春風ヒロの短編小説劇場 -10ページ目

春風ヒロの短編小説劇場

春風ヒロが執筆した短編小説を掲載しています。

 眼下に広がる街並みも、その上に広がる空も、すべてが夕陽色に染まっている。その遥か彼方を、太陽がゆっくりと沈んでいた。
 世界中が深紅に染め上げられた。そんな錯覚を起こしそうなほど、鮮やかな夕焼けだった。
「今日は遊んだね~……」
 展望台のベンチに腰掛け、足をぶらぶらさせながら、リョウコはしみじみと言った
「でもさ、まさかカズピーがあたしより先に免許取るなんてね~」
 カズピーことカズヤは、夕陽を眺めながら、リョウコの隣に、少し離れて座っている。
「でも、いつでも運転できるというわけじゃないんですよ。所詮、休みの日に親の車を借りて運転するだけで精一杯なんですから」
 縁なしの眼鏡を外し、丁寧にレンズを拭いながら答える。照れ隠しをごまかすための、いつもの仕草。それを見つめながら、リョウコは少し唇を尖らせる。
「でもさ~……」
 眼鏡を掛け直し、正面を向くカズヤ。夕陽がレンズに反射し、表情を隠した。リョウコはその横顔を眺めていたが、やがて顔を正面に戻した。
 しばし、流れる沈黙。不意に、リョウコは言った。
「カズピー、今日さ……」
「はい?」
「聞こうと思ってたんだけど、今日のドライブって、その……免許取って初めてのドライブだよね?」
「?」
「その……前から決めてたの? 今日のあたしとのデートのこと」
 カズヤはゆっくりとリョウコに向き直った。照れくささと真剣さの入り交じった、微妙な表情で言う。
「当たり前じゃないですか。初めて助手席に乗せるのは、リョウコさんと決めてましたよ。それから、ここに来ることも」
「……ふ~ん。どうして?」。重ねて問い掛けるリョウコの口調に、いつもの茶化すような雰囲気はない。
「この街で一番、夕陽がきれいに見える場所ですから」
「……そっかそっか」。うんうんと頷く。そして顔を伏せると、リョウコはそっと呟いた。
「……ありがとう。誘ってくれて、嬉しかったよ」
「え? 何か言いました?」
 カズヤが聞き返す。リョウコの顔を斜め下からえぐり上げるような角度で覗き込みながら。間近に迫った顔を、リョウコは素早く払いのけていた。
「バカ。女の子の顔覗きむなんて、サイテー! ホンット、カズピーってそーゆーとこにデリカシーないんだから!」
 くるっと身体を回し、カズヤに背中を向ける。ずれた眼鏡を掛け直し、カズヤは戸惑いながらリョウコの背中に頭を下げた。
「ゴメンなさい。リョウコさん、悪かったです」
「……」。無言の背中は、激怒の象徴だ。
「……その、一番最初に、二人で一緒に来たかった場所なんです。ここは」
「……で?」。声にはまだ、怒りが含まれている。
「リョウコさんだから、誘ったんです。大事な人と……、好きな人と一緒に来たかったんですよ」
「……あのさ」
 リョウコが肩越しに振り返った。しみじみと呆れきった表情で。
「カズピー。いつもアタシに言ってること、そのまま返していい?」
「はい?」
「よくそんな恥ずかしいこと、真顔で言えるよね……」
「いや、まあ、その……」。言われた瞬間、カズヤの顔が真っ赤になる。「夕陽に照らされてるから」などという言い訳を、一蹴する赤さだ。
「でもさ」。リョウコは身体ごとカズヤに向き直った。
「初めて、ちゃんと『好き』って言ってくれたよね」
「あ、その、まあ、だから……」
 カズヤはまだ、しどろもどろのままだ。リョウコは思わず吹き出すと、ベンチの上で身体を滑らせ、カズヤのすぐ隣に座り直した。
「カズピー。もう一回、ちゃんと言って」
 ぴったりと寄り添い、カズヤの手に自分の手を重ねる。
「も、もういいじゃないですか……。そんな、何度も言うもんじゃないですって……
「ダメ! リョウコさんの命令です! もう1回、ちゃんと言いなさい」
 息がかかりそうなほどに顔を近づけ、真正面から見つめあう。しばらくカズヤは口元を震わせていた。1度、大きく深呼吸する。
「好きだよ、リョウコ」。まっすぐ、目を見つめて言う。
「……うん」
 リョウコは頷くと、カズヤの背中に軽く腕を回した。胸に額を乗せる。カズヤはリョウコの細い肩に、おずおずと腕を回す。そして、ギュッと力を込めた。
 しばしの抱擁に、身を委ねる。リョウコはそのまま顔だけを上げると、そっと目を閉じ、わずかに唇を突き出した。そこに、ゆっくりとカズヤは唇を重ねた。
 初めてのキス。
 リョウコの腕に力がこもる。抱きしめあう二人を、最後の夕陽が深紅に染め上げた
 どれだけの時間が流れただろう。太陽が街の彼方へと完全に沈んだ頃、ようやく二人は唇を離した。
 それからもしばらく、二人は抱き合ったままだった。長いキスの余韻に浸るように。それを振り切ったのは、リョウコだった。
「よし! 帰るか!」
 体を離すと、勢いをつけて立ち上がる。そして、後を追うように立ち上がったカズヤを振り返った。
「そーいえば、初めてちゃんと『リョウコ』って呼んでくれたよね」
 からかうように、少し意地の悪い口調で言う。
「え、あ、その……」
 リョウコはクス、と笑うと、しどろもどろになりかけるカズヤの頬に、素早くキスした。
「いいよ、そのままで。ついでに、もう敬語じゃなくていいでしょ」
「……分かった、リョウコ」
 黄昏の薄暗がりの中でも、カズヤの顔が紅潮しているのがはっきりと分かった。その腕に、リョウコは自分の腕を絡ませる。
「さ、帰ろ」
 カズヤの腕を引っ張るようにして歩きだす。ふと思いついて、リョウコはカズヤの耳元に口を近づけた。
「どうせだったらさ、このままどっかで泊まって行っちゃおっか」
 途端にカズヤは足をもつれさせ、派手に地面に転ぶ。
「な、な、な……」
 驚きのあまり、口をパクパクさせる。息をすることすら、忘れたようだ。その表情はリョウコにとって、あまりにもおかしかった。
「あっははははははは、冗談よ~。まさか、そんな、本気にしないでよ~。もう……
 腹を抱え、大爆笑する。さすがにカズヤも、憮然とした顔になった。
「置いて帰るよ、もう!」
 一人で足早に歩き出す。リョウコは慌ててその後を追いかけた。
「ゴメンって。からかってみたくなっただけだから。ほら、腕組んで一緒に帰るの!
 やや強引に腕を取る。
「はいはい」
 カズヤは笑いながら腕を絡ませ、空を見上げた。
 空は、赤紫から濃紺へと色合いを変えつつある。そこには、既にいくつかの星が瞬き始めていた。


