7月に金沢で阿部敏郎さんご夫妻から
フルフィルメント瞑想を伝授していただいたメンバーで
毎月第1日曜日に瞑想会を行っています。

今日は2012年最初の瞑想会だったんだけど
私は風邪のため欠席。
と言いつつ、休日出勤してきました

            頑張らないんじゃなかったんかい!

フルフィルメント瞑想は4段階あって
私たちが受けたのは最初のハートマントラですが
この瞑想法に出会って、ずい分と楽になりました。

透視&ヒーリングのスクールに通っていた頃にも
瞑想法は教わっていて
それも毎日朝晩とやっていたのですが
それとはまた全然違う瞑想です。

なんていうか…深いのに簡単(笑)。

そして、グループ瞑想っていうのは
すごーく気持ちいいです。

相乗効果みたいなのがあって
ぐーーーーーーーーーーんって入るんです。

次は3月に次の段階を受けてきます。
今から楽しみです

いよいよ、冬が近づいてきた今日この頃
12月のスケジュール発表がまだできないでいる
hugsytleです。こんばんは


つい、先日のことですが
火曜日の朝、このブログに「感謝」について
書こうと思っていました。

ですが、なぜかちょっと進んでは止まって
全部消して書き直して…の繰り返しで
なんだか文章がまとまらなくってやめました。

そして、昨日、阿部敏郎さんの講演会で
私が書きたかったことを
阿部さんがお話してくださいましたので
思い出しながら書いてみようと思います。

* * * * * *

感謝ってね
喜びが、心の底からわき上がってくる
わき起こってくる感じ。

だからね、「感謝しなさい」とか
「感謝しようと心がける」とかって
できないことなんだよね。

そもそも、感謝って、
状態のことをさしているから
行動ではなく、感情でもないんだよ。

* * * * * *

と、阿部さんはおっしゃっていました。

まさに、それ、なんですよね。
すんごい附に落ちました。
みなさんはどうですか?

私にはこの「感謝しなさい」という言葉に
ずっとひっかかっていた、こういう理由がありました。

高校生のころ、いわゆる進学クラスにいながら
トランポリン部に所属していました。

1年生が終わる頃、
他のクラスメイトのみんなのように
部活以外のこと(勉強も含めて)を
もっと楽しみたくなったんですよね。

高校生活はあと2年間しかない!って。
で、同じクラスで同じ部活の親友と二人で
もっと高校生活をエンジョイしようよ!と
決めて、二人で退部届を出したら
先輩方からいわゆる「呼び出し」をくらいまして…。

先輩だけならともかく、
当時の顧問、それから他のクラスの同級生まで
そろった中で、何で辞めるかと
問い詰められたんですね。

親友と私の二人だけが進学クラスだったので、
本当に勉強についていけないっていう理由も
あったのですが彼女たちに私たちのクラスの
課題の量の半端なさが理解できるはずもなく、
また、本音では
もうちょっと高校生らしく遊びたいという
気持ちもありました。

そういうことをつらつらと答えていると
「先輩たちに感謝しなよ」と、
リーダー格の同級生に言われてしまいました。

「感謝しなよ」と言われても…。
ありがとうとはいつも思ってるけど…。
しなよって言われてもできないよ!と
なんだか嫌な気持ちになってしまいました。

それから15年以上経っているのに
いまだに「感謝しなきゃね」みたいな言葉を聞くと
なんだか、気持ち悪いというか
うさんくさい気分になってしまっていて
あと、友人の中にはメールの最後に「感謝!」って
一言付けてくる方もいて、
なんだかいいことやってるみたいな感じがして(笑)
自分も一時期まねしてみたこともあるけど
やっぱりなんか違和感があってやめたんだけど
なんでかなー?って思ってたところに
ハイヤーセルフからのメッセージがありまして
附に落ちたんですよね。

