簡潔な、しかし私にとっては、十分なメールだった。
「お帰りなさい」
簡潔にメールを返すと、携帯をパタンと閉じる。それだけで、彼女にとっても十分
明日は久々に店を休んで、彼女の店へ行こう。そう考えるだけで、少し気持ちが浮
彼女との付き合いが何年になるか、もう覚えていない。彼女が結婚する前から、私
強いて言葉にするなら、「つかず離れず、のんびりとした関係が続いて、いつの間
ビルの谷間を縫うように、通り慣れた路地を抜ける。目的のBAR「Marine Blue
タバコを1本、ゆっくり時間をかけて吸ってから、店のドアを開ける。
「いらっしゃーい。時間どおりねっ」
数人入ればすぐいっぱいになる、小さなカウンターだけの店。その奥で、セミロン
「まりんさん……、別に約束してたわけでもないでしょう」
「でもヒロさんのことだから、あのメール送ったら、絶対開店してすぐに来ると思っ
「まあね。どうせ、この店は開店してもヒマを持て余すだけでしょうし」
「まーた憎まれ口を……。いつもの?」
「ええ、いつもの」
赤い封蝋を施したバーボンをバックバーから取り出し、ロックアイスを入れたオー
「ふふ……。ヒロさんは、この店で何本のメーカーズ・マークを飲んできたんでしょ
私が考えていたのと全く同じことをつぶやきながら、グラスを差し出すまりん。
「さあね。そんなに昔のことは忘れましたよ」
そう答え、私はタバコに火を付けた。
彼女は自分用に、ジン抜きのジントニックを作り、私の目の前に差し出した。
彼女は全く酒が飲めない。そんな彼女がどうしてBARを開いているのか、私には理
「じゃ、乾杯ねっ」
「で、今回はどこの劇場へ遠征してきたんですか?」
「フフフ、よくぞ聞いてくれました。まずはムラで『太王四神記』、それから梅芸で
彼女は宝塚歌劇団、特に花組主演男優として活躍した、「おさちゃん」こと春野寿
ちなみにムラとは兵庫県の宝塚劇場、梅芸は梅田芸術劇場、東宝は東京の東京宝塚
「どれも良かったとは思うけど、その中で、あえて一番を挙げるとすれば?」
「やっぱり『エリザベート』だね! 楽曲が桁外れに素敵だし、いつも見られるわけ
宝塚歌劇の魅力に耳を傾けながら、私はゆっくり、滑らかなバーボンを楽しんだ。
気がつけば、時刻は午後11時を過ぎていた。
「おっと、そろそろ日付が変わりますな。帰るとしましょう」
「ということは、最後の一杯ね」
「ええ、いつものでよろしく」
「はぁい」
まりんは踊るような動きでオレンジとレモン、パイナップルのジュースを用意し、
いつも自分で作っている飲み物を、人に作ってもらうのは楽しいものだ。軽く目を
カクテル「シンデレラ」。
パイナップルの華やかさ、オレンジの甘さ、レモンの酸味がバランス良く合わさっ
「じゃ、シンデレラは日付が変わる前に帰りますね。おやすみなさい」
「はい、おやすみ。また気が向いたら遊びに来てね」
「……また気が向いたら、店開けてくださいよ」
「はぁい。ありがとうね」
店を出る前に後ろを振り返る。カウンターの奥では、まりんがシンデレラのグラス
【シンデレラ】
オレンジジュース 1/3
レモンジュース 1/3
パイナップルジュース 1/3
よくシェークしてカクテル・グラスに注ぎ、マラスキーノ・チェリー(赤)を飾りま