前作熱帯夜 の続編です。お楽しみいただけたら幸いです。

 とどろく雷鳴と、暴風に乗って窓を叩く雨粒の音。無情な暴風雨が荒れ狂っていることは、数時間も前から分かりきったことだった。
 それでも、彼女はカーテンを開け、外の様子を確認する。
「お祭り、中止だってね」
「ま、無理ないですね」
 関東地方を直撃した台風9号は、勢力を保ったまま、北上を続けている。
「残念だよね。ほら、せっかく新しい浴衣作ったのにさ」。たもとをつかんでクルリと体を回す。
「リョウコさん、二度と夏祭りをやらないわけじゃないんですから、もう諦めましょうよ」。読みかけの本を閉じると、男は縁なし眼鏡を掛けた顔を、窓際に向けた。視線の先には、真新しい紺色の浴衣に身を包んだ女性がいる。
「なんでそういうロマンのないことを言うかな~」。リョウコは化粧した顔を少し怒りで紅潮させて振り返る。
「夏祭りは来年もあるかも知れないけど、この新しい浴衣を着て二人で行ける夏祭りは今年しかないでしょ」
「そういうの、自分で言ってて恥ずかしくないですか?」
「カズピー、いつからあたしにそんな口がきけるようになった~? ん?」
「そのカズピーっての、やめてもらえませんか?」。男の本名はカズヤ。だから、小さいころからリョウコは彼を「カズピー」と呼んでいる。
「だったらあんたも、その堅苦しい敬語やめたら?」
「しょうがないじゃないですか、体に染み付いちゃってるんだから。一応、リョウコさんは先輩なんだし」
「学年は一つ違うけど、生まれたのはほとんど同じでしょ」。リョウコは2月、カズヤは同じ年の4月生まれだ。
「だからって……」
「その敬語をやめない限り、あんたはいつまでたってもカズピーよ」
「じゃあ、その『カズピー』って言うのやめてくれ、リョウコ」。精一杯重々しい口調で言う。途端にリョウコは笑い出した。
「似合わない~。カズピーにそういうの、全っっ然似合わない」
 身をよじって笑う姿に、カズヤは大きなため息をついていた。
「せっかくの色気も、台なしですね。馬子にも衣装、と思ったけど」
 途端に笑いが止まり、左頬がつねり上げられる。
「聞こえたわよ~。だれが色気のないヘチャムクレのポンポコリンですって~」
「ほ、ほおわれわうぃっへわいえふ(訳:そ、そこまでは言ってないです)」
「悪かったわね、どうせあたしは色気のないペチャパイの暴力女ですよ~だ」
「わから、ほほわれわ……(だから、そこまでは……)」
 頬をゴムのように引き伸ばされ、目に涙をにじませるカズヤ。その歪んだ表情を、さすがに哀れに思ったか、リョウコはパッと手を放した。パチンと音を立てて戻った頬を、カズヤは左手でゆっくりとさする。
「あー、痛ててて……。ヒドイことするよな……」
「え? そんなに痛かった? ゴメン、ちょっと見せて?」
 息がかかりそうなほど顔を近づけられ、カズヤは硬直した。リョウコの浴衣の襟首がわずかにゆるみ、胸の谷間をのぞき込むような姿勢になっている。
「ど~れどれ?」。リョウコの手が、そっとカズヤの左手をどかす。カズヤの額を一筋、汗が流れ落ちた。


  ちゅ。


 ホホニフレル、ヤハラカクテアタタカナモノ。


「ほら、もう痛くない」。そう言って、リョウコの体が離れていく。
 予想外の事態に、カズヤは呆気に取られて絶句する。リョウコはトントンッとステップを踏んで窓際に戻ると、外の様子に見入るふりをした。
「ね、そういえばおじさんとおばさんは?」。唐突に振り返り、尋ねる。
「二人で北海道に旅行中です。明後日の夕方まで帰ってきませんよ」
「そっか。今、この家、二人っきりなんだ。じゃあさ、ご飯とかどうすんの?」
「簡単な料理ならできますから」
「そっか。カズピー、料理上手かったもんね」。ニヤリとリョウコが笑う。彼女が次に何を言うのか、カズヤは直感的に読み取っていた。
「カズピー。何かおなか空かな――」
「僕はおなか一杯です」。全てを言い終える前に即答する。
「そんな冷たいこと言わないで、何か夜食~♪」。ニッコリ。
「普通、逆じゃないですか? こういうのって」
「だってだって~」。じたばた。
「こんなときだけカワイコぶって……」
「だってだってだって~~~~」。じたばたじたばた。子どものように、駄々をこねる仕草。ため息とともに、カズヤが立ち上がった瞬間だった。
 窓の外が閃光に包まれた。ほぼ同時に、爆音のような雷鳴が鼓膜を打つ。窓ガラスどころか、壁までも震えるほどの大音量だった。
「見た? 今の見た? カズヤ、すぐそばに落ちたよ、カミナリ!」
 驚いて硬直しているカズヤの横で、リョウコは興奮して窓の外を指す。
「……息、止まるかと思った」
 ようやく動きを取り戻したカズヤを、リョウコは冷ややかな目で見つめた。
「カズピー、ひょっとして今のカミナリ怖かった?」
「そうじゃなくて、びっくりしたんです!」
「ふ~ん……」。少し意地の悪い笑いが、リョウコの顔を彩る。
「ほら、怖かったんでしょ。あたしの胸に飛び込んでおいで。温かく抱き締めてあげるから」。おどけた調子で両腕を広げる。
「あのね、一応言っておきますけど、僕も健康な17歳の男子ですからね。そんなことしてると、そのうち取り返しのつかないことになりますよ」。額の汗を拭い、顔を背けて言う。その直後に、カズヤは自分の失言を激しく後悔した。
「ふ~ん。取り返しのつかないことって……? カズピー『が』取り返しのつかないことをするの? それとも、カズピー『にとって』取り返しのつかないことになるの?」。リョウコの顔は、今では悪魔のような笑いに彩られている。
「ほらほら~、白状しなさい! イヤラシイこと考えてたでしょ、今」
 ひじで「うりうり」とカズヤの胸を小突く。カズヤは必死で自分の内側から沸き起こる衝動と戦っていたが、やがてグルリと全身を背けた。
「夜食作るの、やめにします」
「あ~、そんなのアリ~! それって卑怯~! 食べ物の恨みは怖いのよ!」
「どうぞ、何とでも言ってください」
「イジワル~、ヒキョーモノ、ドキョーナシ~」
「お客さん、お出口ならそちらですよ」。冷淡に言ってドアを指す。
「……いぢわる。くすん」。泣きまねをして、リョウコがプイとそっぽを向いた瞬間だった。
 再び、窓の外が閃光に包まれた。とどろく雷鳴。同時に「ブツン」と音がして、室内は暗闇に飲み込まれた。
 停電というアクシデントに、今度はカズヤも驚かなかった。しかし、
「きゃあ、こわい~♪」
 左腕にしがみつくリョウコのことは予期していなかった。
「…………」
「カズピー、あたしこわい~♪」
「…………」
「ねえ、何とか言ったら?」
「……あまりのわざとらしさに呆れて、もう言葉もありませんよ」
「あ、そーいうこと言う? 人がせっかく『落雷と突然の停電におびえる可愛い女の子』役をしてあげたのに」
「……そうですか」
「何よ~」
「別に。で、いつまでそうしてるつもりですか」
「……いーじゃない。いつまでだって。ほら」。グイと腕を引くと、リョウコはカズヤを無理やり自分の隣に座らせた。
「せっかくなんだから、ね。ちょっとだけこうしてようよ」。ギュッとカズヤの腕にしがみつく。
「はいはい」
 しばらく、無言の時が流れる。
 心なしか、窓の外で吹き荒れる風の勢いが弱まったころ。電気がつき、室内が明るさを取り戻した。
「さて、と」
 カズヤは明るくなった室内を見回すと、リョウコから自分の腕を解放して立ち上がった。
「あ……」
 取り残されたリョウコは、少し寂しげな顔をする。
「あたしを残して、別の女のところに遊びに行くのね! ひどい、ひどいわ」。泣き崩れるふり。カズヤはため息をついた。
「何をわけの分からないこと言ってるんですか。もう十分でしょう、暑苦しいのは」
 ドアノブに手をかけて振り返る。
「ところで夜食ですけど、茶粥でいいですか?」
「うん!」

