【川島限界説について】 | 名古屋人妻援護会

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~人妻とボクと、時々、サッカー~

川島永嗣は不屈の男だ

決して妥協せず、ゴールを護る為に生きる

知性を鍛え上げた筋肉に隠したかのように

メディアのために気の効いた言葉など言わない

代表から外れたときも所属クラブが無い時期さえ

弱音など吐かなかった心身共にタフな選手だと思う

孤独で最も精神的強さが要求される

キーパーをするために生まれてきたような男だ

コロンビア戦の失点の際のポジショニング

 

セネガル戦のマネの先制点を招いたパンチング

 

確かに悪かった。致命的な判断ミスだった。

動きも全盛期と比較すれば良くは無かった

でも、コロンビアに一点差を守りきり勝ち

 

セネガルと貴重な勝ち点1を分け合えた

 

負けはしたものの、

 

右手一本でスーパーセーブを見せたポーランド戦

 

結果的に日本を救う超ファインプレーとなった

 


中村航輔か東口順昭だったなら

あのフリーキックは防げたかもしれない

と思っている人はきっといるだろう

でもゴールマウスに立ったのは川島だった

結果的に日本人のGKで最もW杯で勝利したのは川島だ

これが唯一無二の答えだと思う

ワールドカップで何もできなかった城彰二が

今更ながら川島不要論を叫んでいるが

実にナンセンス極まりない、クソみたいな意見で

プロのフットボーラーだったとは思えない言葉である

ここ28年間、W杯で優勝した国で

 1990年 イルクナー(西ドイツ)
 1994年 タファレル(ブラジル)

1998年 バルテズ(フランス)
2002年 マルコス(ブラジル)
2006年 ブッフォン(イタリア)
    2010年 カシージャス(スペイン)

2014年 ノイアー(ドイツ)

大会中にGKのレギュラーが変わった事はない

「勝っているチームは変えない」というジンクス

GKを大会中に替えるという事は

深刻な問題や怪我があった時だけだと思う

ここ20年間で、日本代表のすべてのカテゴリーで

国際大会の期間中

第1GKから第2GKに変わったのはたったの2回

1997年ワールドユースで小針清允から南雄太、

2016年リオ五輪で櫛引政敏から中村に替わっただけである

A代表の大会に至っては、ただの一度もない

1992アジアカップで松永成立が退場したときは

第2GKの前川和也が決勝は出場したが

大会後のレギュラーは変わらず松永

2011アジアカップで川島が退場したときは

出場停止の期間は西川が出場して

サスペンション明けは川島が守護神に戻った

批判するよりも川島を信じて応援したい

アジア最終予選、アウェーのUAE戦

負ければ4位転落もありえた決戦で

日本のゴールを死守した姿が忘れられない

好きなGKを選べと言われたら西川周作だけど

今大会で最後になるであろう川島を応援します