でも言葉にするのがなかなか難しかったんです。
誤解を招くのは嫌だったから。

阿部さんもおっしゃっていたんだけど
感謝しないより、感謝した方がずっといいし
感謝しようって思ってたら、物事のネガティブな側面より
ポジティブな側面を意識することになり
それが徐々にクセとなって、
ネガティブな側面にとらわれないようになってくる
という反応が起こってくるから
それはそれでいいんだろうねってこと。

ただ、感謝すべきではなくて
本当に、心から喜ばしい、幸せなことが起こると
心の底から喜びがわき起こって
喜ばずにはいられない、幸福感に満たされる。
その状況を感謝と呼んでいる。
ただそれだけのこと。

なんですよね。

うん、なんだかスッキリしました。

私がこのメッセージをキャッチしたのが
まさに、弟に誕生日おめでとうメールを
送ろうとしていた瞬間でした。

彼が、生まれてきて、今ここに存在することに
20年以上も経つのに、嬉しくて嬉しくて
ありがたくって、涙と喜びが同時に溢れてきたことが
きっかけだったのです。

弟と私は、ずいぶんと年が離れているので
私にとっては、スペシャルな存在すぎるのです。
生まれて来る前から、ずっと愛している存在なのです。

ふふ。恋人みたいですよね

でも、そういうのと違って
親子とも違って
ただただ、LOVEなのです。

そんな弟は、久しぶりに
あと数時間で帰ってくるようです
先日、教わってきた「天使の祝福」カードを使って
毎日のように誰かをつかまえて練習をしています。

やればやるほど、
うわーすごーーーーーーーーーーーーい!
これの次に何でこれが出るわけ?
といった組み合わせの
奇跡としか思えない順番でのカードの展開に
潜在意識とかインスピレーションの
見えない力を感じています。

認めざるを得ないって感じです。
↑疑ってんのか?って感じですよね(笑) 
            疑ってるんですけどね…


話は脱線しますが、疑ってしまう私について
ちょっと説明します。

私は、生まれつき素直だったので(笑)
自分が見えたものを正直に口に出していて
気味悪がられたり、叱られたり   意味わかんないし
という子ども時代を送っています。

親からしたら、素直じゃない
強情っぱりな娘だったようで
親が言ったことに
「YES」を言うことができませんでした。

   何度「はい」と言いなさいと強要されたことか…

↑だってね、言われたことに納得がいかなかったり
そう思わなかったら、了承できないでしょ?
だから自分では、すんごい素直というか
正直者だと思っていました。
というか、今も思ってますけど(笑)。

「はい」ということは従順なだけであって
素直というのはまた違うじゃん!みたいな…ね。

まぁ、そうやって私の言うことは「間違っている」と
最初から決めつけられ
「正しい」親の言うことに従えといった教育を
受けてきたんですよね。

あの時代、普通っちゃ普通ですが
敏感で感じやすい、超デリケートな私には
毎日が悲しみ体験の連続でした。

  決してそうは見えない日焼けした活発な女の子でしたけど

でね、言うことを認めてもらえないから
体の周りのもあもあとか  
オーラのことね
頭の上や後ろの文字とか  
透視能力のことね
私の頭の中の言葉とか   
ハイアーセルフの声とかね
そういうのが
自分の妄想なんだという風に
思いこんでしまうようになったのです。
     
ゴースト5でメリンダがエイデンにしたように…

それが根強いパターンとして身について
身の回りに起こったスピリチュアルな体験を
疑ってしまうことも
いまだにあります。
      
親の言葉って魔法のように強力で強烈です

だから、目に見えるカードで
目に見えないものを認めざるを得ない状況というのは
私にとって、必要な宿題のようなもの。

すぐに、強力な魔法で  
繰り返し言われた言葉は魔法の呪文
元の世界に戻されそうになるので  
マトリックスへ
それを踏みとどめるにも大切なワークです。

てなわけで、カードセッションを
メニューに加えようと思います。

とりあえず、あと20人くらい
練習させていただいてから始めます。

今なら練習中につき
無料でカードセッション行っています。

9月10月休みのはずだったけど…。
ご連絡いただければ、カフェなどで行います☆