 部屋を出て、台所に向かいながら、カズヤは呟いていた。
「なんか、うまくノセられたような気がするんだけど……」
(だけど……)の後で、軽く肩をすくめる。
 自分はそんな彼女のことが、だれよりも大好きなのだから。
 トントン、と軽やかな足音を立てて、カズヤは階段を降りていった。


約10年前、某オンライン小説家さんが自分のサイトで「ネットのモノ書き同士で、一つのテーマに沿って文章を書いてみないか」と呼びかけました。そのサイトにリンクしていたオンライン小説家たちがその呼びかけに答え、たくさんの作品が集まりました。
この短編小説は、かつてそのサイトに投稿したモノです。投稿先のサイト自体が数年前に消滅したので再公開したいと思います。なにぶん10年近く昔の作品なので、少々文章も荒っぽいですが、大目に見ていただければ幸いです。

なお、このときのテーマは「音」。わりとマジメな作品が多く投稿されていたので、私としては「読んだ人が気恥ずかしくなって『あ~もう!』って悶えるようなモノを書いてやろう」と思い、この作品が生まれました。ヒロインのリョウコにこれといったモデルはありませんでしたが、こういうノリが良くてちょっとワガママな幼なじみのお姉ちゃんって、ギャルゲのヒロインの定番ですね。書いてて非常に楽しかったのですが、実際にいたら、結構メンドくさそうです(笑)

「夜たまたま空を見たら、月の周りに白く円が描かれていて、それがとても綺麗でした」
 私は真っ白な便箋に、ペンでゆっくりと文字をつづっていきました。
「あなたたちと一緒に月を見た、あの家はもうなくなってしまいました。あなたたちの好きだったベランダも、一緒に遊んだ庭も、いまはもうありません」
 そこまで書いたところで、込み上げてくる涙をこらえるため、私はしばらくペンを置きました。目の前の写真立ての中には、元気だったころのチロとミナが、目をキラキラさせてこちらを見上げています。
 私は大きく深呼吸をして、再び便箋に向かいました。


「あなたたちが虹の橋のたもとへ行って、2年になりますね。いっぱい、元気で遊んでいますか? 寂しい思いをしていませんか? 私は寂しいです。あなたたちに会えなくなって、あなたたちと一緒に遊べなくなって、いまでもとても寂しいです。
 あなたたちと一緒に過ごした家がなくなってしまって、あなたたちも寂しいと思っていないかな?
 思い出はたくさん、たくさん残っているのだけれど、形がなくなってしまうのは、切なくてたまりません」
 そこまで書いたところで、またペンを止めます。このままでは、ちょっと内容が後ろ向きすぎるでしょうか。そんなことをしばらく考えてから、私はまた続きを書きました。

「もちろん、形あるものはいつか消えてしまうものです。あなたたちの姿が見えなくなったからといって、あなたたちと過ごした日々が消えてしまうわけではありませんし、あなたたちの思い出は、生涯消えることのない私の宝物です。
 今夜の月は、とてもきれいです。
 今夜の月を見ていると、なぜかあなたたちのことを思い出します。あの月の近くに、あなたたちがいるからでしょうか。
 月はあの時と変わらず、この町を照らしています。
 変わってしまうものもあれば、変わらないものもあります。
 私の泣き虫は変わらないもののほうでしょうか。でも、いつまでも泣き虫のままでは、あなたたちに心配ばかりさせてしまいますね。
 いつか、虹の橋のたもとであなたたちに再会して、一緒に虹の橋を渡るその時まで、涙は『おあずけ』にしておきます」


 最後に署名を入れ、便箋を折りたたむ。花柄の封筒に入れて、丁寧に封をした。

 それはどこにも出さない、ただ書くだけの手紙。
 だけど、私にとってかけがえのない、大切な宝物。昔と今をつなぐ、絆。
 書くことで、思いを形にできる。だから私は、これからも手紙を書き続けるだろう。


本作は某コミュニティサイト内で投稿されたお題をもとに執筆したものです。

今回のお題は「夜たまたま空を見たら、月の周りに白く円が描かれていて、それがとても綺麗でした」から始まる作品でした。

 快晴だ!
 今日は、久しぶりに家族みんなで遊園地にやってきた。まさか、あんな事が起こるなんて……夢にも思っていなかった。
 夫も子供たちも、乗り物のフリーパスを持って「乗り物全制覇してやる!」と、無邪気にはしゃいでいる。
「お母さんも早く来てよ!」
 小学4年になる長男と、小学2年の二男が、大声で呼んでいる。私と一緒にジェットコースターに乗りたいらしい。気持ちは分かるし、私もジェットコースターは嫌いではない。しかし、独身時代にいまの夫とジェットコースターに乗ってから、もう15年以上過ぎているのだ。この年になって、そんな乱暴に乗れるはずがない。乗れるはずが――


