない、ハワイに来てごらん。ー(笑)ー 失礼。私、いつも胸がおどるんです。でしょ? 本土の人がこう言う。「この不動産価格、信じられる?」そうですか? いやいや、脱線しました。これはとても素敵です。 ごめんなさい。脱線させるつもりはありませんでしたが、・・・ただ、とても感謝しています。イエスは私たちが日食を見ることができる場所を探してくださいました。すぐに予約しました。なんと新しい宿泊先を予約した2日後、 こんな書面を受け取りました。

「貴殿には、980ドルの未請求財産があられます。ご請求を完了し、お受け取りいただくには、当社までご連絡ください。」このような手紙を受け取ったのは初めてです。今回の日食旅行の宿泊費全額を賄うためのお金が、文字通り、空から私たちの郵便受けに降ってきたのです。イエス様、ありがとうございます! なんて素晴らしい祝福でしょうか。(さらに良くなりますよ。)主は滞在場所とその費用を提供くださいました。今、私の子供たちは、主のご栄光の荘厳な姿を目撃することができるのです。神は大変良いお方です。

お、もう一つ。再スケジュールした旅行のために調べたり計画を立てたりしているうちに、テキサス州のカーヴィルという小さな町が、皆既日食帯の中心線のほぼ真下だと発見しました。カーヴィルには美しい庭園があります。(言いますよ。)『The Coming King Sculpture Prayer Gardens/来たる王の彫刻と祈りの庭園』です。これがその写真です。鳥肌になる準備をしてください。・・・(彼女は鳥肌を2度仰っています。)これが日食の経路の真下です。彼女はこう仰います。・・・私たちが生きている終わりの時の驚くべき天のしるしを目撃するには、ここが最適な場所です。違う? これからも素晴らしい仕事を続けてください。あらゆる逆境に直面する中、大胆に真実を語るにはとてつもない勇気が必要です。あなたは、世界中の多くの人々から愛されています。 (分かっています。)あなたとカルバリー・カネオヘの皆さんに祝福がありますように。エリザベス・アンダーソンより。」

なんて素敵なのでしょう。カポノ、上がってきてください。皆さん、ご起立ください。祈りで締めくくり、それからカポノが賛美で締めくくります。

天のお父様、かなり多くの情報を共有したことは改めて分かっていますが、聖霊がご介入されなければ、適応なしで、ただの情報として終わってしまいます。私たちは、祭司が赤い雌牛の灰をかけるように、このことを人生に適応する必要があります。主よ、私たちはただの知識だけが欲しいのではありません。それなら単なる情報です。私たちは上からの知恵が欲しいのです。それが知恵への適応です。そうすれば 聖霊の力によって、また聖霊の力において、このプロセスを開始し、これを私たちの人生に適応することができるのです。私たちがどれほど近いかを知りつつ、このことを私たちの生活に適応することで、私たちの生活がどう変わるでしょうか。それによって、この世のものに対する見方がどれだけ変わるでしょうか。すでに私たちの目前であることを知りながら。あのラッパが鳴って、あなたが戻られることを。主イエスよ、ありがとうございます。早く来てください。マラナタ。イエスの御名によって。アーメン。