「――で、お母さんはなぜ、ここに並んでいるのかな? いや、『並ばされている』のかな?」
 私は、自分の周囲をガッチリと包囲している夫と息子に尋ねた。
「ここ」というのは、ジェットコースターに乗るための列のことだ。それも、ただのジェットコースターではない。この先にあるのは、路線全長、最高部高度、そして高低差において、日本一を誇ると言われている「アイアンドラゴン」なのだ。
 最高点97メートルは、30階建てのビルの高さに相当する。そんな高さから、最大68度の傾斜を時速150キロで駆け下りるのだ。想像するだけでも、気が遠くなりそうだ。
「え? だって、お母さんも乗るでしょ?」
 当たり前じゃないか、むしろ乗らないほうがおかしいじゃないか、と言わんばかりに、二人の息子が首をかしげる。二人とも、私の手をガッチリ握って離さない。
「そうそう。お母さんも一緒に乗らなきゃ、不公平だよね」
 ニコニコと笑う夫。その両手は私の肩をガッチリつかみ、列が前進するたび、グイグイと押して私を進ませる。
「あ、やだ、ちょっと――」
 抵抗してみるものの、両手を引かれ、両肩を押され、逃げることが許されない。無情にも列は進み、とうとう私たちの乗る順番がやって来た。
「シートに深く腰掛けて、ベルトを締めたら、セーフティバーをしっかり下ろしてください」
 係員が説明しながら、セーフティバーがきちんとロックされているか、前から順に確認していく。私もガッチリとシートに固定されてしまった。息子と夫のロックから解除されたと思ったら、今度はシートにロックされるなんて、いったいどこの国の冗談だろう。ああそうか、今日が6月9日、「ロックの日」だからか。って馬鹿! ロックな生きざまを貫きたけりゃ、内田裕也でもエルビス・プレスリーでも連れて来いチクショー!
 ……などと、支離滅裂なことを考えているうちに、私たちを乗せた車両は動き出した。


 カンカンカンカン……。
 金属の歯車がコースターをゆっくりと、しかし着実にコース最高点へ引き上げていく。
 高さ97メートルともなると、上るだけでも時間がかかる。その高さたるや、言葉でどんなに説明しても、伝わるものではない。このコースターの周囲にある高い建造物といえば、高さ75メートルの「宇宙ショット」だが、それでさえ、はるか眼下に、子供のオモチャのように見える。
 車両が最高点に到着する。園内どころか、近くを走る高速道路や、数キロ離れた町までが一望できてしまう。その眺めを楽しむ間もなく、車両は一気にレールを滑り落ちていく。
「あああああああああーっ!!!!」
 喉から無意識のうちに絶叫がほとばしる。
 その感覚は文字通り「落ちる」。コースターに乗ってレールの上を走っているのではなく、体が浮き上がり、実際に約100メートルの高さから落下しているような気分だった。
 コースの最低点まで落ちたと思うなり、たっぷりと加速度をつけたまま2番目の山を駆け上がる。非常識な高さのファーストドロップだけが注目されがちだが、セカンドドロップにも、この乗り物の凶悪さが表れている。何しろ、セカンドドロップでさえ、富士Qハイランドの有名絶叫マシン「Mt.フジ」の最高点とほぼ同じ、77メートルの高さがあるのだ。しかもこっちは、97メートルの高さから落下した際のスピードをたっぷり保ったまま頂点まで引き上げられ、ポンと体が浮き上がったかと思うと、すぐさま落下に転じるのだから、はるかにインパクトが強い。
「ひああああああああーっ!!!!!」
 異次元の世界に引きずり込まれたような落下感を味わった後にやってくるのは、8の字を描くような連続ループ。このループでさえ、ちょっとしたジェットコースターの最高点よりもはるかに高い。
 耳に突き刺さる轟音、風が吹きつけるというより、「空気の壁を突き破る」と表現するのがふさわしいような風圧、無意識に飛び出す絶叫、視界いっぱいに広がる青空、全身を虚空へ放り出そうと働きかける遠心力――。
 どれもこれも、生まれて初めて味わう感覚だった。これはもはや、怖いとか、爽快だとか、そういった単純な感覚ではない。恐怖と快感と絶望と浮遊感と疾走感がない交ぜになって、脳みそも含めた内臓一つひとつがすべて中空へ投げ出され、細胞がバラバラになり、魂が体から飛びだして、自分が自分でなくなってしまいそうな、そんな感覚だった。


 ガタガタと揺れる車両が、プラットフォームに滑り込む。
 乗り込むまで、あれほどはしゃいでいた夫と子供たちが、すっかり放心状態になっている。
「ほら、降りるよ」
 そう言って手を引くが、腰を抜かしてしまったのか、生まれたての小鹿のように足腰をガクガクさせて歩くことしかできないでいる。まったく、なんてふがいない姿だろう。下の息子に至っては、オシッコを漏らしてしまったようだ。
「何やってんの、さっさと歩く! ほかのお客さんに迷惑でしょ!」
 私は夫と子供たちの手を強引に引いて出口へ向かった。そして、通路を出るなり私は左へ――「アイアンドラゴン」の乗り場入口のある方向へ――曲がった。
「さあ、もう一回乗るよ! みんなついて来るよね? そうじゃなきゃ、『不公平』だもんね?」


 この日、私は合計7回、「アイアンドラゴン」に乗った。
 最後の3回は、グロッキーになった夫と子供たちをベンチに放置し、私一人で乗車したのだった。


 後日、この女性の夫は、会社の同僚にこう話した。
「まさか、あんなことが起こるなんて……夢にも思っていなかった……」


※本作のモデルとなったジェットコースターは三重県桑名市にあるナガシマスパーランドの「スチールドラゴン2000」です。営業開始当時、最高部高度、最大落差、最高速度、全長の4項目でギネスブックに登録されました。


本作は某コミュニティサイト内で投稿されたお題をもとに執筆したものです。

今回のお題は「快晴だ! 今日は、久しぶりに家族みんなで遊園地にやってきた。まさか、あんな事が起こるなんて……夢にも思っていなかった」から始まる作品でした。

 十数年ぶりに会ったあの人は、あのころと変わりなく元気だった。
 ただ、できれば、もっと違う状況で再会したかった。私は若干の切なさをかみしめながら、静かにあの人の姿を見つめ続けた。


 1980年代末、冷戦の終結とともに各国は軍備の縮小を進めた。しかし一方で、民族紛争やテロリズムなど、小規模な戦闘は各地で相次いで発生した。戦線の小規模化と広域化は、従来のような正規部隊の大量投入による制圧、拠点維持を困難にした。
 そんな中で台頭してきたのが、PMSCs(Private Military and Security Companies=民間軍事会社)だった。PMSCsは正規部隊では対応しきれない、小規模な戦闘地域における直接戦闘行為をはじめ、要人、車列、施設などの警備、兵站など、さまざまな軍事行動を組織的に請け負う企業体として登場した。
 かつてどの国でも、規模の大小の違いこそあれ、金銭報酬に応じて戦闘行為を請け負う組織――いわゆる傭兵部隊――を抱えていた。PMSCsは軍事行動を一つのサービスとして位置づけ、雇い主である国家に対して組織的に人員を派遣する、いわば「新たな傭兵組織」として成立したものだ。
 軍縮によって仕事を失った職業軍人の受け皿として、PMSCsは徐々に規模を拡大。やがて、2000年代初頭から始まった対テロ戦争の中で、急激に成長した。
 私もまた、軍縮のあおりを受けて退役した一人だった。そんな私に救いの手を差し伸べてくれたのが、PMSCsの一つ。主に兵站や警備、前線部隊の兵器整備など、いわゆる後方支援活動を請け負う企業だった。


 私があの人と出会ったのは、紛争の続いていた中央アジアでのことだった。
 そのとき、私たちに課せられた任務は輸送部隊――といっても、別のPMSCsだったが――の護衛。あの人は、輸送部隊のリーダーだった。
「いよう、こんな別嬪さんがいるなんて、戦場もまだまだ捨てたもんじゃねえな。どうだい、仕事が終わったら一杯付き合わねえか?」
「悪くないわね。無事に終わったら、楽しみにしているわ」
「はっはっは、じゃあ護衛を頼んだぜ!」
 彼は豪快に笑い、輸送車両に乗り込んだ。私は簡易装甲車に乗り込み、車列を先導して走りだした。


 彼とは、その後も何度か、共同任務に着いた。
 比較的安全な後方地域とはいえ、私たちのいるのはまぎれもなく戦場。時には、危険にさらされることもあった。そうした中で、最も大切なのは仲間同士の絆だった。
「傭兵は金次第でいつでも裏切る」と言われているが、どんな傭兵でも、絶対に裏切らないものがある。それが「仲間」だった。仲間を裏切れば、信頼を失う。実際に背信行為をしていなくても、「あいつは信用できない」といった噂が流れるだけで、戦場では致命的だった。誰しも、いつ裏切るか分からないような仲間とは、戦場で共に過ごしたくはないのだから。
 そんな中で、当初、単なる「戦友」にとどまっていた彼との関係は、すぐに「恋人」へと進歩した。いつ、命を落とすかもしれない戦場において、ノンビリと愛を育んでいる余裕などない。愛情というにはドライすぎるが、友情というには色気の多すぎる関係が、しばらく続いた。


 私たちの別れは唐突に訪れた。
 紛争が終わり、私たちは新たな現場――新たな戦場――へ派遣されることになった。
 仕事の切れ目が縁の切れ目。お互い、それが分かっていたから、私も彼も、何も言わなかった。
 その後、私は後方支援の一環として、狙撃任務を請け負うようになった。かつて軍に所属していたとき、しばらく狙撃兵として活動した時期があったことから、そうした任務を任されるようになったのだ。
 一年、また一年。歳月とともに、私は狙撃兵としての実績を積み重ねていった。その実績によって、別のPMSCsからスカウトされ、私は中東を始めとする紛争地帯を渡り歩くことになった。
 そして、十数年が流れた。


「次のターゲットだ」
 上司はそう言って、写真と数枚の書類を差し出した。
「あら、懐かしい」
 写真を手に取った私は、思わずそうつぶやいた。
 中央アジアで出会った、あの人だった。
「この男、正規軍の依頼を受けて輸送業務をやっているのだが、テロリストに兵站物資を横流ししているとの容疑が掛けられている。通常なら軍法会議に掛けて処分するところなのだが、事情があって、正規の手続きを経ずに処分することとなった」
「……分かりました。戦場には『不幸な事故』が付きものですからね」
 淡々と答えたものの、私の内心は複雑だった。誠実に任務に取り組んでいたあの人が、テロリストとつながっているなんて、どうしても信じられなかったのだ。
 しかし、任務は任務。割り切って考えるしかない。私は書類を読みながら、頭の中で必要な装備を列挙していった。


 偽装網をかぶり、SR-25(狙撃銃)を構える。スコープを覗くと、目標となる建物がよく見えた。
 狙撃体勢を決めれば、あとはターゲットが狙撃点に入るまで、ひたすら待つばかりだった。
 待つこと3時間。あの人は来た。一目でテロリストと分かるような男と共に。


 十数年ぶりに会ったあの人は、あのころと変わりなく元気だった。変わってしまったのは、お互いの立場――。
 にこやかな笑顔で男と握手を交わしたあの人は、何やら話しながら、建物の中に入っていった。しばらくして、満足げな顔で建物から出てきたのを見て、私の中の疑惑は確信に変わった。
「さようなら」
 私は静かにトリガーを引いた。
 スコープの向こうで、あの人が血を噴き出してくずおれるのが見えた。


本作は某コミュニティサイトで投稿されたお題をもとに執筆したものです。

今回のお題は「十数年ぶりに会ったあの人は、あのころと変わりなく元気だった」から始まる作品でした。

 私は生まれてこのかた母の顔を知らない。
 母の双子の姉、すなわち私の伯母が、親代わりになって私を育ててくれた。
 子供のころは、伯母のことを実の母親だと思って暮らしていた。ただ、「どうしてうちには、お父さんがいないんだろう?」と不思議に思ったことはあった。
 真実を知らされたのは、中学を卒業するときのことだ。
「実はね……。お母さんは、あなたの本当のお母さんではないのよ」
 あの時の思いつめた伯母の顔は、いまでもハッキリと覚えている。
「でも、私はあなたのことを、本当に自分の娘だと思って育ててきたわ」
 膝の上で、ギュッと握りしめた両手。かすかに震える唇。"母親"が緊張したときにやる、いつものしぐさ。
「私の母親は、お母さんだけだよ。血がつながっているとか、いないとか、関係ないよ」
 伯母の手を握って、私はそう答えた。それは私の本心だった。
 伯母は私が物心ついた時から、女手一つでずっと自分を育ててくれた人だ。正しきをほめ、過ちを叱り、過不足なくしつけを施してくれた、唯一無二の存在だ。血のつながりの有無に、いったいどれほどの意味があるだろう。
 私にとって"母"は世界で一番大切な人。その気持ちに、いまも昔も変わりはなかった。


「世界の誰より、君を大切にしたい」
 そんな言葉とともに、恋人から差し出された小箱。中には、プラチナの指輪が納められていた。
 私は黙ったまま小箱を見つめていたが、
「……ごめんなさい。やっぱりこれは受け取れないわ」
 ふたを閉じ、そっと押し戻した。
「いったい、どうして……?」
 信じられない、という表情で恋人が尋ねる。確かに彼にしてみれば、「あり得ない話」だっただろう。私たちは数年間、恋人として円満な関係を維持してきた。お互い、結婚適齢期に差し掛かったいま、プロポーズは「いつ出てきても、おかしくない話題」だった。むしろ、これまで結婚について話してこなかったことが、不思議なほどだった。
「ごめんなさい。あなたのことは大好きなの。だけど私は、あなたの気持ちを受け止められない。私には……その資格がないの」
「資格? 人を愛することに、資格が必要だっていうのか? 資格がなきゃ、君は結婚できないっていうのか!?」
 激高した恋人は、ここがレストランの一席だということも忘れ、大声を上げる。ほかの客が一斉にこちらを向き、なかには露骨に嫌悪の視線を投げかけてくる人もいた。
「違うのよ。私の中に存在しないのは、『世界の誰より』私を大切に思ってくれるあなたの気持ちを受け止める資格。私には……あなたより、大切な人がいるから」
 私の言葉に、恋人はハッと息をのんで表情をこわばらせた。
「……そういうこと、か。舐められたもんだな、俺も。まさか自分の恋人を寝取られることになるとは、思ってもみなかったな」
「誤解しないで。私が愛する男性は、あなたしかいない。だけど、あなたを『世界の誰より大切』に思うことはできない。私には伯母という、あなたより大切な人がいる。だから、あなたの気持ちに応えられない」
「悪いが、何を言ってるのか、まったく理解できない。これ以上は、平行線をたどることしかできないみたいだな」
 恋人はスッと席を立つと、近くのウェイターにカードを手渡し、「会計を」と手短に告げた。
「俺はもう帰るけど、ゆっくりしていきな。じゃあね」


 テーブルに一人で取り残され、私はぼんやりと食べかけの料理を見つめていた。
 愛は等しくなければならない。
 恋人が私のことを世界で一番大切だと考えているのなら、私も恋人のことを世界で一番大切だと考えなければ、フェアではない。
 伯母への愛と、恋人への愛。どちらもかけがえのない存在だけど、私にとって、より大切なのは伯母だった。
 だから、私には恋人の気持ちに応える資格がない。
 そう思う私は、間違っているのだろうか? 自問を繰り返すが、答えは見つからなかった。
「……あの、この後のメニューは、どうなさいますか?」
 困惑顔のウェイターに声をかけられ、私は我に返った。
「あ、いただきます」
 せっかく恋人が会計を済ませて、「ゆっくりしていきな」とまで言ってくれたのだ。デザートまできちんと食べていかなきゃもったいない。
 それにしても、この店の料理はおいしい。今度、伯母を連れて来てあげよう。


本作は某コミュニティサイトで投稿されたお題をもとに執筆したものです。

今回のお題は「私は生まれてこのかた母の顔を知らない」から始まる作品でした。

「なあ母さん、十回クイズやろうか」
「いったい急にどうしたの?」
「ヒマなんだよ」
「まったく……」
 日曜の昼下がり。唐突に夫が言いだした。


 この春、末の息子が遠方の大学に進み、初めての一人暮らしを始めた。長男と長女は数年前に就職し、とうに家を出ている。
 私たち夫婦は結婚した翌年、長男を授かった。その3年後には長女を、さらに3年後に二男を授かった。その後の約20年間は、二人の時間を楽しむような余裕などなく、ひたすら子育てに追われる日々だった。
 気がつけば髪には白いものが交じり、顔にはシワがいくつも刻まれ、新聞を読むときには老眼鏡が欠かせない。昔はやすやすとできたことが「ドッコイショ」の口癖を伴わないとできなくなっていた。


 それでも、私は「幸せな時間を過ごしてきた」と確信を持っていた。
 上の二人の子供たちは、それぞれ自分の長所を生かした得意分野を見出し、仕事に就いている。二男が遠方の大学に進学したのも、高校時代から興味を持っていた考古学を本格的に学ぶためだ。
 時折憎まれ口を叩くことはあっても、基本的には素直な子供たち。髪が薄くなり、メタボ体型になって、若いころの面影はまったくなくなってしまったものの、ひょうきんで家族思いの夫に囲まれて過ごすことができたのだから。
「じゃあ、『ネッスル』って10回言って」
 結婚以来、ようやく持つことのできた夫婦二人の時間を、夫なりに楽しんでいるのだろう。無下にするのは簡単だ。しかし、自分のボケに対して誰かがツッコミを入れてくれるのを待つ芸人のように、ドヤ顔でこっちを見つめる夫を見ると、私も相手をせずにはいられなくなっているあたり、すっかり「お似合いの夫婦」になってしまったのだろう。
「はいはい。ネッスル、ネッスル、ネッスル――」
「じゃあ、鎖やヒモで首にぶら下げるアクセサリーは?」
「ネックレス」
「ぶぶー。正解はペンダントでしたー。ネックレスは宝石や貴金属をつないだアクセサリーね。うははははは」
「ええー。ちょっと何それ、悔しいー。もう一回! 今度は引っかからないんだから!」
「じゃあ……、そうだなあ、『愛してる』って10回言ってみて」
「分かった。愛してる、愛してる、愛してる――」
「愛してる」と言っている間、夫はニヤニヤしながらこっちを見ている。
 私が言い終わると、
「……俺も愛してるよ」
「……はぁ? え? あ……」
 ニヤニヤしている夫の顔を見て、すぐに一杯喰わされたと気付いた。
 10回クイズにかこつけて、なんて恥ずかしいことを人に言わせるんだろう。
「馬鹿!」
 照れ隠しの罵声を浴びせてリビングを出た。
「あ、おーい、母さーん。ユミさーん。もう、恥ずかしいからって何も出て行かなくてもいいじゃないかー」
 ええいうるさい。明日の弁当は、ご飯の上に桜でんぶで特大ハートを書いて、さらに海苔で「ダイスキ」と書いてやるから覚えておけよチクショー。会社で思う存分、恥ずかしい思いをするがいい!


本作は某コミュニティサイトで投稿されたお題をもとに執筆したものです。

今回のお題は「初めての一人暮らし、ネックレス、お弁当」でした。

「あー……、もうこんな季節なのね……」
 買い物を終え、スーパーを出た途端、ユミは面倒くさそうに言った。
「どうしたの?」
「ほらほら、メガネ見て」
 尋ねる私に、ユミは軽く背伸びして顔を近づけてくる。彼女のかけているメガネが、真っ白に曇っていた。エアコンの利いたスーパーの店内から、じっとりと蒸し暑い外に出て、結露したらしい。
「あーあ……、これから夏が終わるまでの間は、買い物するたびに本気でメガネ嫌いになるわぁ……」
 ユミはバッグから取り出したハンカチで、メガネについた水滴を一生懸命拭っている。牛乳や肉、野菜などのぎっしり詰まった買い物袋を持ったままだから、とても拭きにくそうだ。
「だったらコンタクトにすればいいじゃん」
 私はそう言って笑いながら、ユミの手からズッシリ重たい買い物袋を取り上げる。
「えー、やだよう面倒くさい。それに、目の中に異物を入れるなんて、なんか怖いじゃない」
 メガネを拭き終わり、かけ直したユミが、買い物袋を取り戻そうと手を伸ばしてくる。買い物袋を渡す代わりに、私はその手を握って駐車場を歩きだす。
「ふふふ。星、きれいだね」
 見上げると、見事な星空が広がっていた。
「そうだなー」
「あ、ほら、夏の大三角形。ベガにデネブにアルタイル」
「あれ? 夏の大三角形っていったら、アークトゥルスとデネボラとスピカじゃなかったっけ?」
「やだなー、それは春の大三角形だよー」
「フォーマルハウトとデネブ・カイトスとザウラクは――」
「それは秋っ! って、マニアックじゃない? ザウラクが見える所なんて限られてるし」
「じゃあ、マルカブ、シェアト、アルゲニブ、アルフェラッツ」
「そーれーはペガススの大四辺形っ! 三角形じゃなくなってるし!」
「シェアト、アルフェラッツ、ミラク、アルマクミルファク」
「それは秋の大曲線! マイナーすぎてツッコミづらい!」
「……と言いつつも、律義にツッコんでくれる奥様なのでした」
「天文関係の知識だけは、いまだに覚えてるからねー」
「もうお互い、高校卒業してから10年以上過ぎてるのになあ」
「そうだねー。あのころは雨の降ってない日は、毎晩のように望遠鏡で星見てたよね」
「そのきっかけをくれたのは、ユミだったけどね」
「あの日のトモくんと来たら、初対面のアタシにまでメソメソして愚痴ってたからね」
「その話を蒸し返すのは勘弁してほしいなあ……」
 10年以上前、親の都合で引っ越してきたときのこの町は、コンビニへ出かけるだけでも自転車で小一時間走らなくてはならなかった。しかしいまでは、幹線道路ができて市街地へのアクセスも格段に改善し、その沿線にはスーパーや飲食店なども立ち並ぶようになった。車さえあれば、生活にも仕事にも支障をきたすことはない。
「あのころからすると、この町もずいぶん変わったなあ」
「でも、一番変わったのは、トモくん自身じゃない?」
「……ハハハ、そうかもね」
 私はこの町での生活にすっかり馴染み、仕事の都合で東京へ出かけることがあっても、「人が多すぎて疲れた」と思うようになっていた。かつては「こんな田舎に住めるか!」と思っていたことを思うと、まったく月とすっぽんのような変わりようだろう。
「しかし、ユミは昔から全然変わらんね」
「月の国から届いた不老長寿の霊薬を飲んでるからね」
「……前言撤回。そういうところは変わった。最初のころは、そんな奇天烈なことを言いだす人じゃなくて、もう少し落ち着いたお姉さんキャラだった」
「えー、何ソレー。ちょっと失礼じゃない?」
 キャッキャッと笑いながら車を止めてある場所まで歩く。荷物を積み、二人で車に乗り込んだ。
 家までの帰り道、運転しながら私はしみじみと考えた。こんな風に冗談を言って笑い合える平凡な日常生活こそ、何よりの幸せなのだと。
 ――結婚して、良かったなぁ。


本作は某コミュニティサイトで投稿されたお題をもとに執筆したものです。

今回のお題は「眼鏡、星空、帰り道」でした。

なお、本作は「Wonderful Life」http://ameblo.jp/huebito/entry-10861207054.html の続編です。

 深夜、彼女を腕に抱きしめながら、ふと思う。
「いつまでこんな関係が続けられるのだろう……」
 彼女と同棲を始めて、もう数年になる。
 初めて彼女と出会ったのは、ひどく寒い冬の夜、繁華街の外れだった。
 路地でうずくまっていた彼女に声をかけ、家に連れ帰った。行くあてのなかった彼女は、そのまま家に住みついてしまった。
 何度か、彼女を家に帰そうとしたこともあった。しかし、彼女は私の家を出ても、すぐに戻ってきた。彼女にとって、帰る家はここ以外、存在しなかったのだ。
 私の寝ている布団にやや強引にもぐり込み、大きな目を潤ませて抱きついてくる彼女を見ていると、とても邪険にすることはできず、そのままズルズルと時間が流れてしまった。

 まだ幼さの残る彼女の顔や体を見ていると、「誘拐」や「未成年者略取」などの言葉が思い浮かぶこともあった。
 しかし、きっかけは私が声をかけたことにあったとはいえ、その後、この家に居座ることを決めたのは、彼女自身だったのだ。
 彼女の家族を探そうと、身元を調べたこともあった。しかし、彼女は何一つ、身元につながるようなものを持っていなかった。関係機関に問い合わせてもみたが、捜索願が出されている様子もなかった。
 彼女を捜している人間がいないのなら、彼女を保護する人間が一人、ここにいてもいいだろう。
 勝手な理屈かもしれないが、私はそう考えていた。

 人から見れば、不純な出会いだったかもしれない。しかし私は、本当に彼女を愛していた。
 彼女の寝顔や、熱帯魚の水槽を飽きずに眺め続ける後ろ姿を、私はずっと見つめていた。
 何も言葉を交わさなくても、ただ一緒にいるだけで心地よい。そんな恋愛なんて、アイドルの歌う青臭いラブソングの中にしか存在しないと思っていた私だが、彼女と一緒にいる時間は、本当に言葉も何も必要ないと思えた。

 意外なほど、彼女は寂しがりだった。私が本を読んでいるとき、手紙を書いているとき、テレビを見ているとき、私の手元をのぞき込んだり、膝をくすぐってきたりした。
 私がその手を払いのけようとすると、軽く爪を立てて私の手を捕まえる。
「遊ぼ?」
 そう言うかのように、キラキラした目で見つめられると、それ以上、彼女を無視することはできなかった。
 時間を忘れて彼女と遊び、最後にはたいてい二人とも疲れきって、そのまま寝てしまう。
 彼女に腕枕をして眠るのは、最高に幸せなひと時だった。

 やがて私は仕事を辞め、友達とも会わなくなった。近所のコンビニすら、めったに出かけなくなった。すべては彼女と一緒に過ごすためだった。
 彼女と私の分の食事は、すべてデリバリーで済ませていた。いまどきネット環境さえあれば、たいていのものは通販で手に入る。いい時代になったものだ。金さえあれば、部屋から一歩も出なくても生活していけるのだから。
「……お前も、そう思うだろう? ずっと一緒にいられるんだから」
「ニャー」
 ああ、やっぱり彼女は可愛い。ほーら、お気に入りの猫じゃらし(マタタビ味つき)だよ。たくさん遊ぼう。私の大好きな、小猫ちゃん。

本作は某コミュニティサイトで投稿されたお題をもとに執筆したものです。

今回のお題は「熱帯魚、猫、手紙」でした。

 晴耕雨読。そんなのどかな言葉の響きにあこがれて、定年退職後の第二の人生を田舎で送ろうとする人が多くなった。
 都会の喧騒を離れ、小鳥の歌声と木々のざわめきを聞きながら、太陽に合わせて寝起きし、風とともに一日を過ごす。
 言葉だけを見れば、実に優雅な暮らしに思うことだろう。
 しかし、親の都合で生活を激変させられる子供にとっては、たまったものではない

「はぁ!? 田舎で第二の人生をスタートだって?」
 オレが思わず大きな声を出してしまったのも、無理はないだろう。
「東京を離れて、田舎で新しい生活を始める」
 そんな素っ頓狂な計画を、両親から聞かされたのだから。それも……
「来週からって、どういうことだよ! てか、オレついこの前、高校入ったばっかりだってのに、もう転校かよ!」
「ま、そう言うな。転入の手続きはもう済ませてあるし、『住めば都』だ。座ったまま難しく考えるより、まず行動あるのみ!」
「ざけんな! 何だよ、そのどこかの体育会系教師みたいな理屈は!」
「とはいえ、もう退職手続きも転居の手続きも住んでるしなぁ。この家は父さんの契約している社宅だから、ついて来ないんならホームレスになるしかないぞ? 新居の準備で退職金は使い果たしたから、仕送りする余裕はない。こっちで一人暮らしするなら、生活費も学費も全部自分で稼ぐようにな」
「……グレんぞ、チクショー」
 まったく、自分がこんなマンガみたいな理由で、住み慣れた東京を離れるなんて、つい数時間前まで想像もしていなかった。
 人生って、不条理だ……。

「つーかさ、土地広すぎね?」
 同意を求めるようにつぶやいてはみたものの、周囲には誰もいない。それどころか、電柱と電線、アスファルトを敷いた道路以外、人の手で造られたものが目に入らない。
 最寄りのコンビニは、自転車で小一時間走ったところにある。最初に車で横を通りかかったときは、コンビニじゃなくて高速道路のサービスエリアじゃないかと思った。スーパー並みの駐車場を持つコンビニなんて、東京では考えられなかった。
「老人っつーか、じいちゃんばあちゃんしかいねーし、虫ばっかりだし……」
 ブンブンとうなりながら目の前を飛び回る小バエを、必死で追い払うのにも疲れてきて、オレは買ったばかりのスポーツ飲料の封を切った。このジュースを買った自販機までも、自転車で10分は走らなきゃいけないというのだから、不便極まりない。
「あー、チクショー。帰りてえー」
 ……もちろん東京に、だ。と言っても、戻れるはずもない。飲み干したジュースの空き缶をカゴに投げ込み、自転車にまたがろうとした。
「お、ポイ捨てしなかったねー」
 不意に後ろから声を掛けられ、オレは驚いて振り返った。
 白いワンピースを着て、麦わら帽子の下から長髪を風になびかせている女性がいた。「お嬢様」という言葉をそのまま具現化したようなその女性は、いたずらっぽい笑みを浮かべながら歩み寄ってきた。
「ちょうど出かけようとしたら、家の前にキミが見えたもんだからさー。悪いけど立ち聞きしちゃった」
 クスクスと笑う。背後に民家があったなんて気づきもしなかったが、よく見れば木々の間に人一人が通れるほどの小道があり、奥に民家があるようだった。
「……で、どこに帰りたいのかな? 急ぐんじゃなきゃ、おねーさんが聞いちゃうよ?」
 独り言を聞かれた恥ずかしさと、東京では味わったことのない見ず知らずの人間から向けられるフレンドリーさに対する戸惑い。オレはしばらく、言葉を返せずにいた。ひと昔前のホームドラマのような近所づきあいが、ここではまだ健在なのかと思うと、あらためて「別世界に来た」という気持ちが強くなる。しかし、それは決して不快なものではなかった。
「出かけるんじゃないんですか?」
「そのつもりだったんだけどねー。どうせ大した用事じゃなかったし、キミの相手をしてるほうが、どうやら楽しそうだから。良かったら座んない?」

 後から考えれば、このときのオレは、彼女の持つ独特の雰囲気にすっかり引き込まれていた。
 見ず知らずの女性に自分の身の上話をしたばかりか、最後には涙をこぼしながら「東京へ……帰りたいんッスよ……」とボヤいてしまったのだ。地元の人間からすれば失礼極まりない話だが、このときのオレは、誰かに話さずにはいられなかったのだ。
 彼女はそんなオレの話に、最後まで耳を傾けていた。
「はは……、ガキみたいですよね。情けないったら、ありゃしない」
「ほんっと、情けないよねー。親離れできてないというか、自分で解決しようと努力もしないでメソメソして、挙句の果てに初対面の女の子に泣きながら愚痴るなんて」
「……っ!」
 正論すぎて言い返せない。
「ま、でもあんまりいじめてもかわいそうだし。地元の人間として言わせてもらうと、確かに東京に比べたら不便なことも多いかもしれないけど、いいとこもたくさんあるんだよ、ココ」
「例えば?」
「まずやっぱり、自然が豊か。それから何より、自然が豊か。そして一番は、自然が豊かなことね!」
「アハハ何それ、自然ばっかりじゃん」
「冗談はさておき、私ね、この村で見る星空が好きなんだ」
「……星空?」
「ふふーん、どうやらキミは、まだこの村の夜空をきちんと見上げたことがないね? だまされたと思って今夜、じっくり見てみなよ。感動モノだよ?」
「はぁ……」
「この村の星空を見て、その上でまだ帰りたいって思うのなら、また明日、ここに来てくれたらいいよ」
「分かったよ、だまされたと思って……ね」
 別に彼女の言葉を信じたわけじゃなかったが、二人で笑い合ったことで、何となく気持ちが楽になっているのを、オレは感じていた。

 そして、夜が来た。
 まず驚いたのは、空よりも、周囲の暗さだった。
 点在する民家の明かりと街灯以外、光源がないのだから無理もなかった。
 しかし、だからこそ――
「うわあ……、こりゃ、すごいわ……」
 オレは、そう呟いたきり、言葉を失った。
 ビーズがたっぷり入った箱を、逆さにひっくり返したみたいな量の星。どの星も、手を伸ばせば届くんじゃないかと思うほど、鮮やかに輝いている。
 オレは真夜中を過ぎるまで一人、ずっと星空を見上げていた。

 翌朝。
 ひどい寝不足だったが、オレの胸には一つの決意があった。
 彼女に会いに行こう。
「あっれー、ここに来たってことは、星空に感動できなかった?」
 そう首をかしげる彼女の姿が目に浮かぶ。
 そんな彼女に言ってやるんだ。
「ありがとう」と――

某コミュニティサイトで任意に投稿されたお題をもとに執筆したものです。
本作のお題は「田舎、星空、老人(お爺ちゃん・お婆ちゃん)」でした。